(2)
講義室は冷房が効きすぎていて、まだ九月だというのに寒すぎるくらいだ。このところ、以前よりも寒いと感じることが多くなった。僕も筋肉量がそろそろ低下しているのかもしれない。
寒い。しかし、もう少しだけ講義室に用事があった。課題が終わらないのだ。来週の講義で使うパワーポイントの資料が完成しない。プレゼンをしなければならないので、手を抜くことも叶わなかった。
「おい、周大。おまえ発表用のパワポ作ったか?」
同じ講義を受講している林は、少し離れたところからそう聞いてきた。
「あー、ちょうどしてるところだよ。まだぜんぜん終わってないけどね。林は?」
「おー、俺はもう諦めた。誰かの見せてもらうわ。じゃ、先サークル行ってる」
「ちゃんと出しなよ。単位落としても知らないから。僕、見せる気なんてないからね」
嫌な予感がして、早めにそう言っておいた。
しかし、想像通りに林は両手を合わせて懇願してくる。
「な、お願いだから。な?」
「知らないよ、自分でやって」
どうして、真面目にやった僕が見せてやらないといけないんだ。そう思うけど、結局僕は見せてしまうのだろう。
僕は県立大学の教育学部に入学した。
バレーボール部は三年の総合体育大会で引退。春高まで継続する余裕はもちろん、それだけの熱量もなかった。
そりゃ、もちろん。実際にプレーをしている間は楽しかったし、負ければ悔しかった。最後まで一つ上の克己先輩には憧れていたし、努力もしていたはずだった。
でも、克己先輩が率いるチームと対戦する度に思う。
勝てない。
どれだけ手を伸ばしたとしても届くことのない、雲の上の存在。
最後の対戦は、克己先輩が三年で僕が二年の時に開催された春高予選の二回戦。その年も、ストレートでの敗北に終わった。手も足も出ないとはまさにこのこと。チームとしての完成度はもちろん、セットアップの正確さ、サーブの威力、レシーブ一つを見ても勝てる要素はなかった。
不思議と悔しさを感じなかった。当たり前だと思えた。
すとん、と何かが落ちた気がした。
そして、そのときが僕にとってのバレーボールの終わりだったのかもしれない。向上心や競争心をコートにおいて行ってしまったのだ。もう、二度と克己先輩と同じ舞台には上がれない。そんな悲しい予感も自然と受け入れることができた。
ただ、今もあのひどく熱い夏の日のことを思い出す。
僕の記憶中で、真っ黒に染まった苦い記憶。
きっと永遠に夢に見る。地獄のような日々。
僕は樹と一緒に進みたかった。ただそれだけだった。でも、あいつは既に届かない存在になっていた。
悔しかった。
苦しかった。
おいて行かないで欲しかった。
たぶん、僕にとってのバレーボール人生のピークはそこで終わっていんだろうな。高校生活はおまけみたいなもんだった。
最低で最悪な苦くて青い春の記憶。
巻き戻るならば、やり直したい。やり直して、彼だけでも前に進んで欲しかった。
いや、一緒に進んでいきたかった。
窓の外。青い空に浮かぶ白い雲は、まるで白波のように見える。
指先でそっとなぞると、窓の硬くて熱い感触が伝わった。
大学に入学してから始めたフットサルのサークルは程よく体を動かせて楽しい。講義で凝り固まった体をほぐすには丁度良いサークルだ。仲間たちも程よく軽いノリで、一緒に居て落ち着く。
先日、講義でバレーボールをした。
もちろん周囲のやつらよりも上手く、目立ってしまう。視線を受けて顔は熱くなったが、心は不思議と変わらない温度を保ったままだった。
冷えることも、熱くなることもない。一定。
きっともう、バレーボールにあれほどの熱を捧げることはないのだろう。
それは悲しいことだけど、どこか救われるようなことでもあった。僕は克己先輩のように特別な人間になることはできない。
でも、バレーボールは一生の宝物だ。樹と過ごしたあの日々も、忘れたいようで忘れたくない大切な記憶だ。
届かない雲
諦めた夢
それが今の僕を構成しているに違いない。
講義室は冷房が効きすぎていて、まだ九月だというのに寒すぎるくらいだ。このところ、以前よりも寒いと感じることが多くなった。僕も筋肉量がそろそろ低下しているのかもしれない。
寒い。しかし、もう少しだけ講義室に用事があった。課題が終わらないのだ。来週の講義で使うパワーポイントの資料が完成しない。プレゼンをしなければならないので、手を抜くことも叶わなかった。
「おい、周大。おまえ発表用のパワポ作ったか?」
同じ講義を受講している林は、少し離れたところからそう聞いてきた。
「あー、ちょうどしてるところだよ。まだぜんぜん終わってないけどね。林は?」
「おー、俺はもう諦めた。誰かの見せてもらうわ。じゃ、先サークル行ってる」
「ちゃんと出しなよ。単位落としても知らないから。僕、見せる気なんてないからね」
嫌な予感がして、早めにそう言っておいた。
しかし、想像通りに林は両手を合わせて懇願してくる。
「な、お願いだから。な?」
「知らないよ、自分でやって」
どうして、真面目にやった僕が見せてやらないといけないんだ。そう思うけど、結局僕は見せてしまうのだろう。
僕は県立大学の教育学部に入学した。
バレーボール部は三年の総合体育大会で引退。春高まで継続する余裕はもちろん、それだけの熱量もなかった。
そりゃ、もちろん。実際にプレーをしている間は楽しかったし、負ければ悔しかった。最後まで一つ上の克己先輩には憧れていたし、努力もしていたはずだった。
でも、克己先輩が率いるチームと対戦する度に思う。
勝てない。
どれだけ手を伸ばしたとしても届くことのない、雲の上の存在。
最後の対戦は、克己先輩が三年で僕が二年の時に開催された春高予選の二回戦。その年も、ストレートでの敗北に終わった。手も足も出ないとはまさにこのこと。チームとしての完成度はもちろん、セットアップの正確さ、サーブの威力、レシーブ一つを見ても勝てる要素はなかった。
不思議と悔しさを感じなかった。当たり前だと思えた。
すとん、と何かが落ちた気がした。
そして、そのときが僕にとってのバレーボールの終わりだったのかもしれない。向上心や競争心をコートにおいて行ってしまったのだ。もう、二度と克己先輩と同じ舞台には上がれない。そんな悲しい予感も自然と受け入れることができた。
ただ、今もあのひどく熱い夏の日のことを思い出す。
僕の記憶中で、真っ黒に染まった苦い記憶。
きっと永遠に夢に見る。地獄のような日々。
僕は樹と一緒に進みたかった。ただそれだけだった。でも、あいつは既に届かない存在になっていた。
悔しかった。
苦しかった。
おいて行かないで欲しかった。
たぶん、僕にとってのバレーボール人生のピークはそこで終わっていんだろうな。高校生活はおまけみたいなもんだった。
最低で最悪な苦くて青い春の記憶。
巻き戻るならば、やり直したい。やり直して、彼だけでも前に進んで欲しかった。
いや、一緒に進んでいきたかった。
窓の外。青い空に浮かぶ白い雲は、まるで白波のように見える。
指先でそっとなぞると、窓の硬くて熱い感触が伝わった。
大学に入学してから始めたフットサルのサークルは程よく体を動かせて楽しい。講義で凝り固まった体をほぐすには丁度良いサークルだ。仲間たちも程よく軽いノリで、一緒に居て落ち着く。
先日、講義でバレーボールをした。
もちろん周囲のやつらよりも上手く、目立ってしまう。視線を受けて顔は熱くなったが、心は不思議と変わらない温度を保ったままだった。
冷えることも、熱くなることもない。一定。
きっともう、バレーボールにあれほどの熱を捧げることはないのだろう。
それは悲しいことだけど、どこか救われるようなことでもあった。僕は克己先輩のように特別な人間になることはできない。
でも、バレーボールは一生の宝物だ。樹と過ごしたあの日々も、忘れたいようで忘れたくない大切な記憶だ。
届かない雲
諦めた夢
それが今の僕を構成しているに違いない。