もう少し、彩度が高めだっただろうか。
記憶を投影しながら、私は思い出のピントを調整する。

結婚と同時に引っ越してきたこの街。そこに妻と住み始めて、娘が産まれてからも日課のように通った近くの公園。
ブランコや砂場、ジャングルジム、気をてらった遊具などない至って普通な公園だ。
そんな平凡な場所に私の思い出は佇んでいる。

私はその公園のベンチに座り、もうだいぶ使い慣れたARグラスに手をかけ、アプリケーションを起動する。

「―― In Memory ――」

古めかしい女性の機械音声とともに、グラスの見えている視界にいくつかの円形にくり抜かれたような写真が浮かぶ。保存された記憶メモリのフォルダだ。
サングラス型の立体投影が見える、記録媒体。
物理的なグラスの形というのも、だいぶ古い型となってしまった。

円形に並ぶそれらに目をむけ、少女の笑顔が描かれたものに視界を定め、記憶の再生が始まる。
今日、私はその思い出達に別れを言うために、現実を少しだけ拡張する。

「お父さん! もっとこっち!」

木枯らしが舞い、紅葉が流れていく中で目の前の広い景色に、
娘の美咲(みさき)の姿が半透明に映り始める。
小さな手を招いて元気に呼んでいる姿。
これはだいぶ前、この時は確か幼稚園の頃だったか。

この頃から私は、この古いARグラスを使い、娘の様子を立体映像として保存していた。場所や人をグラスで見て、捉えることで、見たものをそのまま記録として残す。
今となっては、立体映像で記憶を残し、思い出をその場所で共有することは当たり前となっている。

この記憶を撮影した時はまだ一般的ではなかった技術を、エンジニアの自分は自作のアプリケーションを家族の思い出を残すことに使い、とても幸せな瞬間をそこに収めていた。

「あ、しおりちゃん! あっちで遊ぼう!」

友達が来たようで彼女は振り返ってあちらに走っていく。
それと同時に彼女の姿が輝く粒子が風に舞うように、その場から消えてしまった。
当時の立体映像の特性上、彼女の後ろ姿まではデータで残せていなかったためだ。
このベンチに座って見ていた、その角度から見えていたその瞬間だけが、思い出の記録として残っていた。

私はその姿を見届け、彼女を追いかけるように重い腰を上げて、歩き出した。
ベンチの左手にある小さな砂場の方に向かっていく。

砂場に目を向けると、また別の思い出がそこに投影される。
今度は小学校ぐらいだった頃だろうか。

娘が手足に砂を浴びながら、砂場で不恰好なお城を作っている時の様子だ。
熱心に作っている様子だが、どこか不服そうな顔をこちらに向けている。

「......いいの、これがかっこいいの!」

ノイズが混じった大きな声でそう叫んでいる。
彼女は少し意地になった顔になって、やたらと塔がそびえ立つ歪な形状の砂の城を作り続けている。この時の私はなんて声をかけたんだってか。

私は砂場に近づき、その砂の塔の投影に手を被せる。
触れることはできない、思い出の半透明の形。
私は砂をかき集め始め、彼女が作っている塔に重なるように形作る。
半透明な塔を、今この場に実際に触れれるように、私は思い出の彼女と一緒に砂をそこに集める。
盛り上がってきた砂の塊は、中々そのそびえ立つ塔のようには形作れない。

「意外と難しい形を作ってたんだな。はは」

そう私は呟きながら、思い出と同じ形になりきれなかった、不恰好な砂の塊を後にして砂場から立ち上がる。

さっきのベンチから見て、対称な位置にあるのは錆びかかった青色のブランコだ。
今度はそこに向かいながら、場所を認識したグラスが思い出を検索し、投影し始める。

「お母さん見てよ。お父さんめっちゃ下手」

そんな声がグラスから聞こえるが、なんの姿も見えない。見る角度が悪かったか。
これはいつの思い出だったか思い出しながら、私はそのブランコに近づいていく。
声の感じだと、中学生ぐらいだったと思う。

ブランコに近づき、私はそこに腰掛けて、公園の内側に視点を向けた。
そうした瞬間、半身で少し欠けた彼女の立った姿が、私の体の中から抜け、空高く飛んでいった。やたらと元気に立ち漕ぎをする彼女の姿。
その後ろ姿を追いかけるように私は視線を向ける。

「お父さん見てて、こう、やって、勢い、つけて、やる、の!」

そんな声を隣のブランコに向けて声をかけている。
あの時、私はあっちのブランコから見ていたか。

私はそのまま、彼女の後ろ姿を追うような形で、座っているブランコを漕ぐ。
彼女はやっぱりブランコが上手い。私も必死に漕ぐ。触れることのないその思い出に追いつくように。
それでも彼女はどこまでも早く、私の体をすり抜けていくように漕ぎ、空高くその姿を伸ばしていっていた。

どうやっても追いつくことのできないその背中を見送り私はブランコを降りる。
そして、またあのベンチに腰を下ろして少し休憩をする。

ARグラスに手を触れて、しっかりかけなおし、ピントを定める。
私は一番最後のメモリのフォルダに視界を定め、目の前に視界を向ける。
そして投影が始まる、これが最後の記録だ。

「ありがとうね、お父さん」

制服に身を包んだ彼女の後ろ姿。
これは高校生の卒業式の日だったはずだ。桜が舞い散る、そんな春の日だった。
今、彼女は紅葉の季節の公園にその後ろ姿を見せている。

私は視界の前に手を伸ばし、手のひらに操作用のインタフェースを表示する。
手のひらの上に表示されるのは、円形の中にさまざまな風景が閉じ込められたような操作板。
その中の一つを片方の手でつまみ、私は空に投げる。

そうすると、視界の上から視界を覆うような、桜色の花びらが待って落ちてくる。
満開の桜の木でも足りないような、雨のような桜吹雪。
彼女の周辺が一面桜で埋まってしまう。

「ちょっとこれはやりすぎか」

と、笑いながら一瞬私は思うも、その景色を改めて目を見開いて、目に留めえう。
赤い紅葉と桜色の半透明な葉が舞う、ちょっと派手すぎるとさえ思える風景。
そんな二色の吹雪の中に、太陽を背に、紺色の制服と白く輝く彼女の表情が確かな輪郭を持って、そこに現れていた。

「ねえ、お父さん、今年は風も強くなくて綺麗に桜咲いたね」

そんな微笑みを佇む彼女の姿を見て、私はきっとあの時も、そんな美しい景色をそこに見たんだと、思い出に記憶を馳せる。
頭に残る記憶の残像よりも、なぜか私の見た記憶はこちらだったのではないかなと、そう思えるほどその景色は私の心情を投影していた。

「これで、さよならか」

そして、最後の記録の再生を停止する。
色鮮やかだった視界はフィルターを外したかのように彩度を落とし、私の見ていた記憶の景色が移ろい消えていく。
決して忘れることはないが、これでお別れだ。
もう、しばらく振り返ることはないだろう。

思い残すことはきっとない。
そんな思いを胸の中に感じながら、私は振り返ってきた記憶の景色を網膜に焼き付けるように目を瞑った。

そして、目を開いた時、そこには彼女が大人になった姿がはっきりとした形で視界に映る。
彼女は一歩ずつ歩き近づいてくる。そして、手を伸ばして、私に微笑みかけた。
私はその手に手を伸ばし、しっかりと握り返す。確かな感触を感じながら、私は立ち上がり、彼女に声をかけた。

「すまん、少し思い出に浸って感傷的になってた」

「何やってんのかと思ったよ、お父さん遅いんだもん。もう荷物の準備できたんだし、出発するよ」

そう言って彼女は私をいつも急かす。いつも彼女が先を行き、私を呼ぶ側だ。

「そういうなよ。この公園も最後だぞ」

「よく遊びに来たよねここも。うん、あ、グラス見てたの? 私にも見せてよ」

そういって彼女はこめかみ辺りに手を触れて、私の思い出のフォルダと同期して、景色を見る。
彼女のものは、今となっては新型のコンタクト型のもので、ぱっと見は何もつけていないように見える。

「えー、すごく懐かしい、こんな時の様子も撮ってたんだ。よくできてるじゃん、このアプリ」

「お父さん、これでも美咲の思い出を残したくて、頑張って作ってたからな」

「さすがエンジニア。でも、こんな綺麗な景色じゃなかったんじゃない? 感傷的過ぎないかなぁ」

「いいんだよ。私には、そう、見えたんだよ。きっとそれはこれからお前にもわかる」

「そう言うもんかなー」

そんな話をして、

「新しい家の近くにも公園はあるかな」

「どうだったかな。またあっちに着いたら散歩でもするか」

「そうね。お父さん、またベンチに座って考え事してそうだけど。じゃあそろそろ出発するよ! 早く!」

そう彼女は声をかけ、紅葉の中を駆け足に去っていく。
そして振り返り、私をせかしながら手を招く。
その姿は半身でも半透明でもなく、確かにはっきりと見えた姿で、私の脳裏に記憶が刻まれる。その一瞬も美しく、その場所に溶け込み、記憶と記録として残っていく。

私はグラスを外しながら、アプリケーションの電源を落とす。
そして私はここに確かにあった思い出に別れを告げ、次の思い出を、記憶と記録に刻むため、彼女を追いかけていく。