今となっては伊織の真意は分からないが、あの嘘はきっとしぐれのためのものだ。雨の日に踊ると死者に会えるなんてきっと出鱈目だ。自分がいなくなってもしぐれが後を追ったり、ふさぎこんでしまったりしないようにという心遣いだろう。

 伊織はそれを僕に伝えることはなかったが、僕はそう思っている。なぜなら僕が伊織の立場だったらきっと同じようにするからだ。

 伊織の最期の言葉は「しぐれを頼む」だった。しぐれの家までの道のりを口頭で伝えられた。なのに、肝心の例の舞の踊り方とやらは教えてくれない。当たり前だ。「死者を呼ぶ舞」なんて実在するわけがないのだから。

「教えてよ、伊織ちゃんに会うための踊り」

 僕は、体が弱く人より外遊びをする機会の少なかった伊織でも踊れるような簡単な舞を適当に教えた。どうか雨が降らないでほしいと祈った。次の雨が降る日までは嘘がばれないから。その日までは、しぐれが希望を持って生きてくれるから。

 しかし、無情にも雨の日はやってくる。しぐれは伊織が死んでから最初の雨の日に踊ったが、当然伊織と会えるわけがない。彼女は憔悴し、今にも衰弱死しそうだった。

「きっと神様が、私と伊織ちゃんがは会っちゃダメだって言ってるんだ」

 しぐれは伊織の言葉を嘘だと疑うことはなかった。

「伊織ちゃんがあやかしで、私が人間だから悪いんだ。伊織ちゃんはあやかしだから踊ったら死んだ人と会えるけど、人間の私が踊っても伊織ちゃんに会えないんだ」

 しぐれがどの時点で伊織をあやかしだと認識していたのかは分からない。しかし、彼女なりに伊織の言葉がすべて真実であることを前提に伊織と会えない理由を探すとそういったロジックが組みあがったのだろう。

「伊織ちゃんが会いに来てくれない世界になんていたくないよ。もう死にたい」

 しぐれは雨の中ずっと泣き続けた。綺麗な目を真っ赤にはらしていた。日に焼けていない白い肌も、綺麗な長い黒髪もすべてがボロボロになったしぐれを僕は見ていられなかった。

 あの日、泣き続ける彼女に僕は告げた。

「あるよ、人間じゃなくなる方法。あやかしになる方法。昔、伊織に聞いたんだ」

 彼女の瞳がまだ黒かったあの時、彼女はつぶらな瞳を僕に向けた。

「ほんとに?」

 この世界の全てのあやかしのことを知っているわけではないから、先天性のあやかしがどういう経緯で生まれるのか僕は分からない。あやかしの子供だからあやかしになるのか、突然変異であやかしになるのか知ったことではない。

 そもそも先天性のあやかしというものが存在するのかさだかではない。だって、伊織は後天的にあやかしになったから。

「そうだよ、人魚を食べると、あやかしになれるって昔伊織が教えてくれたんだ。人魚の心臓を食べると不老不死になる。人魚の肺を食べると、寿命が短くなる代わりに妖術が使えるようになるんだ」

「伊織ちゃんは、人魚を食べたから未来予知ができたの?」

「そうだよ。だから、人魚を二人で探しに行こう」

 僕はその頃、もうだいぶ背が伸びていた。夜に外を歩いていても追いはぎや人攫いに遭うことはない。悪い奴等からしぐれを守る。たとえ悪いあやかしが出たって生身の体でしぐれを守る。人間の底力を見せてやる。そう決意した。

 その日から毎夜、浜辺で打ち上げられた人魚を二人で探した。