ゆっくりと紐解き経緯について話す前に、極楽の荘厳(果てしなく広がる大地)婆羅門(修練場)が出来た成り立ちを語る処世(しょせ)……。


 千年前の世に婆羅門とは存在せず、須弥山と呼ばれた場所を囲むように、東西南北へ4つの大地が存在した。つまり極楽の荘厳とは、5つの大陸に区分された世界である。その中心へ聳え立つ須弥山は特殊な領域であり、この場所がなければ、4つの大地も存在できない。そう言ってもいいほど必要不可欠な神聖な地である。

 存在理由を述べるならば、須弥山の大地から溢れ出る浄化の力。その力が地や海を越えて伝わり、4つの大地へ浸透する。そうした恩恵を受ける事で、土は肥え、水は潤い、植物は咲き誇る。けれど、それは無限に生成されるものではなく、限りがある。したがって、いつかは枯渇するだろう。そして、5つの大陸は破滅の一途をたどるに違いない。

 では枯渇させないために、どうするべきか? 思案した結果、出てきた答えというのは……。それは須弥山へ七堂伽藍(寺院)を建て、己の闘気を大地へ分け与える。そうする事で、5つの大陸へ恩恵をもたらし、人々を安寧へと導いてきた。

 とはいっても、その行為は自ら命を削るもの。須弥山だけなら、どうにか出来たかも知れない。しかし、5つの大陸全てを豊かにすることなど不可能であり、可能であったとしても長くは続かない。錠光(じょうこう)の命も永遠ではなく、闘気を分け与え続ければ、いつかは五衰を迎える事になる。



 つまり、寿命は尽き果て肉体は滅ぶ、やがて枯渇した大陸と共に、人々も消滅するだろう。それを懸念した錠光は、いつも1人で嘆き悲しみ悲観した日々を送る。そんな時、1人の女性が手を差し伸べる。その名は月光(がっこう)。呼び名の通り、なんとも美しく透き通る肌に、優しく照らす笑顔。風采もそうだが、同じく透き通るような清らかな心。 

 その女性と共に過ごす内、心惹かれてゆく。そうして、ふと思う。ひと時の幸せよりも、永遠の倖せを願うことに。後世へ極楽の荘厳を残すために、2人の光は手を取り合い導き出した。それが、人工遺物と呼ぶ4つの法具である。

 2人が創造した形。それはまさに、光としての象徴とも言える物であった。その形は、月に似た円弧状の欠片・法輪(ほうりん)。太陽のように明るく照らす球体・宝珠(ほうじゅ)。これらの法具は、この世に存在する物とは思えない輝きを放ち、周囲の者達を魅了する。

 そうして創られた法具は、4つの大地を治める者達へ1つずつ手渡された。効果といった事では、須弥山の大陸を潤わすまではいかないが、1個で大地ひとつを潤いに変えるほどの効力を発揮する。その後、錠光・月光の2人は、もう1つ輝く光の聖者を迎え入れ、3人は共に極楽の荘厳を導いてゆく……。

 それから何百年も安寧の世は続くが、永遠といった訳ではない。いつかは終焉の時もやって来る。やがて錠光は亡くなり、須弥山から溢れ出ていた浄化の力も弱まる。すると、法具で潤っていた大地も僅かだが荒れ果て、人々の心には闇が巣食うようになる。

 次第に大地や人々の心は枯渇していき、戦争といった波乱の世がやって来る。その到来により、浄化の力とは土・水・植物だけでなく、心の浄化も行なわれていたことに気付く人々。けれど、そうした対処方法を錠光は事前に書物へ記す。それらの内容は、このように書き残されていた。

『自ら亡き後、波乱の世が来るやも知れん。その時は法具を一度、七堂伽藍の台座へ奉納するべし。さすれば、不浄の世も安寧とまでは行くまいが、落ち着きを取り戻すだろう。されど、加護を失う4つの大地は、天災によって荒れ果てようとも。そこは手を取り、助け合わなければならん』



 書物へ記されたことを確認する者達。早速、記載されたことに従い、4つの法具を台座へ納めて見る。すると、どうだろうか? 今まで争っていた人々に、思いやりの心が生まる。そしていつしか、大陸全土で勃発していた戦争も、ようやく終結を迎えた。けれど、人工遺物を失った豊かな大陸は荒れ果て、至る所で天災に見舞われる。

 土壌は痩せ衰え、水は濁り澱み、植物は枯れ果てる。やがて、恩恵を受けていた大地も次第に衰退していき、潤いや実りを失い飢饉がおとずれる。さりとて、人々は諦める事なく手を取り合いお互いを思いやる。人は一人では生きてはいけない、同じ未来を歩むなら支え合い助けてゆこうと。


 ――それから戦乱の時代は終わり、千年の時を迎える事になる…………。