如何なる斬撃や武具による矢弾、これら一切は虚空を漂う龍鬼には通用しない。それは修練を積み重ねた婆羅門の聖者であれ同じこと。どんな強力な技を持ち得ていても、触れられぬ相手に何をしようが無駄である。このような理由から、誰も太刀打ち出来ず苦戦を強いられるばかり。もはや討伐は困難かと思われた……。

 ――けれど、1人の法術師によって、滅することが実現可能なものとなる。

 その聖者は数多な術を操り、人々を脅かす天上の虚龍鬼を難なく屈服させて見せた。それは何とも見事な九字印の法術。九つの真言を唱え、上空へ法の手印を指先で組み込んでいく。――すると、空を漂う龍鬼は、突如として金縛りのような状態に陥る。

 そうした状況を唖然と見守る人々。気が付けば、地にひれ伏した虚龍鬼が目の前にいたという。さぞかし術師は屈強な風貌をした出で立ちなのであろう? そのように思われたが、意外にも小柄な細身の美しい女性。過去の婆羅門を治めた偉大な人物である。

 この人物により、術は下位の者へ伝授され導かれていく。こうして不可能とされた魔獣もどうにか討伐できる状態となり、安寧とまではいかないが少しの安らぎを得る事になる……。 


 世の成り立ちを語り終える船頭。今の暮らしがあるのは、その人物がいたからと伝える。

「『ひょっとして……。屍となっても、海龍鬼には僅かな心があるというのですか?』」

 3種の存在と特性について、事の次第を理解する伊舎那(いざな)

「『そうじゃ。確かなことは言えんが、死してなお人々のために(あらが)おうとする。そんな悲しき存在じゃ』」

 3種の龍鬼には、それぞれが持つ奥義のような技がある。それは鳳凰炎舞(ほうおうえんぶ)と呼ばれ、体内の中に溜め込まれた毒性のある気体を一気に解き放つ。その名が示す通り、天上を覆いつくす大きな華炎(猛火)からは誰も逃れられないだろう。

 ところが、奥義で滅すれば良いものを海龍鬼は決して技など使おうとしない。まるで、最後の警告であるかのように、逃げろと軽度の炎弾を放出するのみ。

「『それは良く分かりました。なら、どうして見境なく襲い掛かるのでしょう? 私は瞳を偶然にも射抜いたに過ぎません』」

 抗うことが出来るなら、なぜ今頃になって? 切なく語る船頭へ、不思議そうに問いかける伊舎那。

「『うむ……。もしかしら、瞳の奥に微かな記憶が存在していたのかも知れんな!』」
「『その記憶を、私が壊してしまったから……? それがきっかけとなり、急に暴れ皆を危険な目に……』」

 魂を失えど、本能で抵抗していた海龍鬼。船頭の言葉を受け、自らの犯した過ちに気付く伊舎那。その僅かな心を消滅させてしまった事に嘆き悲しむ。

「『そう悲観する事は無い。大切な仲間を助けるためにしたこと。あまり気を落とさんことじゃ!』」
「『――でも、私が余計な事をしなければ、楼夷(るい)は逃げられたかも知れない!』」

 唇を少し噛みしめ、空を見上げる伊舎那。乱れる炎弾を必死な様子で凌ぐ姿に、心を痛め切なく見つめる。



「『嬢ちゃんが悪いのではない。全ては客人を危険な目に合わせた儂の責任……』」

 何か手はないか? 物思いにふけ俯く船頭。そうした瞬間も、乱れた炎弾は渡し船を容赦なく襲う。

「『――ぐぅぅ。楼夷亘羅(るいこうら)――!! もう、僕の気力が尽きそうです……』」

 片膝を崩し残りの力を金剛鈴(こんごうれい)へ注ぎ込む吒枳(たき)

「『ごめんね、吒枳。私のせいで、こんな事になってしまって……』」
「『いいえ、これは連帯責任です。船頭さんや伊舎那さんは悪くない! ――と、楼夷亘羅ならそのように言うでしょう。だから、気にしない事です。そう思うのであれば、僕を援護して下さい』」

 いつにもなく真剣な表情で伊舎那を励ます吒枳。しかし、結界が持ち堪えれる時間も残り僅かであろう。微笑みかけるも、その表情からは焦りが見える。

「『分かったわ!』」

 ひと言だけ言葉を交わし、いつもの顔つきに戻る伊舎那。吒枳の想いに応えるように、円弧状の法具である弓鈷杵(きゅうこしょ)を強く握りしめる。

「『じゃぁ、伊舎那さん頼みましたよ!』」
「『――任せておいて! 私が全部、蹴散らして見せる』」

 意気込みを示し、再び上空の炎弾へ狙いを定める伊舎那。両端に張り巡らせた光の弦を、ゆっくり指先で手繰(たぐ)り寄せてゆく。

「『こうなってしまった海龍鬼には、如何なる技も通用しないというのに……。どうして、それほどまでに強い心が保てるのじゃ! 儂には考えられん……』」

 戦うことを諦め、逃げる事だけに注力を尽くす船頭。屈しない意志はどこから溢れてくるのか? 唖然とした表情で3人を見つめる。

「『そう思われるような、大した事でもないですよ。ただ、私たち3人には確かな想いがあります。各々の考えは違えど、1つだけ変わらない同じ気持ちが。それはお互いを思いやり信じ合う心。固い絆で結ばれた信頼という強い想い!』」

 光の弦を手繰り寄せ、溜めを得る伊舎那。心の想いは強く、決して引き裂くことなど出来ない。そうした仲間がいるからこそ、心が折れそうな時は支え合い励まし合う。その想いは誰もが持ち合わせているものだと、笑みを浮かべ船頭へ伝えた……。