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学際の準備で廊下も体育館も化学室もすべての教室がフルに使われ、昼食の時間ですら学際の準備に追われていた。
たった一週間だが学校中が慌ただしく騒がしいこの期間を既に一年生の頃に体験していたとはいえそれでも日常とはかけ離れた校内の雰囲気に圧倒される。
相変わらず俺は本来であれば行灯をつくる作業を手伝わなければならないのに誰の手伝いもしていなかった。頼まれたら手伝うつもりではあるが声を掛けてくるクラスメイトはいない。いや、一人だけいた。委員長の橋本さんだ。

「笹森君!ありがとう、いつ鈴村さん来てくれるんだっけ?」

廊下で俺を呼ぶ声に肩がびくっと揺れた。橋本さんの声は通るから廊下に響き渡る。
振り返るとこちらに向かって走ってくる橋本さんの姿がある。

「今日これから来るよ。先生にも許可とってるし」
「うん、それなら私も先生に頼んだから。裁縫得意な子いないから」
「連れてくるけど、条件がある。この間も言ったけど、絶対に触れないでほしい。病気なんだ、皮膚の」
「分かってる。それはみんなにも周知しておくから。じゃあ、鈴村さんが学校に到着したら真っ直ぐに教室じゃなくて家庭科室に来て。私三日間抑えてある」
 
 分かった、と短い返事をすると橋本さんは早歩きでメモを見ながら俺の脇を通り過ぎる。
クラスの委員長だから誰よりも仕事があるのだろう。それに彼女は吹奏楽部に所属しているから部活動もある。
 一日二十四時間しかないというのに何でも引き受け全てをこなしていく彼女に感心する。成績もよく、部活動もサボらず打ち込み委員長として皆を纏め上げ誰よりも働く。俺にはまねできないと心底思った。

 俺はソワソワしながら昇降口の前で詩を待っていた。
詩はこの日を札幌旅行に行ったあの日と同じくらいに楽しみしていたようで昨日はなかなか眠れなかったようだ。
 昇降口で待つこと十分、詩の姿が見える。詩は手を振りながら若干緊張した面持ちでこちらに向かってくる。
走るとサラサラの黒髪が風に靡いて揺れる。本人には言わないけどそれを見るのが好きだったりする。

「蒼君!」
「待ってた。スリッパに履き替えて行こう」
 詩はやはり緊張しているのだろう、いつもよりも口数が少ない。
それでもどこか楽しそうなのは楽しみにしていたからだ。

「絶対に、ぶつからないように。放課後になる前に帰ること、他の生徒からは一定の距離をとってあまり仲良くなり過ぎないように」
「最後のはわからないかなぁ。せっかくだもん、私だって楽しみたい」
 俺の殺気を感じ取ったのだろう、詩はむっと頬を膨らませ「いいじゃない」と不貞腐れる。

「でもこれで私の願いほぼ叶えてもらっちゃった」
「確かに…あと二つだけだもんな」
「あ、そうだ。私のこと何て紹介しているの?」
「友達って言ってる。夏休み期間が終われば本州の方に帰るって」
「あぁ、確かに北海道って夏休み期間少し短いからね。それなら辻褄が合う。でも、友達かぁ」

 家庭科室に向かいながら詩は不満げにそう言った。

「友達以外ないだろ」
「ええ~あるよ、恋人っていうのは?」
「…からかうなって」

 揶揄ってないもん、と言うとちょうど前方から廊下を歩く橋本さんがいた。
 橋本さんは俺たちに気づくと走ってくる。吹奏楽部とはいえ、いつも走り回っているから体力が相当あるのだろう。息を切らしていない彼女は俺と詩の前に立つといつもは見せない笑顔を見せた。

「初めまして。私橋本陽菜です。もう訊いているだろうけど笹森君に頼んだのは私です」
「はい!私鈴村詩です。詩って呼んでください。今日はみんなのために何か手伝えるって聞いて凄く楽しみにしていました!」

 橋本さんは詩があまりにも快活で目を輝かせて言うものだからふっと噴き出して笑った。
そんな反応をする橋本さんを見るのははじめてだった。クラスメイト全員のことを詳しく知らないしそもそも喋ることもないが、橋本さんは委員長だから例えばクラスで何かを話し合うときは教卓の前で彼女を見る機会はそれなりにあった。でも今のように砕けて笑う姿は見たことがない。
初めて会ったというのに、既に友人のような雰囲気に包まれている。