会社で冷慈と夜鹿の関係を言い表すとすると、親子という言葉が一番近いように思う。
夜鹿には機構図だけで見知っている上司がいるが、会社は社員ごとに詳細な教育を施していて、上司との関係はほとんどなかった。入社したときから夜鹿は一つの職責を持っていて、各部門から指示を受けて仕事を進めていた。
「夜鹿、何に見える?」
でも淡白な人間関係に思える会社の仕組みに反して、夜鹿は冷慈にだけは仕事の一つ一つを手作業で教わっている。
「実……のように見えます」
「そう。おめでとう。夜鹿の初めての成果だよ」
冷慈が葉をめくりその下に宿るものをみつめる目は、慈しみで満ちている。研究対象を見るより、それはもっと親密な感情のように思う。
夜鹿もまた、主人に水を与えられる植物のようだった。冷慈は優しく、慈愛をもって夜鹿に知識と仕事の進め方を教える。体調が優れなければ労わり、植物を叱る者などいないように、そこに荒い感情はどこにもない。
「社の目的は果実を得ることではないと聞きました」
ただ子どもは親の愛情を独占したがるもののように、冷慈から特別なものを受け取ることを望んでいる自分がいる。
夜鹿の声はすねた子どものように聞こえただろうか。冷慈は優しく夜鹿の感情をなだめて言葉を返した。
「持続していくという目的には、実は不可欠なものなんだよ」
夜鹿の勤める会社は、農業とも製造業とも区別のつかない生産行動を行っている。社は植物を生育し、加工物を作り、琥珀街の生活に貢献しているらしいが、その個々の部門は名前も知らない社員たちの分業で成り立っている。
「ちょっと疲れたかな。休憩しよう」
今の夜鹿に任されているのは、温室の一角の植物に水と肥料をやって、日々温度と養分をはかり、実をつけるところを見届けるまで。
今しがたまで夜鹿が日夜みつめ続けた植物たちは、別の部門の社員が台車に乗せて運んでいく。その先でどんな加工がされるのか、最終的にどのような姿になるのか、想像がつかなくて少し胸が痛んだ。
冷慈がポットからコーヒーを淹れて差し出してくれた。夜鹿は就職するまでコーヒーを飲む癖はなかったのに、この社で飲むコーヒーは苦くも胃を痛めることもなく、気が付けばいつも口にしている。
「子どもたちはまた戻って来るよ」
夜鹿は冷慈のように、育てた植物を子どもたちと呼べない。自分と植物は、主人といつか殺められる家畜の関係のようで、そこに愛情を挟むには残酷に思えるから。
社員たちが植物を運び出して姿を消した後、冷慈はその繊細な指先で夜鹿の手を包んだ。
手を握り返すにはここは職場で、けれど振り払うことはできないままもう片方の手でコーヒーを一口飲んだ。
コーヒーの香りは、先ほど実の側で鼻先をかすめた匂いと同じような気がして、鈍い違和感を抱いた。
赤道直下で育つコーヒーが実をつけるとしたら、ここはどこにあるというのだろう。
「おいしい?」
冷慈が指先をくすぐったから、子どものようにはにかんでうなずいた。
いつ飲んでも同じ味がするコーヒーは、今日もとても美味しい。
夜鹿には機構図だけで見知っている上司がいるが、会社は社員ごとに詳細な教育を施していて、上司との関係はほとんどなかった。入社したときから夜鹿は一つの職責を持っていて、各部門から指示を受けて仕事を進めていた。
「夜鹿、何に見える?」
でも淡白な人間関係に思える会社の仕組みに反して、夜鹿は冷慈にだけは仕事の一つ一つを手作業で教わっている。
「実……のように見えます」
「そう。おめでとう。夜鹿の初めての成果だよ」
冷慈が葉をめくりその下に宿るものをみつめる目は、慈しみで満ちている。研究対象を見るより、それはもっと親密な感情のように思う。
夜鹿もまた、主人に水を与えられる植物のようだった。冷慈は優しく、慈愛をもって夜鹿に知識と仕事の進め方を教える。体調が優れなければ労わり、植物を叱る者などいないように、そこに荒い感情はどこにもない。
「社の目的は果実を得ることではないと聞きました」
ただ子どもは親の愛情を独占したがるもののように、冷慈から特別なものを受け取ることを望んでいる自分がいる。
夜鹿の声はすねた子どものように聞こえただろうか。冷慈は優しく夜鹿の感情をなだめて言葉を返した。
「持続していくという目的には、実は不可欠なものなんだよ」
夜鹿の勤める会社は、農業とも製造業とも区別のつかない生産行動を行っている。社は植物を生育し、加工物を作り、琥珀街の生活に貢献しているらしいが、その個々の部門は名前も知らない社員たちの分業で成り立っている。
「ちょっと疲れたかな。休憩しよう」
今の夜鹿に任されているのは、温室の一角の植物に水と肥料をやって、日々温度と養分をはかり、実をつけるところを見届けるまで。
今しがたまで夜鹿が日夜みつめ続けた植物たちは、別の部門の社員が台車に乗せて運んでいく。その先でどんな加工がされるのか、最終的にどのような姿になるのか、想像がつかなくて少し胸が痛んだ。
冷慈がポットからコーヒーを淹れて差し出してくれた。夜鹿は就職するまでコーヒーを飲む癖はなかったのに、この社で飲むコーヒーは苦くも胃を痛めることもなく、気が付けばいつも口にしている。
「子どもたちはまた戻って来るよ」
夜鹿は冷慈のように、育てた植物を子どもたちと呼べない。自分と植物は、主人といつか殺められる家畜の関係のようで、そこに愛情を挟むには残酷に思えるから。
社員たちが植物を運び出して姿を消した後、冷慈はその繊細な指先で夜鹿の手を包んだ。
手を握り返すにはここは職場で、けれど振り払うことはできないままもう片方の手でコーヒーを一口飲んだ。
コーヒーの香りは、先ほど実の側で鼻先をかすめた匂いと同じような気がして、鈍い違和感を抱いた。
赤道直下で育つコーヒーが実をつけるとしたら、ここはどこにあるというのだろう。
「おいしい?」
冷慈が指先をくすぐったから、子どものようにはにかんでうなずいた。
いつ飲んでも同じ味がするコーヒーは、今日もとても美味しい。