「それならよいのですけれど……でも、お一人でここへ来るなど、なんて危険なことをなさるんです」

 まだ青ざめている顔で、皇太后は晴明を睨みつけた。晴明は涼しい顔で微笑み返す。

「おや? 私が負けるとでも?」

「そうは思いませんが、万が一ということが……」

「万が一も億が一もありません。私がたかだか張明などに負けるわけないではありませんか。仮に藍晶宮の中に二、三人の伏兵がいたとしても、すべて切り捨てる自信はありました。それに、うかつに近衛を連れてきて、私の本性を知られるのはまだ避けたかったので」

 その性格をよく知っている皇太后は、ため息をついた。

「そうだとしても、どうかもう二度とこのような危ない真似はしないと約束してください。見ているだけで寿命が縮みました」

「はい。わかりました」

 穏やかに笑んだ顔には、先ほどの冷徹さは一切残っていない。皇太后は、ようやく微かに笑んだ。

「助けてくれてありがとう。でも、どなたか私の他にも人質になっている方がいらっしゃるのでは……?」

 皇太后は、先ほど張明に小鳥と呼ばれた誰かが気になっていた。

「それも問題はありません。すでに手はうってあります」

 そう言って、晴明は皇太后の体を両腕に抱き上げる。

「何を……!」

「いつまでも母上をここに置いておくわけにはいきませんから。歩けないのでしょう?」

「……気づいていたのですか?」

 皇太后はほんのりと頬を染める。腰をぬかしたのは、皇太后も同じだった。晴明はそれには答えず、ただ笑んだだけだった。

 皇太后は小さく咳ばらいをすると、話をそらした。

「それはそうと、本当にあなたが来るとは意外でした。てっきり、天明が来るものだと……よくあの子が黙ってあなたをこちらへよこしましたね」

 母親である皇太后も、二人の皇子を完璧に見分けることができる。ただ、それができなかった龍可の手前、遠慮して区別がつかないふりをしていただけだ。

「天明は優しすぎます。私のように、彼らを始末することはできません。それに」

 晴明は、思わせぶりに言葉を切る。

「大切な小鳥は、自分で取り返したいそうです」

 それを聞いて目を丸くした皇太后は、ふ、と嬉しそうに笑った。

「そう。あの子に、あなたより大切なものができたのね」

「いずれ母上にも紹介いたしましょう。とても可愛らしい小鳥です」

「楽しみにしております」

 そして晴明は、藍晶宮の扉をあけて、待っている宰相たちのところへ戻った。

  ☆

 同じ頃。

 後宮で拉致された紅華は、手足を縛られて目隠しをされた状態で乱暴に箱に入れられ、馬車らしきものに揺られてどこかへと運ばれていった。辺りはさっぱりと見えないが、馬車が動いていた時間からして、どうやら後宮を出てしまったようだと紅華は推測する。

 馬車が止まると、紅華は箱ごとまた運ばれていく。下ろされた場所で箱から出され、どさりと置かれた場所は柔らかかった。感触からして、長椅子のようなものらしい。

(香の香り……?)

「おとなしくしていろ」

 さらわれた時と同じ声でまたそう言われると、ぱたんと扉がしまった。

 しばらく、じ、として様子をうかがっていた紅華だが、あたりに人の気配がないことがわかると、おそるおそる体を起こした。

 縛られた手のまま目隠しを外すと、紅華はあたりを見回して目を瞬く。

 揃えられた豪華な調度品といいあたりに漂う上品な香の香りといい、誘拐という行為にそぐわない立派な部屋だった。

「どこなの、ここ……?」