「心配した。また、どっかに消えるんじゃないかって・・・・・・!」

もう二度と離さないと言わんばかりに、時仁は早苗をきつく抱き締めて離そうとしない。
『また』、ということは、過去に消えたことがあるのだろうか。
だがこれで一つ、過去の手がかりが増えた。

「大丈夫よ。私は消えたりしない」

「記憶なんかもうどうだっていいんだ。早苗ちゃんが俺の全部を忘れたままでも俺はいいんだよ。だから、一人で悩んだりなんかしないでくれ!」

時仁が早苗の肩に顔を埋めた拍子に、また鈴が鳴る。

「早苗ちゃんがあの男に着いてったかもって思うと、俺は・・・・・・」

「そんなことありえないわ」

六檀について行くなんて、そんなことは絶対にありえない。
しかし、彼の言葉に心が揺らいだのは確かな事実だ。
どうしてあんな言葉に騙されてしまったのか、自分で自分を信じられなくなる。
それでも、早苗は絶対に時仁の傍を離れたりしないと約束する。

「嘘だ。早苗ちゃんは、俺のこと好きじゃないんだから・・・・・・」

何を不安がっているのかと思いきや、まさかそんなことだったとは。
さっきまでの鬼迫はどこへやら、甘えたがりな子犬のように早苗に頬を寄せている。
これほど毎日共に暮らしてきて、あんなに近い距離にいるのに伝わらないなんて。
まったく、恋愛とはややこしいものだ。

「捨てたりなんかしないわ」

時仁を宥めるように、自分の気持ちを素直に口に出す。

「だって私、あなたのことが好きだもの」

「え」

予想外だなんて言わないで欲しい。
そもそも、好きでもない男からの口づけなんか受け入れたりしないのだ。
早苗の居所が分かるように、妖術のかかった鈴を身につけさせたり、早苗が悲しんでいる時には笑顔にさせようと必死になってくれたり。
あの時の口づけだって、人前でそういうことをするのは苦手なのに、早苗のためにわざとしたのは分かっている。
今だって、必死になって探して助けに来てくれた。
目が覚めた時からもうずっと、時仁にこんなに愛されて、好きにならないわけが無い。

「本当に・・・・・・?」

「ええ」

早苗は時仁を見つめ、はっきり言う。

「もう一度、あなたのことを好きになったのよ」

「早苗ちゃん・・・・・・!」

二人して雪の中で抱きしめあって、その拍子に転がったりして。
着物が雪に塗れるのも構わず、そうしていると、ふと、早苗の頭の中に似たような光景が浮かび上がってきた。

「前にも、こんな風に雪の中を転げ回ったことがあった・・・・・・」

郷にいた頃の出来事だろうか。
断片的だが、今より少し若い時仁が、雪を背景に早苗に向かって笑顔で手を伸ばしていた。
今年の冬が記憶を失ってから時仁と過ごす初めての冬なので、これは過去のことになる。

「思い出した?」

「ちょっとだけね」

驚く時仁に、いたずらっぽく笑い返した。

「帰りましょう、日和堂へ」

六檀のことも遠十郎に報告へ行かなければならない。
まだまだやることは山積みだが、もう早苗は先程までのように悩んだりはしなかった。

ほんのちょっとした気の迷いからだったが、どうにも自分は大切なことに気づいていなかったようだ。

記憶が戻らなくても、自分を治せなくても。
時仁が隣にいてくれるのなら。
よそ見なんかしなくたって、早苗を一番大切にして慈しんでくれる彼がいるなら大切なことを見失ったりしない。
失くした記憶の欠片は、こうやって時仁と一緒に少しずつ拾っていけばいいのだと。