泳げないという詩がもしも溺れてしまい、詩を助けるために手を掴むなどということがあってはならないよう詩と決まりを作った。
絶対に浅瀬だけで楽しむこと、それ以上はダメ。そして人の多い場所にはいかないこと。

「海、冷たい―っ!」
「うわ、お前何すんだよ」

 詩が急に波打ち際にいる俺に向かって水を掛けてくる。最初にやったのはそっちだぞという気持ちで俺も夢中で詩にかけ返す。すると詩も本気になって俺に返してくる。
そうしているうちに、詩が尻もちをついた。
 髪まで濡れている彼女に咄嗟に触れようとした。だが、詩が叫んだ。
「触っちゃダメだよっ」
「…あ、ごめん。詩…?」
 詩は顔を上げて今にも泣きだしそうな表情で俺と視線を絡ませる。
「触れたら終わっちゃうんだもん」
「……」
「絶対、ダメだよ。私が転んでも何か危険なことが起こっても…絶対ね」

 分かっているよ、と返すと詩はいつも通りの快活な彼女に戻った。
夕方になりようやく俺たちは海水浴場を出た。後半はずっとシートの上で海を見ながら他愛のない会話をしていた。
 その間、もちろん食いしん坊の詩はかき氷に焼きそばに…と目がなく食べたいものは全部食べていた。

「今日は帰ったらもう一回漫画読もうかな」
「何回読むんだよ」
「だって…」
 アスファルトがようやく熱を吸収するのをやめたころ、俺と詩は家に向かって歩道を歩いていた。アスファルトを見ると俺の影だけが伸びている。
と、ここで急に俺のポケットに入れいてたスマートフォンが振動していることに気が付く。
電話だ、と言ってそれを取り出しディスプレイを確認すると見知らぬ番号からだった。

「誰?」
「知らない番号から」

 俺は通話ボタンを押してそれを耳に押し当てる。
もしもし、と声を出すが数秒受話器口の向こうからは何も聞こえない。無音だった。
悪戯電話かと思い切ろうとした、その時声がした。
「もしもし、」
「誰ですか」
 それはどこか聞き覚えのある女性の声だった。
唾を呑み込む音が聞こえたと同時にその女性は言った。
「詩の…友達です。美世です」

スマートフォンを握る手の力が自然に強まった。