夜鹿が冷慈と暮らし始めて、濁らない水の中で漂っているような気分でいるのが不思議といえば不思議だった。
 二人とも働くことが一日の中心だから、朝起きて仕事に行くまでと、仕事から帰って眠るまでしか普段の時間はない。けれどその短い時間の中に生活が詰め込まれているのだから、家事のやり方一つで喧嘩になってもおかしくないはずだった。
「夜鹿、出られる?」
「はい」
「行こう」
 でも付き合っていた頃もそうだったように、冷慈とは喧嘩になる気配もない。彼は夜鹿に怒りの矛先を向けることもなければ、自分の殻に閉じこもることもなかった。
「ごめん。ちょっと寝坊した」
「時々昼も寝てますけど、眠いんですか?」
「うん。だめになってたら起こして」
 急ぎ足で仕事に行くのだって夜鹿の生活を変えたには違いないのに、呼吸をするように受け入れている自分がいた。過熱するような感情はどこにもなく、昔からそうだったような気さえしていた。
 仕事の間も冷慈とはほとんど四六時中同じ部屋にいるが、だから苛立つかというとそうでもなかった。冷慈の監督と指示の下で仕事をするのは、夜鹿の日常にはめこまれているように当然だった。たまに彼の目から離れて別の部署に行くだけでも、少し頼りない気持ちになるくらいだった。
 一日は早くも遅くもなく一定の速さで過ぎて、やがては二人とも仕事を終える。後は一日おきに買い物をして帰るくらいで、どこかに遊びに行きたいとも特に思わない。
「寄りたいところがあるんだ」
 珍しく冷慈が寄り道をしたのは、家具店だった。夜鹿も彼もさほど家具にこだわりがなく、少しだけ不思議だった。
 店に着くなり彼が熱心に選び始めたのは、子ども用のベッドだった。大きさも高さも彼の中でほとんど決めているようで、普段にはない熱をもって検分する。
「まだだいぶ先です」
 夜鹿が苦笑して言葉をかけると、彼はそうだねと照れたように笑った。
「……ずいぶん前から待っていたから」
 冷慈は愛おしげにベッドをなでて、それは子どもをあやす仕草にも見えた。夜鹿はふと、その仕草は彼が夜鹿の手を取り、なだめるときにも似ているように思えた。
 冷慈は決して乱暴さはないが、夜鹿を懐にしまうように守り、ある意味では支配している。夜鹿もその関係を望んでいるから、彼に抗う日はきっと来ない。
 彼のゆりかごの中で育てられた子どもが、子どもを産む。それは不自然なようで、とても幸せな未来に思う。
「おいで、夜鹿。帰ろう」
 どこか鎖に似た手につながれて、夜鹿は彼の日常に接合していく。