荒れ狂う様子で、突然の変貌を遂げる海龍鬼。その一糸乱れぬ炎弾の数々に翻弄され、楼夷亘羅(るいこうら)は絶望的な窮地に陥ってしまう。

「『――どっ、どうして、急に暴れ出したのかしら?』」

 危機的状況は楼夷亘羅だけではない。渡し船にも逸れた炎弾が襲い掛かり、吒枳(たき)は必死になりながら結界維持に努める。その変貌ぶりには、必ずと言っていいほど何か理由があるに違いない。しかし、状況を理解し得ない伊舎那(いざな)は不思議そうに呟く。

「『良く見てみろ。原因はあれじゃ!』」

 状況を説明する事なく、船頭は海龍鬼の右目を指し示す。

「『あっ、あれは……』」
「『そうじゃ。先ほど嬢ちゃんが放った矢が、偶然にも瞳を射抜いたんじゃ!』」 



 海龍鬼の目に突き刺さる光矢。眼光鋭く見つめていた赤い瞳孔は、光を失い漆黒に染まる。

「『兄ちゃん達なら、もしやと思ったが……。もはやこうなっては、逃げることさえままならねえ……』」
「『それは一体、どういう事でしょうか?』」

 僅かな希望の光を頼るも、願い虚しく戦況は絶望的な状況。ついに心折れ、意味深な言葉で深刻そうに話す船頭。
 
「『そのままの意味じゃ。この世界には、3種の龍が存在している。その中でも、海龍鬼は一番温厚な種に値する。しかし、もう何をしても無駄だろう……』」

 その真意はいかに……。

 伊舎那へ諦めろとばかりに、船頭は語る。極楽の荘厳(果てしなき大陸)には、魔獣と呼ばれた生命が存在する。それは意志を持ち、みだりに人々へ危害を加える事は無い。けれど、屍となり心を失えば別である。そうした肉体は憑代(よりしろ)として邪が纏い、どんな温厚な生き物でも凶暴な種へと変貌を遂げる。

 自我を失えば当然のことかも知れない。それでも、生前の僅かな記憶が残るのか? 意志を持たないはずの魔獣にも、想いで行動している龍がいた。言葉を話さぬがゆえに、不確かな情報ではある。とはいえ、他の龍鬼と比べ明らかに状況を判断して襲ってくる種族がいた。その魔獣が今しがた交戦している海龍鬼である。

 そのように3種の龍が存在すると述べたが、同じ種でありながら全く特徴は異なる。最も力の弱い序列の龍からいえば、このように分類された。
 
海龍鬼(かいりゅうき)

 変貌を遂げる前の龍鬼。先ほど述べた通り、どの種も同じく人々を襲う事は無い。その中でも、5大陸の海を自由に彷徨う最も温厚な龍。それがこの魔獣であり、海が荒れた時には必ず現れ盾となり船を守る。

 誰が決めたか知らないが、序列といった意味では弱い存在として挙げられる。だが、はたして本当にそうなのか? 単に争いを好まないため、本領を発揮していないのでは? そのように人々からは囁かれていた。

 そんな海龍鬼ですら、邪には敵わないのであろう。心失い取り込まれれば、いかに温厚だとしても見境なく生者を襲う。海の覇者であるが、水ではなく口から気体を圧縮した猛火の波弾を放つ。ところが、何故か大技を見せる事は少なく軽度の炎弾しか浴びせない。まるでそれは、襲撃することを躊躇(ためら)っているかのように見える……。

獄龍鬼(ごくりゅうき)

 続けて、獄龍と呼ばれた如何にも荒々しく思われる龍鬼。序列で言えば中堅の位置に存在しており、それほど警戒するまでもない。とはいえ、あくまで龍鬼の種で比較すればという意味であり、人々が到底敵うはずもない魔獣である。

 そんな獄龍鬼だが、海龍鬼と同じく独特な特性を持ち合わせる。それは海を馳せる覇者のように、大地を支配する覇王といったところか? 地を這い自由に地中を移動できる。しかし、龍鬼でありながら空を飛ぶことは叶わず、大陸間の移動は中々思い通りにいかない。

 そうした短所はあれど、人々から恐れられる事なく暮らしを見守る地神として崇められた。一体、何故? 獄龍とは、地鳴りや地震といった災害を収める龍鬼。生ある者からは慕われ、大地に住む人々と共に生きる存在。本来なら悪い魔獣ではない。

 ゆえに、邪を纏った様子は悲しき姿に思える。元々は地龍と呼ばれていたが、劫火(ごうか)の滅弾を放つ風貌から獄龍鬼と名付けられた。
 
虚龍鬼(こりゅうき)

 最後は、天高く空を舞い我が物顔で天上を漂う龍鬼。古来から天龍と伝えられているも、天よりも果てしなく大空を飛ぶ姿から虚龍と言われていた。自我を失えば手に負えず、最も凶悪で乱暴な存在。何故、2匹の龍鬼を差し置いて序列が1番なのか?

 それには2つの訳があり、先ほど述べた事も一理あるが問題はそこではない。先ず1つが、海龍鬼や獄龍鬼は行動範囲が限定されるということ。海や大地しか彷徨えない龍鬼と違い、虚龍鬼はどの領域も移動でき限定される事は無い。

 つまり、極楽の荘厳を凌駕している事になる。しかし、そうした状況だけでは要因に繋がりはしない。それが2つ目の理由である。このように穢れを纏い人々を襲う龍鬼を婆羅門の聖者達が見逃すはずはない。こうした存在は、第一級の魔獣として討伐隊により難なく駆除される。

 ところが、名の如く天より遥か虚空を漂う龍鬼には、近づくことすらままならない。たとえそれが、空を舞える羽衣だとしても。もちろん天舞でも同じこと、辿り着くことは出来なかった。さらに、天上からは地上へ向けて黒く穢れた邪の黒弾を放つ。何とも相性が悪く手の打ちようがない。

 ――しかし、そんな虚龍鬼をいとも簡単に服従させる者がいた。それは……。