熱風を纏う赤々しい炎は、渡し船めがけて上空から襲い掛かる。もはやこれまで――、ついに万策尽きたと船底に倒れ込む伊舎那(いざな)。小さく見えていた球体の炎弾は次第に大きな塊となり、勢いよく眼前に迫ろうとしていた。さりとて、その光景は緩やかに流れゆき走馬灯の如く想いが駆け巡る。

 そのような緩慢(かんまん)とした情景は、炎の光で周囲の水面を鮮やかな赤く色づく楓色(もみじ色)に染める。やがて志半(こころざしなか)ばにして戦うことを諦めると、ほんのり涙ぐみ目を潤ませた。

「『楼夷(るい)…………』」

 共に過ごした情景を想い馳せ、胸の内へ秘めた心情は儚く天上の空に(つい)えようとする。そうした心の感情を遂げること叶わず、残念そうに上空を眺める伊舎那。最後に楼夷亘羅(るいこうら)を見つめ、そっと微笑んだ……。

 そんな切なき想いを心に残し、この世の終わりを告げる哀しき瞬間――!!

「『ふんぅぅっ――――っぬぅぅぅうう!!』」
「『――えっ……!?』」

 突然――、伊舎那の前に影が差す。既に炎弾は過ぎ去ったはず……。何故、無事なのか? 一瞬の出来事に戸惑いの表情を浮かべ、少しばかり顔を上げ目の前を見つめる。そこには身の丈以上の(かい)を持つ船頭が佇み、迫りくる炎を打ち消していた。

「『――嬢ちゃん、なに弱気になってんだ!! 儂に教えてくれた時の気持ちはどうした。こんなところで、諦めるんじゃねえ――!!』」
「『でっ、でも私には……。もう、手立てが残ってません』」

 櫂を強く握りしめ、声を荒げる船頭。上体を少しばかり反らし、伊舎那へ激励の言葉をかける。

「『そうだとしてもだ――!! 何か伝えたい想いがあるんだろ。だったら、生き恥(さら)しても足掻(あが)いて足掻(あが)いて、足掻(あが)き尽くすんだ!!』」

 身を挺して炎弾から2人を守り抜く船頭。死ぬ気になれば、何だって出来ると説く。

「『伝えたい、想い……?』」

 小さく身体を丸め、船底に横たわる伊舎那。船頭の熱き言葉に触れ、ゆっくりとその身を起こす。

「『兄ちゃんもだ――!! 何だか知らねえが、さっきから何を迷ってる。今の現状を見れば、どちらが大事か分かるだろう。こんなところで、大切な人を失ってもいいのか!!』」

 空を見上げ、海龍鬼よりも大きな声を轟かす船頭。過去を想い馳せ、自分には出来なかったことがある。けれど、お前達なら乗り越えられるはず、その気持ちを決して忘れるな。そう励まし、心の想いを風にのせ伝えた。

「『船頭のおっちゃん……』」

 その言葉を受け、躊躇(ためら)っていた気持ちを断ち切ることが出来たのか? 次第に楼夷亘羅の瞳へ光が差し、強い感情を呼び覚ます。

「『ぐぅっぅぅぅ――――っはあああああ!!』」



 2つに分離した三鈷杵(さんこしょ)を強く握りしめ、心の迷いを解放する楼夷亘羅。光の闘気を全身へ纏い、一気に研ぎ澄ませた気鋭(きえい)を一帯へ放つ。それは自らを中心に、波動が凄まじい勢いで周辺に伝播(でんぱ)する。

 水面(みなも)は海底が見える程に押し広げられ、荒々しく揺らめき渦を巻く。一方、空の大気は媒質となり、風を伴う共鳴として振動を増大させた。その波動により、無数に漂う炎弾は跡形もなく消滅する。

 楼夷亘羅の闘気により一掃された炎弾。先ほどまでの苦戦していた状況は何だったのか? 一瞬の気鋭により戦況は一変する。これが、王の持つ気迫なのか? 渡し船から見上げる伊舎那(いざな)吒枳(たき)は、声を揃え囁いた。 

「『もう迷わない……。お前があの龍鬼だったとしても、伊舎那を傷つけた奴は俺が許さない!! だから、そこでジッとして待っていろ。後で必ず蹴りをつけてやる!』」

 眼光鋭く睨め付け、重く低い声で言葉を放つ楼夷亘羅。ゆっくりとした口調で語りかけ、今までに見せたことがない面持ちで威圧的な態度を見せる。

「『グゥゥッ…………』」

 どうしたというのだ? 先程まで炎弾を無数に放ち、暴れまわっていた海龍鬼が微動だにしない。そうした姿はまるで、蛇に睨まれた蛙と呼ぶべきだろう。桁違いの戦力を見せられ怯えているのか? あるいは、気鋭により巨躯(きょく)が硬直して動けないでいる。このような複数の誘因が重なり合い、圧倒する状況下にあった。 

 それらの様子には、何かしらの原因が関係しているのは確かである。けれど、はっきりとした要因は掴めないにしても、大人しく海面へ佇む姿は好機に違いない。ところが――。意味深な言葉を残し、その場から離れる楼夷亘羅。容態が気になり、すぐさま伊舎那の元へ身を寄せる。

「『伊舎那――!! 伊舎那――!!』」

 狼狽(ろうばい)した顔つきで渡し船へ駆け寄る楼夷亘羅。その瞳には、ただ一人の姿しか映し出されていない。

「『――おっ、おい。さっきのは一体、何だったんだ! それよりも、海龍鬼をあのまま放置していいのか?』」
「『そんな事はどうだっていい!! 今は伊舎那の手当が先決だ!』」

 先ほどの服従させる力(威光)が気になり、あれこれ問いかける船頭。しかし、その手を払い退けゆっくり船尾へ向かう楼夷亘羅。

「『だが、手当てと言っても……。重度の熱傷じゃ、冷やしたところで元の状態には戻らねえ。残念じゃが、傷痕は残るだろう……』」

 俯き思い悩む船頭は、事の次第を分かり易く伝える。その言葉は時すでに遅し、何をしても手遅れだと楼夷亘羅へ話す。

「『…………』」

 そうした状況を聞き受け、伊舎那は視線を逸らし悲嘆の表情を浮かべた……。