この日、母親は比較的早くに帰宅していたようで玄関から見える光がそれを示していた。
詩は「大丈夫?私公園でもいいんだけど…」というが一人で公園に野宿させるわけにはいかない。誰かに見つかり、補導されれば一巻の終わりだ。
どうだってよかったはずなのに、暇つぶしのはずだったのに詩との時間を求めている自分がいた。楽しかったのだ、ただ単純に彼女と時間を過ごすのが。

「ここで待ってて。俺は母親の様子見てくるから」
「分かった…でも、無理しないでね。こんなことなら蒼君だけに見える幽霊の方が良かったな」
 困ったように笑う彼女にもう一度ここで待っているよう伝え俺は玄関ドアを開ける。
玄関には母親の靴が揃えておいてあった。
「ただいま」
 聞こえるか聞こえないか絶妙な大きさでそう言うとリビングから「おかえり」と声がした。
そのまま声のする方へ行くと母親はエプロン姿でキッチンに立っていた。

「蒼、おかえりなさい。今日は少し早く帰ってきたの。そういえば今日朝食食べたの?」
「うん、まぁ」
「へぇ、そう。料理できるのね。最近忙しくて出前ばかり取らせていたからごめんなさいね」
 一瞬ドキリとしたが母親は普段通りで特に何か疑っている様子はない。
俺はまだ料理中の母親の背中を確認すると気づかれないように玄関に戻った。
 そっと玄関ドアを開けると「入って」と小声で詩にいう。うんと静かに頷くと音を立てないよう詩は靴を脱ぎそれを抱えたまま二階を上がる。
自分の部屋に入ってようやく安堵の声を漏らした。詩も同様にその場にしゃがみ込む。
「明日は確か仕事があると思うから朝はいないと思う。夜にまた帰ってくる感じかな」
「分かった。でも明日は蒼君講習に行くんでしょ?」
「……」

 当然だという目を向けられれば拒否権はこちらにはないようだった。
バスの中で分かったと言ってしまったわけだし今更撤回も出来ない。

「その間、私蒼君の部屋に隠れているね!蒼君のお母さんも朝から仕事なら大丈夫だとは思うけど」
「分かった。夕飯は?どうする?」
「食べなくても大丈夫だよ」

 気にしないでと言われてもあんなに美味しそうにかつ丼を平らげていた詩を思い出すと罪悪感のような感情が募る。
とりあえず怪しまれないよう俺は詩を置いてリビングに向かった。階段を下りてすぐに母親が俺を呼ぶ。

「ちょうどできたところよ。早く食べましょう」

 うん、と短い返事をして俺は既にダイニングテーブルに並べられている料理を見渡したあと椅子を引いて座った。
母親と同時にいただきますと手を合わせ食べ始める。
この時間が苦痛でしょうがなかった。何を話すわけでもないのに、窮屈で窒息しそうになる。