(陛下は大丈夫だったかしら)

 その夜、夕餉を終えても紅華はそわそわと落ち着かなかった。

 外朝の様子は、後宮までは聞こえてこない。あの後晴明がどうなったのか、紅華は気になって仕方なかった。


「私、陛下の様子を見てまいります」

 同じようにそわそわしていた睡蓮が、そう言いだした。

「いいかしら。もう遅くなるけれど」

「おそらくお部屋にいらっしゃると思いますので、女官に聞けば陛下がどのようなご様子だったか聞けると思います」

「そう? それじゃ、お願いするわね」

 睡蓮は急ぎ部屋を出て行った。だが、かなり待っていても戻ってこない。

(もしかして、あれからさらに具合が悪くなったのでは……)

 次第に不安になってきた紅華は、いてもたってもいられずに自分もこっそりと部屋を出た。

 晴明の住まう宮は、後宮の入り口に近いところにある。

 普段なら女官や侍女の姿がある後宮も、夜はその姿が見えず静まり返っていた。しんとした暗い後宮を、紅華はぱたぱたと足早に急ぐ。

 ほどなく晴明の部屋の前にたどりつくと、紅華は少し迷ってからその扉をたたいた。

「はい」

 中から聞こえた声に、紅華はわずかに瞬いて扉を開ける。

「夜分に、失礼いたします」

「紅華殿」

 卓に座ったままで驚いたように目を瞠ったのは、晴明ではなく天明だった。机上には、まるで執務室のようにたくさんの書類が置かれている。

「どうしました? もう夜も遅いですよ」

「今日はよくお会いいたしますね。陛下は、どうなされました?」

 それを聞いて晴明のふりをやめた天明は、不安げな紅華に笑んでみせる。

「本当にお前は間違えないんだな。……心配ない。痺れもとれたし、なんの後遺症も残ってないよ。今はもう休んでる」

「よかった」

 紅華は、ようやく緊張がゆるんだ。

「それはそうと、なんで天明様が?」

「留守番、兼、宿題の片付け」

 紅華は、まだ新しい墨の匂いのする書類の束を見渡した。

「勝手に御璽など使ってよろしいのですか? 皇帝陛下のお仕事でしょう?」

「だから、内緒にしておいてくれ。晴明には許可をもらっている」

「はあ。そうだ。睡蓮がこちらにきませんでした?」

 その言葉に、天明はのんびりと微笑む。

「晴明についているよ」

「そうですか。わかりました。陛下のご無事がわかれば一安心です。失礼いたします」

 そのまま戻ろうとした紅華を、天明がひきとめた。

「せっかく来てくれたんだから、茶につきあえ」

 軽く伸びをしながら、天明が立ち上がる。よほど長い間、座ったままだったのだろう。

「でも、こんな夜更けに陛下以外の男の方と二人でいるのは」

「私はあなたの夫ですよ? 何を遠慮することがありますか?」

 爽やかな晴明の笑顔で言われて、思わず紅華は吹き出してしまう。

「そんなこと言われたら、断れないじゃないですか」

「笑ったな」

「え?」

 紅華が見返すと、天明は目を細めて紅華を見ていた。

「俺の前でそんな風に笑ってくれるのは、初めてだ」

「そ、そうですか?」

「ああ。普段もかわいいが、笑うとさらに可愛さが増す」

「は?! あ、あの……!」

 紅華は動揺して言葉が出なくなる。とたんに、天明も声をあげて笑った。