「日帰り?そ、それっていいの?!」
「いいよ、大丈夫」
 ベッドの上で何周なのか分からないほど何度も読んでいる少女漫画を読んでいた詩が勢いよく上半身を起こすと「本当?」と目を瞬かせいった。
「本当だって。でも高校生同士で旅行なんてもちろん無理だから。親とか成人している同伴者が必要。だから日帰りではあるけど、プチ旅行っていうか、観光っていうか」

 詩が俺に見せてくれたあのやりたいことリストは既に半分以上達成している。
最後だけ空白だったからその内容を知りたいが、詩は今のところ俺に教えてくれることはないようだ。

「ええ~嬉しい!どこに行くの?」
「函館からなら札幌までなら朝から行けば日帰りで帰ってこられる。それ以上は日帰りでは無理だと思う」
「札幌で全然いいよ。でも…お金は?この間も花火したし、バイトだってもう終わったんだよね?」
「終わったよ。それなりに日給良かったから大丈夫。それに足りない分は親から小遣いを前払いしてもらっているから」
 詩は申し訳なさそうに「うーん、」と唸る。さすがに水着を買うとか花火を購入するとかそういうレベルの話ではないから素直に喜ぶことが出来ないのだろう。
逆の立場であればわからなくはないから詩の言いたいことはわかる。でも、もう詩のためにかき集めたお金であり、詩がいなければそもそも小遣いなど飲み物や食べ物代ほどしか使わない。前払いをしても痛くも痒くもないのだ。

「もう行くって決めたから」
「そんな…!」
「嬉しいって言ったじゃん、急に拒否しないでくれる?」
「反射的に嬉しいって言っちゃったの!でも…よく考えると良くないよ!」
「悪いことしているわけじゃないんだし、いいだろ」
 座椅子に腰かけて夏休みの課題をやる俺を一段高い目線で見下ろす。
バタン、と数学の分厚い青色チャート式を閉じてから詩を見ると目線が絡み合う。

「だって!近くの公園でピクニックとかでも十分楽しめるっていうか」
俺は視線を自分の太ももに移して静かに言った。
「俺が行きたいんだよ。もう少しで…詩は消えるんだろ」
「……」
 それはお互いに言わないようにしていたことだった。暗黙の了解で、刻一刻と迫るその時を俺たちは触れてはいけない。
詩も口を真一文字に結ぶ。数秒後に「いわないでよ、」と震えた声で言った。
“その時”は確実に来る。もしかしたら神様がまた気まぐれに詩を助けるかもしれないが、既に今起こっている現象は奇跡なのだ。俺と詩だけが知っている奇跡だ。
「言わないでって言われても来るんだよ。その時は」
俺の声も震えていたように思う。そしてそれは自分自身に向けた言葉でもあるように思った。

「もうっ!確かにそうだけど!でも…私は…できれば…」
詩はその続きを口にすることはなかった。既に時計を見ると22時を過ぎていて、今日は母親もいるからお互い小声で喋っている。それでも、語尾が荒くなると自然に声量が大きくなる。
「俺だってそうだよ」
 深呼吸をした。俺だってそうだ、できれば詩とこの先も一緒にいたい。それなのに既に俺の目の前にいる彼女は普通の人ではない。触れたら消えてしまう、そんな儚くて脆い存在だ。
 でも、よく考えると彼女が亡くなり、奇跡が起こったことによりこの時間を与えてくれたから俺と詩は出会った。
皮肉だと思った。この記憶を持ったまま、過去へ遡ることが出来れば彼女に触れることが出来るのに。ただ時間を戻しても俺と詩に接点はないだろう。きっと出会うこともなくこのまま一生を終えるだろう。

「蒼君も?」
「そうだよ、俺だって詩と出来ればこのまま一緒にいたいと思う」
 こんな歯の浮くようなセリフを口にできるのは時間が残されていないからだ。詩は泣きそうになりながらも笑顔を見せた。

「なんだ、一緒なの?私たち」
「一緒って?」
「できれば一緒にいたいっていう気持ちが同じってこと」
そうだな、と言うと詩は若干顔を赤らめる。本当にコロコロと表情が変わる彼女が俺は好きだ。後一押しで、あと少しで“好き”という言葉を伝えられるのに。もう告白に近いようなことを伝えているというのに。好きというたった二文字が喉の奥につっかえている。背中をほんの少し押してくれたらそれは簡単に言葉になって彼女に伝わるのに。
「えへへ、何だか照れるかも」
「じゃあとりあえず札幌観光はオッケーってことでいいよな」
「うん、いいよ。でも無理はしないでね、アルバイトも結構きつそうだったし」
「まだ若いんだから多少無理しても大丈夫だよ」

 それよりも、と心の中で続けた。
それよりも…詩との思い出作りの方が大切だ。詩の為でもあるが、同時に自分の為でもある。
それをすればするほど“残されたもの”として辛い日々が待っているというのに。
詩の家族や親友の顔を思い出した。