依頼を受けたのは早朝の出来事だったので、帰り道はすでに十時頃になっていた。
静かだった通りも、賑わっている。
隣で時仁が、ぐうと腹を鳴らした。

「そういえば、朝ごはん食べ損ねた・・・・・・」

「帰ったら作るから我慢しなさい」

かつてはどうだったのかは知らないが、時仁は早苗の作るご飯が大好きだ。
特に凝ったりしているわけではないが、早苗が作ってくれたという事実だけでも至上の食事になるらしい。
なんとなく複雑な気持ちになるが、時仁がそれでいいのなら早苗もそれでいいのだが。

「今日の早苗ちゃんもかっこよかったぞ」

にこにこ笑ってそう言ってくれるが、なかなか早苗の気持ちは上がらなかった。

「・・・・・・そう」

「あれ。嬉しくない?」

ひと仕事終えたあとなのに、どこか沈んでいる早苗に、時仁はなにか気分を悪くさせてしまったのかと動揺している。

「だって結局・・・・・・あんなの、きれいごと、じゃない」

成海に散々言った言葉は、結局のところ綺麗事にしかならない。

「それがいいんだよ。あの人たちには、そのきれいごとが必要だったんだからさ」

確かに、あの家に流れていた暗い気を浄化するにはそういう言霊が必要だったことは分かっている。
だが、早苗はどうしても言い表せない歯がゆさを抱えてしまう。

「都合のいいことばっかり言って、自分のことすら治せないくせに偉そうにして、私は・・・・・・」

どれほど奇病を祓うことができても、自分の記憶はどうしたって治せやしない。
その事実だけが唯一、早苗の心にわだかまりとなって固く重くのしかかっている。
そんな未熟者の言葉に、なんの価値があるのだろうか。
全部忘れた薄情者の自分の隣で寄り添ってくれる時仁を見ていると、どうしても、それだけが早苗の心を覆い隠してしまう。

だが、早苗が次の言葉を紡ぐことは無かった。
少し無遠慮に、時仁の唇が、早苗の唇に重なる。

「そういうこと言う口は、黙らせようかな」

いたずらっ子のような口調で、妖しい笑みを浮かべている。
ほんのわずかな口づけだったが、早苗を黙らせるには十分すぎるほどだった。