処世(しょせ)から伝えられていた2つの言葉。金剛鈴(こんごうれい)の響きは人の心を魅了させ、惹きつける効果がある。たとえそれが、心を失った亡者であったとしても……。ゆえに悪しき心で扱えば、共鳴し合い引き付けてしまう恐ろしい代物。しかし、使い方によっては天鬼(彷徨える亡者)などの邪を操れ、支配することが可能だという。

 つまり扱う人物によって、この上なく危険な物であるということ。なぜこのような法具があるのかは、今のところ分ってはいない。けれど1つ言えることは、初代と共にいた人物が創り出したらしい。それは一体何のために? どうやって使用していたのか? 本人のみ知り得ることなのであろう。 

 そして肝心なもう1つの用途であるが、前項と違い性質は全くの逆である。結論を述べれば攻撃ではなく守備。扱い方さえ間違わなければ、1つの法具に2つの用途を兼ね備えた優れものといえよう。

「『なるほど……。その法具には、そんな使い方もあったのね! ――じゃぁ早速だけど、お願い出来るかしら?』」
「『はい、分かりました。すぐに始めます!』」

 金剛鈴を扱う上で最も大切なこと。それは、心に少しでも迷いがあってはならない。そのため、ひとまず目を閉じ気持ちを落ち着かせる吒枳(たき)。そうした刹那の間にもかかわらず、心の準備はできたのか? ほどなくして左手に法具、右手は指先を胸元へ立て真言を唱えだす。

「『では、――始めます!! オン・マカラギャ・バザロシュニシャ・バザラ・サトバ・ジャク・ウン・バン・コク』」

 先端部分である握り柄をそっと持ち、詠唱と共に1度だけ軽く揺れ動かしながら鳴らす。その澄んだ音色は心の奥に伝わり、吒枳を中心とした一定の領域を掌握する。――と同時に、重く圧し掛かるような波動の伝播が、重低音の如く周辺一帯へ轟き響く。
 
 そうして、再び念じ唱えた――。

「『清浄な美しい蓮の華をその身に感じ、六根(六つの感覚)を纏いて鈴音(すずね)と共に聖域を解き放て!! 心蓮六華(しんれんろっか)白蓮華(びゃくれんげ)!! 落花流水(らっかりゅうすい)――!!』」

 真言の発動により、解き放たれた一帯へ聖域が展開される。それは法術師が唱える結界のようなものといえよう。目には見えないが、確かに空間へ何かが張り巡る。そうした状況は視認することもでき、周りを見れば一目瞭然であった。



「『――すごい!! 渡し船から向こう側が別世界みたい……』」

 伊舎那(いざな)が言うように、遮断された状況がそこにはある。一片(ひとひら)の花びらや海水は緩やかに流れ、まるで時がゆっくりと経過しているかに思われた。その3人が佇む空間周辺だけは静かに落ち着きを見せ、上空からの飛沫(しぶき)も結界で難なく弾き遮る。

「『楼夷亘羅(るいこうら)――!! これで沈没は免れました。だから思う存分、集中して戦って下さい!』」
「『――そうよ楼夷(るい)! 私達のことなら大丈夫。心配しなくてもいいからね!』」

 上空の楼夷亘羅へ呼びかけ、自分達の無事を伝える2人。

「『ほんとだ、凄い! これなら気にせず戦える!』」

 渡し船の状況を確認し、安堵の表情を浮かべる楼夷亘羅。戦況を覆すため、息つく間もなく次の策に打って出る。そうして立ち向かうべく、胸元から法具を取り出し軽く触れた。 

「『……父さん。俺に、力を貸してくれ!』」



 手に取り想い馳せ見つめる法具は、父親の形見である三鈷杵(さんこしょ)。両手で握りしめ、目を閉じ囁き念じる。すると、どうしたことか? 突如として輝きだす法具。その光と共に、ゆっくり切り離され一対(いっつい)の物として形成されてゆく。

 その分離した三鈷杵を掌で包み込み、拳を勢いよく打ち合わせた。――次の瞬間!! 天上の空に轟くような音と、波動の衝撃波が周辺一帯へ響き渡る。そうした仲間達の想いなどもあり、ようやく自分らしさを取り戻す。

「『よし! 行くぜ――!!』」

 気持ちを切り替え、凛とした顔つきで空中を浮揚(ふよう)する楼夷亘羅。父親の形見に触れ、焦りや緊張といった心情は全て消え去った。そのような胸懐(きょうかい)の想いは、やがて確固たる燃えた闘志へと変わる。

「『グゴォッ――ッ!! ォォォッッ!!』」

 雄叫びの中、絶え間なく撃ち続ける炎弾。その前に立ちはだかり、悠々と身構える楼夷亘羅。海龍鬼ほどではないが、天上の空へ向け甲高い声で真言を唱える。

「『――あらゆる空間と時の中。あまねく聖域を凌駕し、光を放って燃え上がれ! 十方三世(じっぽうさんぜ)光焔拳(こうえんけん)――!!」

 両手を左右へ構え、圧縮された紅蓮の炎を顕現させる楼夷亘羅。差し迫る無数の炎弾を光速の速さで打ち消してゆく。その勢いよく打ち放たれた猛火の衝波。何処から打ち込んでいるのか? そう思える程に、四方八方から光と炎の輝きで光焔を無限に放つ。



 鮮やかに放たれる波動の攻撃。長年、位の高い天人へ仕えてきた伊舎那ですら目で追うことが叶わない。その光景を間近で見つめる3人達は、呆然と佇み様子を窺う。とはいえ、それでも数発の炎弾を凌ぐことは出来ず、結界を張り巡らす渡し船を襲う。

「『――楼夷亘羅!! 炎弾の攻撃は暫くは大丈夫ですが、それ以上浴び続ければ崩壊してしまいます。だからそれまでに、どうにか決着を付けて貰えませんか?』」

 険しい表情で呼びかける吒枳。いかに守備に長けた金剛鈴とはいえ、そう何度も障壁に攻撃を受ければ破壊されてしまう。よって、持ち堪えられる炎弾は数発が限界と伝える。

「『数発……。結構、厳しい状況だな』」

 眉を(しか)め、顔を曇らせる楼夷亘羅。すると――。

「『任せて楼夷(るい)!! そういう事なら、私が援護射撃するから大丈夫! 逸れた炎弾は全て消滅させて見せる!』」

 浮かない表情の楼夷亘羅へ優しい言葉をかけ、重荷を取り除く伊舎那。渡し船が安定していれば、法具が自由に扱えると答えた。

「『本当かい? じゃぁ、よろしく頼むよ!』」

 よほど伊舎那の事を信頼しているのであろう。二つ返事で提案を快く承知する。その言葉を信じ、振り返る事を辞める楼夷亘羅。海龍鬼との攻防に特化して、全ての力を注ぎ専念する。そうした激しいせめぎ合いは続き、緊迫した雰囲気が空の情景を赤く染める。

 早速、準備に取り掛かるため、着物の(たもと)から金色に輝く独鈷杵(とっこしょ)を取り出す伊舎那。吒枳と同じく左手に法具を構え持ち、右手はそっと指先を胸元へ当てる。訓練と違い実践のためか? その表情から窺える素振りは、いつにもなく真剣な表情をしていた。そうしている最中も、逸れた炎弾は構うことなく渡し船を襲う。

「『――伊舎那さん! 準備はまだでしょうか?』」
「『ごめんなさい。あと、もう少しだけ耐えてくれないかしら!』」

 危機的状況の中、吒枳の言葉に周囲を確認する伊舎那。やや乱れた呼吸を整え、意識を集中させながら感性を研ぎ澄ませてゆく。それから暫くして……。

「『お待たせ、吒枳! ――じゃぁ、行くわよ!』」

 全ての準備が整い、心の落ち着きを見せる伊舎那。独鈷杵を前方へ突き出し、縦に軽く握りしめ真言を唱えていく。

「『ノウマク・サマンダ・ボダナン・イシャナヤ・ソワカ――!!』」

 すると突然――、眩い輝きを放つ独鈷杵。助けたいと願う想いに反応したのか? 応えるかのように、上下の先端から光を放つ細くしなやかな弓の柄。それら2つの弓体が鮮やかに顕現化する……。