時の経過と共に荒れ狂い、乱れた炎弾を解き放つ海龍鬼。当初よりも大きく巨躯(きょく)をくねらせ、その身は悶えた顔つきを見せる。このような状態によって、海面は打ち付け合い暴風のような荒波が押し寄せた。けれど、結界の効果もあってか安定を保つ渡し船。

 そうした理由も重なり、光を失う魔獣の攻撃は定まることは無い。これにより周辺を飛び交う炎弾はかすりもせず、遠く離れた場所へ着水する。そんな危機的状況に変わりないが、一瞬の安息を得る3人は安堵の表情を浮かべた。 

 ゆえに、この瞬間を好機と見た伊舎那(いざな)。休む事なく5射目の光矢を放つため、闘気を溜め込む準備に入る。これらの法具はどれも同じであるが、生命力の源である気力を消耗して扱っていた。したがって、何度も使用すれば身体へ負担がかかるのは当然のこと。

 ところが、疲れた表情1つ見せない伊舎那。上空の楼夷亘羅(るいこうら)を見つめ、必死に闘気を注ぎ込む。それは守りたい一心からか? あるいは、また別の想いなのか? 本人しか知り得ない心情ではあるが、連続して行う精神力は並大抵のものではない。 

「『待ってて楼夷(るい)、今まで私に与えてくれた想い……。少しだけど、ここで返すからね』」

 全ての想いを弓鈷杵(きゅうこしょ)へのせ、真剣な眼差しで時期を待つ伊舎那。先ほど放った光矢により、戦況は大きくこちら側へ移りゆく……。

 ――かに思われた。

 突如として上体を伊舎那へ身構える海龍鬼。顔の半分は欠損し、右目さえも漆黒に染まる瞳。視覚と呼ばれる器官は既に存在しないはず。なのに何故、的確に危機感を得られたのだろう? 確かに1射程度では消滅は有り得ない。けれど、何度もその身へ浴びれば話は別。

 二の舞を演じる事なく、回避しようと試みたのか? それとも1射の怨念が、そうさせたのだろうか? どちらにしろ、気配で対象者を特定している事に変わりはない。

「『グゴォッ――ッ!! ォォォッッ!!』」

 すると突然――!! 空へ上体を反らし、大陸全土へ轟く雄叫びを放つ海龍鬼。威嚇ともとれる唸り声。それは、理性が消えかける最後に残した警告のような……。『逃げろ――!!』そう心に響き渡る感じがした。

 僅かな時間ではあるが、一瞬の間を与える海龍鬼。風に吹かれ、一片(ひとひら)の花びらが目の前を舞いゆく瞬間――。流れるような炎弾が、容赦なく渡し船を襲う。



「『――ぐぅっ!! ――っぅうう!!』」

 必死に金剛鈴を掴み、結界を崩壊させまいと耐え凌ぐ吒枳(たき)

「『――おい、龍鬼!! 俺はこっちだ!! そっちじゃない――!!』」

 対象を自分へ向けるため、海龍鬼の周辺を飛び回る楼夷亘羅。存在を知らしめるために、何度も周回を試みるも皆無。

「『グゴォッ――ッ!!』」



 声は聞こえていないのか? ――いや、聴こえているはず。やはり、あれが最後の警告だったのだろう。渡し船へ続けざまに炎弾を浴びせる海龍鬼。

「『――ぐぅっ!! もっ、もぅ……。限界のようです……。――がはぁっ!!』」

 何度も掴みかけるも、震える手から金剛鈴(こんごうれい)が弾き飛ぶ。仲間達を守るために、耐え凌んだせいか? 結界の崩壊と同時に(くずお)れ、吐血を見せる。

「「『――吒枳!!』」」

 不安な面持ちで安否を気にかけ、声を揃え呼びかける2人。5射目の光矢で炎弾を阻止したいが、溜めが不十分なこともあり叶わぬ思い。それならばと、法力で僅かな障壁を目の前に顕現させようとする伊舎那。

「『ノウマク・サマンダ・ボダナン・イシャナヤ・ソワカ――!!』」



 吒枳と船頭を守るべく、2人の前に身を乗り出し障壁を創り上げる伊舎那。しかし、それは結界と呼ぶには程遠く、天鬼(亡者)などから身を守る小さなもの。巨躯から放つ大きな炎弾の前には、無きに等しい壁であろう。

 金剛鈴で覆っていた結界が無くなった今、遮るものなど何も無い。そうした状況の中、焦りを見せながら必死に拳撃で抵抗を続ける楼夷亘羅。しかし、崩壊しても降り注ぐ炎弾の前に、全てを打ち消すことなど出来はしない。やがて、数発の連弾は燃え盛る炎と共に、渡し船へ襲いかかる。

「『きゃぁぁぁっ――――――っぁぁああ!!』」

 どうにか数発の炎弾は小さな障壁で凌ぎきり、吒枳と船頭の2人を守ることは出来た。ところが……。その1つである炎が弾け飛ぶ瞬間、伊舎那の身体全体を猛火が纏う。

 それは、瞬刻の出来事――。全てではないが、着物のところどころは燃え焼け肌が露出した状態を見せる。羽織を纏っていたせいもあり、顔から下は衣服が少し燃え尽きただけで無事のようだ。

 ――そう、顔から下は。

 そのような状況へ陥り、気になる風采なのだが……。熱傷の度合いは酷く、顔の全てが焼け(ただ)れ皮膚の表皮が(めく)れ上がる。悲しいことに、あの美しかった伊舎那の顔はもう何処にもない。あるのは虚ろな顔つきをした、醜く変貌を遂げた姿であった。

「『――伊舎那!!』」
「『いっ、舎那(ざな)さん……』」

 あられもない姿に、声を荒げる楼夷亘羅。その場へ直ぐにでも飛んで行きたいが、そうすれば今以上の惨劇が起きることは確実。一方、吒枳は全ての気力を使い果たし、動くことも(まま)ならない状態。

 そこへ、もう1つの炎弾が降り注ぐ。もう身をかわす手だては残っていなかった……。