「……」
泣いてしまいそうになって郁子は俯きがちになる。タイル貼りの歩道の升目を見ながら教えられた方向へ歩いていくと、広場のような場所に辿り着いた。歩道より一段下がったアスファルトの一角には黄色く「リハビリゾーン」と表示された囲いがあった。その中で患者らしき男性が、スタッフに付き添われて車椅子の操作の練習をしているようだった。
アスファルトの広場の向こう側には生け垣があって、その向こうに樹木がいくつも植わっているのがわかる。目を凝らすと生垣の切れ目に「散歩道」と書かれた小さな茶色の立て札があった。
郁子はいったん歩道を下りてアスファルトの広場を突っ切り向こう側の歩道に上がった。そこから窺ってみると、生垣の内側の「散歩道」は土がむき出しのただの小道で、これではスリッパを汚してしまいそうだった。
せっかくここまで来たのに、という気分で小道の反対側に目を向けると、そちら側は少し開けた場所になっていてベンチが置いてあった。
ベンチの真ん中に老婦人が座っている。ピンク色のパジャマで、両手を体の脇について浅く腰かけた姿がなんだか可愛いな、と郁子が思っていると、肘かけに立てかけてあった老婦人のものらしい杖が滑って地面に転がった。気づいていないわけではないと思うのに、老婦人は反応しない。拾ってあげた方が良いのか。
少し迷ってから郁子は生垣の中に足を踏み入れた。途端に空気感が変わって郁子の体がまた驚く。木もれ日が差すその場所は、完全な日陰ではないのに涼しく感じた。樹木の効果なのだろうか。郁子はそっと杖を拾ってベンチに歩み寄る。
「あの……」
気配に気づいていない老婦人を驚かせないように傍らに屈んでから、郁子は小さな声で呼びかけた。数秒遅れて、老婦人が少しだけ郁子の方に首を向ける。
「……あら?」
「あの、杖が落ちました」
気づいてもらえたので郁子は少し声を張り上げる。
「ああ。ありがとう」
ゆっくりと抑揚をつけて老婦人は言ったが、郁子の手から杖を受け取ろうとしてくれない。
「あなたも入院してるの?」
「はい……」
困ってしゃがみ込んだままでいると、頬にしずくを感じた。首を曲げて頭上を見上げる。晴れているのに雨粒が次々に落ちてくる。キツネの嫁入りだ。
泣いてしまいそうになって郁子は俯きがちになる。タイル貼りの歩道の升目を見ながら教えられた方向へ歩いていくと、広場のような場所に辿り着いた。歩道より一段下がったアスファルトの一角には黄色く「リハビリゾーン」と表示された囲いがあった。その中で患者らしき男性が、スタッフに付き添われて車椅子の操作の練習をしているようだった。
アスファルトの広場の向こう側には生け垣があって、その向こうに樹木がいくつも植わっているのがわかる。目を凝らすと生垣の切れ目に「散歩道」と書かれた小さな茶色の立て札があった。
郁子はいったん歩道を下りてアスファルトの広場を突っ切り向こう側の歩道に上がった。そこから窺ってみると、生垣の内側の「散歩道」は土がむき出しのただの小道で、これではスリッパを汚してしまいそうだった。
せっかくここまで来たのに、という気分で小道の反対側に目を向けると、そちら側は少し開けた場所になっていてベンチが置いてあった。
ベンチの真ん中に老婦人が座っている。ピンク色のパジャマで、両手を体の脇について浅く腰かけた姿がなんだか可愛いな、と郁子が思っていると、肘かけに立てかけてあった老婦人のものらしい杖が滑って地面に転がった。気づいていないわけではないと思うのに、老婦人は反応しない。拾ってあげた方が良いのか。
少し迷ってから郁子は生垣の中に足を踏み入れた。途端に空気感が変わって郁子の体がまた驚く。木もれ日が差すその場所は、完全な日陰ではないのに涼しく感じた。樹木の効果なのだろうか。郁子はそっと杖を拾ってベンチに歩み寄る。
「あの……」
気配に気づいていない老婦人を驚かせないように傍らに屈んでから、郁子は小さな声で呼びかけた。数秒遅れて、老婦人が少しだけ郁子の方に首を向ける。
「……あら?」
「あの、杖が落ちました」
気づいてもらえたので郁子は少し声を張り上げる。
「ああ。ありがとう」
ゆっくりと抑揚をつけて老婦人は言ったが、郁子の手から杖を受け取ろうとしてくれない。
「あなたも入院してるの?」
「はい……」
困ってしゃがみ込んだままでいると、頬にしずくを感じた。首を曲げて頭上を見上げる。晴れているのに雨粒が次々に落ちてくる。キツネの嫁入りだ。