女の人が話している内容に胸がぎゅっとなる。と、次に聞こえてきた声に郁子は体ごと跳ね上がりそうになった。
「牽制してるのか、けしかけてるのかどっちだよ」

　聡の声だ。どうして聡がここにいるんだろう。驚いた郁子だったが、続く女性の話に引き込まれ、完全に聞き入ってしまっていた。
「……だから私は、かつての私みたいに勝手にひとりで可哀想になってる子のことは嫌い」
　きっぱりした口調にぎくりとしながら、郁子は枕元で聞いた言葉を思い出した。

　――私ね、嫌いなんだよね。こういう子。
　あのときも聡はこの人――おそらく修司の姉――と話していたのだろうか。ずきずきと胸が痛むのを感じる。郁子は手のひらで口元を覆って更に息を潜める。
「似た者同士は良くないってそういうこと。伸びしろがなくて建設的じゃないよ」
「なんの話だよ」
「人間関係も土台が必要ってことだよ。ベースがしっかりしてなきゃろくな積み上げができないでしょう。あやふやな子には、優しくて頼りになる策略家が合ってるってこと」

　堪えきれなくなって郁子は逃げ出した。できる限りの小走りで廊下を急ぐ。ちょうど到着して人が降りたエレベーターに乗る。他には誰もいなかったので郁子は一階のボタンを押して「閉」のボタンも押した。そして扉が閉まったところで長く息を吐き出した。

　立ち聞きなどという褒められないことをしてしまったことにどきどきして、聞いてしまった話の内容に胸がずきずきしていた。少し動いただけなのに体に負担がかかったのか、息も上がっていた。その何もかもを情けなく感じた。

　エレベーターが一階に到着して郁子は廊下に出る。斜め正面に見えている広い廊下を行けば外来棟で、今は診察時間ではないから閑散としている。その中央廊下へと郁子は足を進めた。
　コンビニの前を通りすぎ、正面玄関へ向かう角も曲がらずに、突き当りの出入り口を目指す。そこから中庭に行けることを聞いていたからだ。

　自動扉が開くと外の熱気が襲ってきて郁子は驚く。今はもう六月、眠っている間に季節が変わったことを頭ではわかっていたのに、体はまるで順応していなかったようだ。春に海に入って震えたあの瞬間を、なおさら遠く感じてしまう。固く固く握り合った手の感触を思い出す。