夜鹿の会社は琥珀街の木々に水を巡らせ、その水を浄化する生業も行っている。
 琥珀街は至るところに並木道のあるところで、その水を巡らすのは重要な仕事だった。水道というと公共の仕事にも思えるが、夜鹿には関わりのない部署で公の機関と取り決めがされて、区別されていると聞いた。
 夜鹿は化学者の一人として、会社の管理する並木道の樹木を点検することがあった。水質を調査し、樹皮から生育状況を確かめていた。
 美しい木であるからといって、健康とは限らない。夜鹿は大学でそう学んだ記憶があるが、琥珀街の樹木は退屈なくらいに病理が発見できない。
 少し歩み、立ったまま樹皮を調査しては、また少し歩む。琥珀街の並木道には特異な種や色はなく、整然と同じ木が続く。
 ふと顔を上げると、木立の間から陽光が差し込んでいた。緑より灰に近いような色と肌触りでぱらぱらと夜鹿の頬に落ちてくる。
 光をみつめた直後にそうであるように、夜鹿が顎を引いたとき、世界が一瞬暗闇に沈んだ。
 けれどその暗闇は白昼夢を伴って、夜鹿は立ったままそこに森を見ていた。
 そこには密林のように枝葉が垂れ下がり、重そうにいくつも実を結んでいた。それは母体の樹から過酷なほど養分を奪って、今にも母体を殺めてしまいそうに思えた。
 ついに枝では支えきれず、人の頭ほどにふくらんだ真っ赤な実が枝を離れて落ちたとき、夜鹿は両手を差し出してその実を受け止めようとした。
「先を急ぐことはないよ」
 背中を支えられて我に返ると、点検に同行していた冷慈の腕が回っていた。
 立ち仕事を続けたための貧血だったのか、雑音に似た頭痛が襲ってきた。冷慈に助けられて縁石に腰を下ろして、持ち合わせの水を渡される。
 水を喉に通して深呼吸すると、平常で整った並木道だけが辺りに広がっていた。不安にとらわれて冷慈を見上げると、彼は先ほど夜鹿の背を支えたように優しくその不安を受け止めた。
「僕は「早く」「果実」を産むように……そういうやり方は教えてない。過去や世界のどこかでは、そうだとしても」
 それは仕事のすべなのか、それとも二人だけのときに話すささやかな未来のことなのかわからなくて、夜鹿はまた視界が少しかすんだ。
 冷慈はそのどちらのことも含んだらしかった。夜鹿によく水を飲ませて休ませると、時間をかけて夜鹿が回復したかを確かめていた。
 もう歩けますと、夜鹿はそう口にした。けれどどこまでも続くような並木道にまだ目がくらんでいる自分に気づくのは、時間がかかりそうだった。