「それね、僕が開発した新しい薔薇なんだ。気難しい子で、この微妙な色を出すのに本っ当に苦労したんだよ。ようやく、一つだけ花をつけてくれた」
気さくに言いながら少年は私の前を通って、私が触れていた薔薇の足元にひしゃくで水をそっと流す。
言われてみれば、群生している他の薔薇に囲まれて、それは一本だけで凜としてまっすぐ立っていた。
「とても、綺麗ね。素敵な色だわ」
薔薇の種類や名前なんて知らない。紫より薄くてピンクよりは濃い、赤色とも違う。その色がなんていう色なのかわからないけれど。
決してお世辞ではなく、私はその薔薇が綺麗だと思った。
「勝手に触ってしまってごめんなさい。せっかくの薔薇が、傷ついてないといいのだけれど」
私が言うと、少年は少しく目をみはって、それから微笑んだ。
「大丈夫だよ。こう見えて、結構丈夫なんだ」
「よかった」
ほ、として私は、その薔薇に視線を落とした。
「あなたが愛情込めて育てたのがわかるわ。この子、とても誇らしく咲いているもの。愛されていることをよくわかっていて、それに応えようとがんばったのね。この子も、あなたも素敵だわ」
うらやましいな。私はこんなよれよれのぼろぼろなのにね。
短い沈黙の後、少年が明るく言った。
「僕だけが見てたんじゃもったいないと思ってたから、お客様が来てくれて嬉しい。ねえ、君、ヒマ? よかったら、一緒にお茶でもどう?」
「え?」
お茶って……
我に返った私は、当初の目的を思い出した。
「その前に、一つ聞いていいかしら」
「何?」
「あなたは、悪魔かしら?」
私の質問に、少年は目を丸くして私を見つめた。
「僕は自分が悪魔だなんて思ったことないけど。どうして?」
「この山の奥には、心の臓と引き換えに願いをかなえてくれる悪魔がいるって聞いたの。私、悪魔を探しにきたのよ」
少年は、んー、と首をかしげて考えこむ。そんな仕草は、やけに子供っぽい。
「僕もここに住んで長いけど、悪魔にはまだ会ったことないなあ」
「そう……」
私は、力が抜けてそこにへたりと座り込む。ここじゃなかったんだ。
そうよね、悪魔の家って、もっとどろどろしたところに違いないもの。こんな風に、美しい薔薇の咲き乱れるような庭は、悪魔の雰囲気に似合わない。……と思う。本物の悪魔なんて見たことないから知らないけど。
「大丈夫?」
少年は、私の隣にしゃがみこんで聞いた。
「大丈夫よ。ただちょっと、がっかりしちゃっただけ。また、探しにいかなくちゃ」
「悪魔を探してるの?」
「ええ」
よっこらせ、と私は立ち上がる。と、ふらり、とめまいがした。
いけない。きっと、お腹がすき過ぎたせいだわ。
倒れそうになって、とっさに伸ばしてくれた少年の腕につかまってしまう。
私はあわてて手を離した。
「あ……!」
「え?」
私のあげた声に、少年が自分の腕に視線をむける。彼の着ていた白いシャツ、私が触れた部分に、転々と赤い血がついていた。さっき、枝で切ってしまった時の手の傷だ。
「ごめんなさい! 服が……!」
「ああ、作業着だから大丈夫。よく自分でも泥だらけに汚したりするんだ。それより、君の手は大丈夫?」
少年は私の腕を持ち上げて、手を平を広げさせた。そこには、土や埃にまぎれて赤い血がにじんでいる。
「まずは、汚れを落とそうか」
言いながらもう一度私と一緒にそこにしゃがみこむと、丁寧に水桶の中で手を洗ってくれた。
「大丈夫みたいだね。ほら、傷なんてない」
「……え?」
少年が見ていた自分の手を覗き込むと、汚れの落ちた手には微かな傷一つ、ついてはいなかった。
「あら……?」
おかしいな。さっきまで切り傷がいくつかあったと思ったんだけど……
「でも、確かに……」
顔を上げた瞬間、豪快に私のおなかが鳴った。
「……」
「……」
ごまかしようのない事態に、私の頬が熱くなる。少年は、にこりと邪気のない顔で笑って立ち上がった。
「ちょうど、ベリーのパイが焼けたんだ。一人で食べるのも味気ないから、一緒に食べてくれる?」
「……ありがとう。いただくわ」
うう。あまりの恥ずかしさに逃げ出そうかとも思ったけど、結局、焼きたてのパイの魅力に負けてしまった。
☆
気さくに言いながら少年は私の前を通って、私が触れていた薔薇の足元にひしゃくで水をそっと流す。
言われてみれば、群生している他の薔薇に囲まれて、それは一本だけで凜としてまっすぐ立っていた。
「とても、綺麗ね。素敵な色だわ」
薔薇の種類や名前なんて知らない。紫より薄くてピンクよりは濃い、赤色とも違う。その色がなんていう色なのかわからないけれど。
決してお世辞ではなく、私はその薔薇が綺麗だと思った。
「勝手に触ってしまってごめんなさい。せっかくの薔薇が、傷ついてないといいのだけれど」
私が言うと、少年は少しく目をみはって、それから微笑んだ。
「大丈夫だよ。こう見えて、結構丈夫なんだ」
「よかった」
ほ、として私は、その薔薇に視線を落とした。
「あなたが愛情込めて育てたのがわかるわ。この子、とても誇らしく咲いているもの。愛されていることをよくわかっていて、それに応えようとがんばったのね。この子も、あなたも素敵だわ」
うらやましいな。私はこんなよれよれのぼろぼろなのにね。
短い沈黙の後、少年が明るく言った。
「僕だけが見てたんじゃもったいないと思ってたから、お客様が来てくれて嬉しい。ねえ、君、ヒマ? よかったら、一緒にお茶でもどう?」
「え?」
お茶って……
我に返った私は、当初の目的を思い出した。
「その前に、一つ聞いていいかしら」
「何?」
「あなたは、悪魔かしら?」
私の質問に、少年は目を丸くして私を見つめた。
「僕は自分が悪魔だなんて思ったことないけど。どうして?」
「この山の奥には、心の臓と引き換えに願いをかなえてくれる悪魔がいるって聞いたの。私、悪魔を探しにきたのよ」
少年は、んー、と首をかしげて考えこむ。そんな仕草は、やけに子供っぽい。
「僕もここに住んで長いけど、悪魔にはまだ会ったことないなあ」
「そう……」
私は、力が抜けてそこにへたりと座り込む。ここじゃなかったんだ。
そうよね、悪魔の家って、もっとどろどろしたところに違いないもの。こんな風に、美しい薔薇の咲き乱れるような庭は、悪魔の雰囲気に似合わない。……と思う。本物の悪魔なんて見たことないから知らないけど。
「大丈夫?」
少年は、私の隣にしゃがみこんで聞いた。
「大丈夫よ。ただちょっと、がっかりしちゃっただけ。また、探しにいかなくちゃ」
「悪魔を探してるの?」
「ええ」
よっこらせ、と私は立ち上がる。と、ふらり、とめまいがした。
いけない。きっと、お腹がすき過ぎたせいだわ。
倒れそうになって、とっさに伸ばしてくれた少年の腕につかまってしまう。
私はあわてて手を離した。
「あ……!」
「え?」
私のあげた声に、少年が自分の腕に視線をむける。彼の着ていた白いシャツ、私が触れた部分に、転々と赤い血がついていた。さっき、枝で切ってしまった時の手の傷だ。
「ごめんなさい! 服が……!」
「ああ、作業着だから大丈夫。よく自分でも泥だらけに汚したりするんだ。それより、君の手は大丈夫?」
少年は私の腕を持ち上げて、手を平を広げさせた。そこには、土や埃にまぎれて赤い血がにじんでいる。
「まずは、汚れを落とそうか」
言いながらもう一度私と一緒にそこにしゃがみこむと、丁寧に水桶の中で手を洗ってくれた。
「大丈夫みたいだね。ほら、傷なんてない」
「……え?」
少年が見ていた自分の手を覗き込むと、汚れの落ちた手には微かな傷一つ、ついてはいなかった。
「あら……?」
おかしいな。さっきまで切り傷がいくつかあったと思ったんだけど……
「でも、確かに……」
顔を上げた瞬間、豪快に私のおなかが鳴った。
「……」
「……」
ごまかしようのない事態に、私の頬が熱くなる。少年は、にこりと邪気のない顔で笑って立ち上がった。
「ちょうど、ベリーのパイが焼けたんだ。一人で食べるのも味気ないから、一緒に食べてくれる?」
「……ありがとう。いただくわ」
うう。あまりの恥ずかしさに逃げ出そうかとも思ったけど、結局、焼きたてのパイの魅力に負けてしまった。
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