泰二は、大西昌代が、どこの大学に決まったのか知らなかったので、OBの近くに座っている昌代のところに、おそるおそる近づき、
「どこの大学に行くの」
と聞いた。
すると、昌代は、
「都内の薬科大学よ」
と言い、大学の名前は、教えてくれなかった。
泰二は、
「よかったね。決まって」
「ぼくは、早稲田に決まったよ」
と言いながら、マドンナと少し話しができ、ラッキーと思いながら、男子が集まって座っている席に戻った。
 2時間ほどカトレアでコーヒーや、バナナパフェなどをそれぞれ食べながら、ワイワイ話しをして、解散となった。
 OBとOGは、その後、厚生年金会館の向かいのヘッドパワーというパブに行ったようだ。
 大学に通い始めた泰二は、授業に出たりしたが、麻雀仲間もでき、近くの雀荘で麻雀をする日も多かった。
 実は、泰二は、男同士で遊ぶ方が気が楽であった。
 しかし、ときどき、マドンナの顔を見たくなり、同じ代のテニス部のOB,OGの集まりを開いたりした。
そのときも、大西昌代がいるだけで満足であった。
 話しをしなくても、いるだけで良かったのである。
 泰二は、大西昌代と、二人でデートしようなどとは、恐れ多くて誘うことができなかった。
心のマドンナでありさえすれば良かったのである。
ちょっと話しができれば、それで満足であった。
 でも、心の中では、大西昌代の存在は、ふくれあがっていった。
 泰二が、大学4年になり、卒業研究は、原子核理論の研究室に入った。
その研究室では、大型計算機で、原子質量公式についての研究をすることになった。
大型計算機で計算結果をプリントアウトする用紙には、タイトルが書かれるようにするのだが、泰二は、Massformula(質量公式)とするところを、Masayoとプリントアウトするように、プログラムしていた。
そのプリントアウトした用紙を見るだけでもMasayoから昌代を連想できるので満足であった。
毎日、プリントアウトされる用紙にMasayoと書いてあり、卒論にも精が出た。
 泰二は、大学院に行きたがったが、推薦入試で落ち、大学院に行くのをあきらめ、急遽、大型計算機を卒論で使ってた関係で、コンピューターメーカーに就職することにした。
泰二は、大手コンピューターメーカーの大日本富士株式会社に決まった。
そして、卒論発表は無事終わり、卒業した。