唯は先生が何を聞いているのかさえ理解できなかった。先生の声は水の中にいるかのように遠くからくぐもった声で聞こえ、意味をなす言葉になっていなかった。
　近藤先生は近藤先生で、改めて見る唯の顔色の悪さに体調を心配し始めた。血の気が失せ顔は真っ白に青ざめ、かすかに体も震えている。
「どうしたの体調が悪いの？」と尋ねるが、これにも答えは返ってこなかった。『病気かしら？　それとも何か家庭で問題があったのかしら？』そう考えた近藤先生は、一旦唯を帰らせることにした。
「行っていいわよ、体調悪いみたいだから今日はゆっくり体を休めてね、また明日にでもお話ししましょう」と、帰ることを促した。

　同じ時間、近藤先生が唯と共に職員室に行った後の１組の教室。
「やったぁ、終わったぁ！」と先生の姿が見えなくなって数人の男子生徒がテストの開放感ではしゃぎ始めた。何人かの生徒がトイレに行き、何人かの生徒は帰り支度を始める。はしゃぎ始めた生徒はそのうち教室内で追いかけっこになり、逃げる男子のうちの一人の体が唯の机にぶつかって、倒れた。
　ガシャン！
　机の中から参考書が床に散らばった。
「あらら」
「お前片付けろよ」
「へいへい」と机を倒した男子生徒が仕方なく机を起こし、散らばった参考書やノートを拾い上げていると唯の顔写真とＡ４のコピー用紙が数枚落ちた。
「なんだこれ？」とそのコピー用紙をつまみ上げそれを読み始めた。
「うおぉ！　恥ず！　超恥ずい文章が出てきた」
「なになに？」
「ほら」
「なんだこれ、コムギと文太だって」
「どれどれ、私をここから連れ出してくださいだって」
「あれ、これ、唯じゃねぇ？　ウヘェ、これ唯がやってんだ」
「ちょっと見せてみろ」
　その文章を読んで男子生徒が笑い始めた。
　そこへ唯が帰ってきた。

　唯は文太とのやりとりを見て笑っている男子生徒を見てしまった。

　唯はそのまま走りだした。カバンも何もかも全てを置いたまま走り出した。
　ちょうどそこに３組の教室にいたたまれなくなった豪介がそっと出てきて、二人がぶつかった。
　牧園ゆかりは女子トイレから戻ってくると廊下でぶつかった二人を見た。
「ごめんなさい」豪介が謝りながら顔を上げると、唯と目があった。その目が尋常ではなかった。