朝餉の後は再び部屋に戻された。
 一人になり、もう一度、逃げようと試みたものの、やはり襖も窓も開かない。

「ふぅ……」

 溜め息をつき、庭の見える窓辺に座り込む。硝子窓で遮られているけれど、部屋の外には縁側があり、太陽の光が当たって温かそうだ。
 日本庭園は綺麗に整備されている。芝が敷き詰められ、丸く刈られた低木が点々と植えられていた。奥には小さな滝があり、庭を横切るように川が流れている。野山の風景のようにのどかな庭だ。

「なんだか落ち着くお庭……」

 私はぼんやりと庭を眺めた。山鳩が飛んできて、地面をついばんでいる。

 真継様はどうなされているだろう。
 養い親のことを思い出し、胸がぎゅっと痛くなる。
 昨夜、鵺に襲われた時、確かに真継様の声が聞こえた。私を助けに来てくれたに違いない。それなのに私は炎華に囚われて、このような場所にいる。
 炎華の屋敷から逃げ出すことはできるだろうか。私がいなくなり、真継様はきっと心配しているに違いない。鵺がどうなったのかも気になる。私が仕留め損ねた鵺を、真継様や兄弟子たちが倒してくれたのだろうか。もし、誰かが怪我でもしていたらどうしよう。
 自分の行動を後悔し、私は膝を抱えると、額をつけた。
 ごめんなさい、真継様……。

 あれはいつのことだっただろうか。私が真継様のお屋敷に引き取られて、間もない頃だったと思う。
 ふと、夜中に目を覚ました私は、一人で寝かされていることに不安を感じ、母親恋しさで泣き出してしまった。

「おかあさん……おかあさん……」

 布団から這いだし、廊下に出ると、私は母親を探して歩き始めた。
 当時はまだ真継様のお屋敷の間取りもわからず、うろうろしているうちに道に迷い、もといた部屋にも帰れなくなった。
 辿り着いたのは、離れに続く渡り廊下。庭を横切る廊下は真っ暗で、私は恐ろしさのあまり足をすくめた。

「あ……ううっ……」

 前にも後にも動けなくなり、その場にしゃがみこんで泣いていると、

「千代。こんなところにいたのですね」

 少し焦ったような真継様の声が聞こえた。顔を上げて振り向くと、寝間着に羽織を掛けた真継様が、足早に私のもとまでやってきて、膝をついた。

「様子を見に行ったら部屋にいなかったので、驚きましたよ。どうしたのですか?」

 私の濡れた頬を手のひらで拭い、優しく尋ねた真継様に、

「お、おかあさん、さが、して……」

 私はしゃくり上げながら答えた。

「そう……。千代のお母さんはね、ここではない黄泉の国に行ってしまったのです。だから、もう会えないのですよ」

 真継様は、私の両手を握り、優しく言い聞かせた。

「よ、よみの、くに? どこ? ちよもいく」

 ぽろぽろと涙をこぼす私に、真継様は少し困った顔をした。

「千代は生者だから行けません」

「いく。いくもん……!」

 真継様が、ぶんぶんと頭を振る私をぎゅっと抱きしめ、気を静めさせるように背中を軽く叩く。

「ひとりはいやぁああ……!」

 体を押しのけようとする私を、さらに強く抱きしめ、真継様は耳元で、

「千代は一人ではありません。私がいます」

 と、囁いた。

「私が千代の親となり、千代を守りましょう」

「大丈夫、大丈夫……」と繰り返し背中を撫でられ、わあわあと泣いていた私の気持ちが次第に落ち着いていく。

「ひっく……ひっく……」

 私の嗚咽が小さくなると、真継様は私の体を抱き上げた。

「お部屋に帰りましょう。今夜は一緒に寝てあげますね」

 真継様の着物をぎゅっと掴み、小さくこくんと頷く。

「良い子です。――それから、千代。もうここへ来てはいけませんよ。離れには近づいてはいけません。あそこには恐ろしいものが封じられているのです」

 恐ろしいものと聞いて、私はびくんと体を震わせた。暗闇の中に化け物が潜んでいるような気がして、あれ以上、渡り廊下の先に行かなくて良かったと思った。
 真継様の胸に抱かれて部屋へ戻る途中、私は眠りに落ちていた。

「そういえば、あれ以来、離れに近づいたことってないな……」

 懐かしい思い出と共に、私は、時雨邸の広大な敷地の片隅にある、古びた離れの存在を思い出した。真継様から言い付けられていたので、行こうと思ったこともないし、むしろ、存在すら忘れかけていた。
 真継様は「恐ろしいものが封じられている」と言っていたけれど、一体何が封じられているのだろう。
 強大なあやかしか何かだろうか。
 思い出したら、妙に気になってきた。
 屋敷に帰ったら、真継様に聞いてみようか。……帰ることができたならば、だけれど。