依頼主の女性に連れられてきた家は、水明町から少し離れた先にある小さな家だった。
彼女の両親は商いをしており、今は仕事に出ている。
患者の妹は眠っているそうで、やけに静かで重苦しい雰囲気の中、妹の眠る部屋へと入らせてもらう。

成海(なるみ)、祓い師の方々に来てもらったわよ。もう大丈夫だからね」

狭い部屋で、成海という名前らしい妹は、布団にくるまるように横たわっている。
顔はこちらに見えないようにしているのか、向こうに顔を向けて全くこっちを見やろうともしない。

「姉さん・・・・・・何を言っているの。祓い師だなんて、もうやめてちょうだい。どうせその人たちだって、霊験あらたかなんだとか言って変な水や札を置いていくだけなんだから」

なんとまあ、悲しいことに彼女たちは偽物に騙され続けてしまったようだ。
成海はもううんざりといった様子で、苛立ちすら感じられる。

「まあなんてことを言うの!この方たちは、遠十郎さんから紹介してもらったのよ。今までの祓い師とはわけが違うの」

「遠十郎さんが・・・・・・!?」

成海の声色が一気に跳ね上がった。
彼女も遠十郎のことが好きなのだろう。
水明町の女性たちが遠十郎に向ける黄色い声とまるっきり同じだった。
まったく遠十郎も罪な男だ。そこかしこの女性を夢中にさせておきながら当の本人は色恋沙汰に毛ほども興味を持たないのだから。

だが遠十郎の話を聞いて少しは喜んだと思ったら、成海はすぐに落ち込んでしまった。

「でも、私のこんな姿を見たら、きっとあの人も私のことを嫌いになってしまうのだわ」

顔を腕で覆っておいおい泣きはじめた。
この調子では埒が明かない。

「そんなことないって。遠十郎は見た目で人を判断するやつじゃない。ま、俺に言われたって納得いかないだろうけどさ」

「確かに、遠十郎さんはそういう方ですけれど・・・・・・」

時仁の言葉に、成海は上手く言い返せずに口ごもる。
この隙にと、早苗はそっと彼女の元へ近づき話しかけた。

「初めまして、成海さん。私は祓い師の早苗と申します。あなたはどのような病を患っているのですか?」

「あら、あなたが祓い師だったの?遠十郎さんが紹介してくれたのだから、話はしますけど・・・・・・」

最初に話しかけた時仁の方を祓い師だと思っていたようだ。

「でもこれを見たら、きっとあなたも怯えて逃げ帰るわ」

隣にいる時仁が、ごくりと生唾を飲んだ。

ゆっくりと体を起こし、こちらを向いた彼女の半身は、『植物』に覆われていた。
蔦がびっしりと肌に絡みつき、所々で芽が出たり、花が咲いたりしている。
素肌が出ている部分でもそうなのに、衣服には妙にでこぼことした膨らみがあるので、服の下はもっと悲惨なことになっているはずだ。
まるで、樹木に寄生されてしまったかのような異様な容貌で、確かにこれを見た人々は恐ろしくてひっくり返るだろう。

だが、早苗はこれで動じるような祓い師ではない。

「なるほど」

ただ一言、ぽつりと。

「化け物だって、言わないの・・・・・・?」

成海は驚いたように、目を見開いている。
だがその目は充血していて、何日も泣き腫らしたであろう疲労が見えた。

「言いませんよ。安心なさってください」

化け物もなにも、早苗はあやかしたる時仁と毎日寝食を共にしている。
物の怪だろうがなんだろうが、そんなの今更だ。
人によっては樹木の物の怪に見えるだろうが、早苗からしたら草木の精霊に見えなくもない。
それに、この手の症状には見覚えがあった。

「あなた、何か植物の種のようなものを食べませんでしたか?」

「種・・・・・・?」

成海は姉と顔を見合わせて首を傾げる。

「種かどうかわかんないけど、これのことかしらねぇ」

姉が持ってきたのは、飾りのつい小さな丸い箱だった。
化粧道具の一種か何かのような見た目をしているが、中に詰まっているのは紅でも白粉でもない。
ぱかりと蓋を開けると、乾燥した小さな木の実のようなものが何粒も入っていた。

「時仁」

そっと一粒つまみ上げ、彼に手渡す。
時仁はそれを眺めてから、すん、と匂いを嗅いだ。

「ああ、これは・・・・・・『花樹羅草』の種だな」

時仁の声色が険しくなっていく。
聞きなれない名前に、姉妹はきょとんとしている。

「この世にはない・・・・・・隠世のものだ」

「ということは、もしや・・・・・・」

時仁はゆっくりと頷く。
嫌な予感しかしなかった。

「これ、どこの誰から貰ったんだ?」

時仁がそう聞くと、成海は恐る恐る答えた。

「薬売りの方から買いました。美容にいいと仰っていて、その時はみんな薬を買っていたし、まさか私だけこんなことになるなんて、そんな・・・・・・」

「それは、六檀天山(ろくだんてんざん)という男でしたか?」

早苗の言葉に真っ先に反応したのは、姉の方だった。

「そうよぉ!たしかそんな名前の人だったわ!知ってたのね」

勢いに気圧されつつも、なにがあったのか話を聞いてみる。

「最近、ううん、少し前かしらね。若い女の子たちに、美容とか健康に良いって薬を売りに来た人がいたのよ。なんだか、見たことも無い珍しい商品を安く売っていてね、物珍しさにみんな集まってて、興味を引かれて買っちゃったのよね」

「そうでしたか・・・・・・」

六檀天山という名の男は、異界の物や呪物を、そうとは知らせずに人に売りつけるという恐ろしい行為をしている人物だ。
最近になって出没するようになったが、それ以降から祓い師の協会でも問題視されており、皆で一丸となって捕縛に向けて策を練っているが、六檀をなかなか捕まえられずにいる。
奴は以前は行商人として現れ、呪物を売りつけていたが、その次は遠くで卸問屋をしているとの情報がはいっていた。
それが、いつの間にかこちらまで戻っていたのか、今度は薬売りときた。
現れる度、職業だけでなく年齢や姿かたちまでも変わるので、いくら警戒していても六檀だということに気づけなかったりもする。
一体いくつ仮面を持っているのやら、腹立たしいことだ。
祓い師たちの中では、実は六檀は複数人いて、入れ替わりで悪事を働いているのではという説も浮上したりしている。

奴は知識のない一般の人にとっては、極悪非道な存在でしかない。
成海は不運なことに彼の企みに巻き込まれてしまったのだ。
おそらく、他の人に売った薬は乾燥させた豆や木の実を入れているのだろうが、一つだけ本物を混ぜておき、どの人間が当たるのか試していたのだろう。
以前も同じようなことをしていて、引っかかった人から早苗に診てほしいと依頼がきた。
おそらく遠十郎がこの姉妹に日和堂を紹介したのも、遠十郎も情報を仕入れており、六檀ではないかと疑っていたからだったのだろう。

そうして、成海に起きたことの見立てを全て彼女たちに話すと、成海は呆然としたように項垂れてしまった。

「私が迂闊だったから・・・・・・騙されてしまったんです。どうして、こんな・・・・・・」

「そう落ち込まないでください。不安にならなくても大丈夫ですよ」

その手の謳い文句なら誰だってつられてしまうものだ。
周りの空気に飲まれたのもある。
悪いのは悪人であって、決して成海が責められる必要などない。

だが、何度諭そうとしても、成海に早苗の声は届かない。

「もういいんです・・・・・・きっと私はこのまま、死んでしまうのだから。こんな化け物になってまで、生きたいなんて思わないわ」

「いいえ、そんなことはありません」

「そうよ、成海!どうして諦めてしまうの!」

姉も加勢して、成海を宥めようとしてもますます酷くなる一方。
成海は火がついたように、激昂してしまう。

「うるさい!こんな、こんな化け物になった私の気持ちなんて誰にも理解できないのよ!もううんざり!早く殺してちょうだい!」

その言葉に、姉は何も返せず、涙を堪えながら俯いてしまった。
周りに知られたくないはずだろうに、わざわざ日和堂まで訪ねてきて、妹の為ならとできる限りの策を尽くしてきた姉としては、その拒絶の言葉は何よりも辛いものだ。
家中に漂っていた重苦しい空気が、ますます増していくようだった。
これ以上、このやり取りを続ける意義はないだろうと、早苗は割り込むように淡々と口を開いた。

「そうですね、他人の気持ちなんて一生かけても分からないものです」

「だったらなんで・・・・・・!」

「分からないものを他人に求めるより、今は確かな結果を私に求めてください」

「え・・・・・・?」

思わぬ返しに戸惑っている成海をよそに、早苗は札を一枚取り出し、彼女の腕に貼る。

「『応えよ』」

その瞬間、札が青白くまばゆい光を放つ。

「な、なに・・・・・・!?」

姉は腰を抜かして驚き、成海も怒りを忘れて、幻でも見ているかのような驚愕の表情になる。
早苗は構わず、力を込めながら話を続けた。

「言霊という言葉があるように、言葉は力を持ち、やがてそれは祝福になり呪いにもなります。あなたが自分を責める言葉を、自分を蔑ろにする言葉を吐く度に、それは呪いとなってこの植物と共にあなたを縛りつけてしまいます」

先程から成海は、自暴自棄になって自らを傷つけるような言葉しか言わなくなってしまった。
あの様子を見るに、ああいったやり取りは何度も繰り返していたのだろう。
ここまで酷い状況になっているのもそれが原因だ。
この家に来た時から、漂う鬱屈とした空気に察しはついていた。
そういうものは、呪詛を育てるにはうってつけの素材になるからだ。

「治したいのなら今すぐ口を閉じなさい。あなたの本当の望みは、『それ』じゃないでしょう。現実に悲嘆するだけでは何も変わりません」

「要するに、早苗ちゃんが言いたいのは、これが治るか治んないかは、あんたの気持ち次第だから頑張れってことさ」

力を込め続けている早苗の肩を、時仁が支える。

「でも、気持ちって・・・・・・」

「『花樹羅草』は、霊力を吸って成長する植物だ。そんで、吸い尽くして咲き誇ったあとは、枯れるだけ」

「あなたの体にある僅かな霊力の流れを止めて、代わりに私が種に霊力を溢れるほど注いでいる状況です。あなたが弱気になってしまえば霊力の流れに影響がでてしまうのですよ」

これは、『花樹羅草』という異界の植物の特色を逆手にとった戦法だ。
取れないのなら、いっそ最後まで咲かせて枯らせてしまえばいい。

「私がありったけの霊力を送り込んで、すべて咲かせてしまえば、あとは力づくで引っこ抜かなくても剥がれますから・・・・・・っ」

くらりときてよろめきそうになるが、時仁の腕が早苗を抱きとめる。

「無理はするな。俺を頼れ」

なかなか見ることのできない、時仁の真剣な表情だった。
植物を咲かきるには、普通の人間なら命に関わるような量の霊力を必要とする。
元々霊力が高く祓い師をしている早苗ならば問題はないが、苦しくないわけではない。
真冬だというのに早苗の額に汗が浮かび、腕は震える。
だが、数ある祓い屋の中から日和堂を選んでくれたのなら、その思いに応えたいのだ。

「早苗、俺のを使え」

「・・・・・・っ、ありがとう、ございます」

早苗を支えていた時仁が、霊力を早苗に流し込む。
純然たるあやかしの時仁の方が霊力は高く清らかだ。
なんの耐性のない人間に流し込むのは危険だが、耐性のある早苗を介してなら危険性はなくなる。
清らかな霊力を感じ、苦しかった胸がすぅっと楽になっていくようで、少しだけ、早苗は時仁に体を預けた。

植物はどんどん育ち、大輪の花をいくつも咲かせるが、それはすぐに萎んでいく。
そうして、しばらくすると彼女の半身をおおっていた蔦や花がぼろぼろと枯れて灰になっていった。

「もう大丈夫ですよ」

懐から持ち歩いている手鏡を取り出して、成海に渡してやる。

「本当・・・・・・!元に戻ってるわ!」

鏡に映っているのは、植物に体を覆われたりなんかしていない、ただの涙目の女性だ。

「成海、成海!よかったわ、本当によかったわ」

姉がぎゅっと抱きついて涙を流す。
何度も成海の名前とよかったという言葉を繰り返しては、また涙を流す。

その時、成海の体の影から、黒い母家のようなものが離れて消えようとしていた。
早苗がそれに気づき、時仁に声をかけようとした時にはすでに、彼は動き出している。

「・・・・・・っ、よっと!」

持ち前の素早さでばっと手を伸ばして捉えたそれは、逃げるのを諦めたのか小さな紙切れに形を戻してしまった。
狛犬のあやかしの手中にあるのだから、逃げようとするだけ無駄なことだ。

「い、今のは・・・・・・?」

「お気になさらず。塵を捕まえただけですので」

塵とは捕まえるものであったかと不思議そうにしているが、彼女たちに六檀のことを深入りさせるのはまだはばかられるだろう。

「六檀が式神を使役しているという説は、本当のようね」

「あとで遠十郎んとこ行くか」

明らかに不自然な式神は、どう考えても六檀のものだ。
ご丁寧にも成海が苦しむ様を見ていたらしい。
これらも全て遠十郎に報告して、あとは解決を願うばかりであろう。

これにて治療は無事に終了。
あとは姉妹水入らずの時間で、と早苗たちは代金を貰って帰っていく。
こういう時、早苗はこの仕事をしていて良かったりするのかもしれない、と思ったりするのであった。