「人口の灯りが無いと、夜空がこんなに綺麗なんだな」

宮中でも最も良い客間に通された彼女は、空を見上げて呟いた。そして「はあああ」と大きな溜め息と共に、窓にもたれかかる。

『如何した。我が鞘よ』
「物凄く緊張しました…。物凄く疲れた…」

光と共に顕現した銀大神(しろがねのおおかみ)は、『はて』と小首を傾げた。

『堂々と振る舞っているように見えたが』
「いや人見知りしてましたよ。私は凄い人見知りなんですよ。まあ人見知っていられる状況じゃないから、かなり無理していただけで」

実はそうなのである。さゆら達と会った時から内裏に至るまで、彼女はひたすら極度の緊張状態にあった。要するに「シラナイヒトイッパイ。ニンゲンコワイ」である。しかし同時に「人見知ってる場合じゃねえ!」と常に常に自分を奮い立たせていたのだ。

銀大神(しろがねのおおかみ)は微笑み、両手で彼女の手を優しく取った。

『ならば、私の前ではありのままのそなたでいると良い。これから永劫、共に在るのだから』
「永劫?」

彼女は疑問符を上げた。

「えーと。(しろがね)の神様とは、この葦原の中津国の困り事の解決の為の間柄じゃないんですか?喫緊の問題が解決すれば余裕ができて、私を元の世界に帰す算段が付くかなと思っていたんですけど」

そこまで考えたからこそ、勅命も二つ返事で了承したのだが。
しかし銀大神(しろがねのおおかみ)は、意外そうな顔で首を横に振る。

『そなたは私の鞘だ。刀と鞘は共に在って然るべきであろう』

彼女の手を握ったままの銀大神(しろがねのおおかみ)は、その白皙の頬をぽっと赤らめた。

『私にとって鞘とは、人間の言う所では伴侶にあたる。いずれ、そなたには私の(つま)として、その身でも心でも私を受け入れて欲しい』

………………………。

彼女は呆然としつつも状況を理解してはいた。要するに、これは求愛か。求婚か。
何せ彼女は三次元(げんじつ)の恋愛というか異性にまるで興味の無い、筋金どころか鉄骨が入ったオタクである。つまり全く未知の事象に困惑しているが、同時にこれはいい加減に対処及び対応してはいけない事だと理解もしていた。

「…勉強とか瘴気の事とか、やらないといけない事が多過ぎるので、愛や恋を考える余裕が無いんですが…」
『うむ。そなたならそう言うと思っていた。今はまだ、それで良い』

既に彼女の性格を把握しているらしく、にこにこと笑いながら銀大神(しろがねのおおかみ)は頷いた。彼女の手を握っていた片手を、彼女の頬に優しく添える。

『これから長い旅になるだろう。だがどうか、その旅の果てに、私を受け入れておくれ』

やはり優しく『ゆっくり休め』と言い、銀大神(しろがねのおおかみ)は姿を消した。

何の前触れも無く別の世界に来てしまったけれど、立ち位置も展望も確保できたと思っていた。そこへいきなり神様からの求婚である。
勉強に役目に恋愛。特に最後の一つが、自分には難し過ぎると彼女は思った。

兎にも角にもこのようにして、彼女の異世界生活は始動したのである。