屋敷の者に見つからないように、時雨邸の中を進む。住み慣れた場所なのに、まるで迷路に迷い込んでしまったかのように、自分たちがどこにいるのかわからない。
「おかしいわ……。こっちに来れば玄関に行けるはずなのに……」
先ほどから、同じ場所をぐるぐる回っているような気がする。
真継様が屋敷に呪をかけているのだわ。
焦りで、額に汗が滲む。
「千代様、いつになったら外に出られるのでしょうか」
不安そうな小花に、私は「大丈夫」と笑いかけた。彼女たちを無事に炎華のもとへ返さなければ。
「こちらへ行きましょう」
小花と咲を促し、廊下の角を曲がった私は息を呑んだ。
「どこへいくのですか? 千代」
目の前に真継様がいた。
口元は微笑んでいるけれど、瞳は暗く冷たい。
「真継様……」
「大切な商品を逃がすなんて、いけない子ですね」
「商品?」
すぐに、小花と咲のことを指しているのだとわかり、かっと頭に血が上った。
「小花と咲は商品などではありません!」
「異形のあやかしは珍品です。子供ならばそれほど力もない。美しい容姿をしている者も多い。世の中には、そういった商品を欲しがる好き者もいらっしゃるのですよ」
ぞっとした。
あやかしを欲しがる人間とは、どのような人種なのだろう。売られたあやかしの子供たちは、どうなるのだろう。
「そんなの……絶対に許さない」
小花と咲を助けてみせる。
私は兄弟子から奪った札を手に取った。
あやかしでもない真継様相手に使って効果があるのかどうかはわからないけれど、今、私の武器といえるものはこれだけだ。
真継様に反抗することは躊躇われた。けれど、今、目の前にいる真継様は、私を慈しんでくれた真継様ではない。ぎゅっと目をつぶり、自分にそう言い聞かせる。
「炎よ爆ぜろ! 急急如律令!」
私は叫ぶと、炎の呪が書かれた札を放った。札は火の玉に変わり、真継様の足元に落ちた途端、燃え広がる。
「小花、咲、逃げるのよ!」
二人の少女は、私の合図で駆け出した。
私は油断なく真継様を見つめた。真継様は、余裕の表情を浮かべ、ふっと片手を横に振った。その途端、燃え盛っていた炎が消える。真継様の着物も、髪の筋一本さえも、焦げてはいない。
「あなたごときの力で、陰陽師の長を害せると思ったのですか?」
滑るようになめらかな動きで、真継様が近づいて来る。
怖い。
真継様を怖いと感じる日がくるなんて思わなかった。
肉食獣に睨まれた小動物のように動けない。
「私の可愛い鬼の少女。最初は、お前の母親と同じように、殺してしまおうと思ったけれど、お前は幼いながらも美しかった。育てばいかようにも利用価値があると思い、手もとに置いてきました。あなたは素直で、私を盲目的に信頼した。それなら、私が可愛がってやっても良いかという気になっていましたが、反抗するなら、もういりません」
真継様の言葉に、私は息を呑んだ。
お母さんを殺した……?
「千代、お母さんは、少し出かけてきます。千代は絶対にこの家から出ては駄目。誰か来ても戸を開けてはいけません。お母さんは必ず戻りますから、いい子で待っているのですよ」
母の言葉が脳裏に蘇った。
一気に、かつてあばら屋で起こった出来事を思い出す。
ああ、そうか。母は陰陽師に襲われたんだ。真継様は、残された鬼の子である私を殺しに来たんだ。死にかけていた私を助けようとしてくれたのは炎華。でも、真継様たちに撃退されて、私を置いて逃げるしかなかったんだ……。
私は真継様を、きっと睨み付けた。
「あなたはお母さんの仇。あやかしの敵」
真継様が懐に手を入れた。取り出した札を宙に巻く。落葉のように舞った札は、鷹や虎、蛇に変化した。猛獣たちが一斉に私に向かって襲いかかってくる。
「キャアッ!」
思わず悲鳴を上げた時、目の前の空間にヒビが入った。
ヒビをこじ開けるように姿を現したのは炎華だ。
「遅くなって悪かったな、千代」
ちらりと私に視線を向けた後、炎華は猛獣たちに向かって手のひらを向けた。パチッとまばゆい光が爆ぜ、私は目をつぶった。直後に、どぉんと大きな音がする。
恐る恐る目を開けて見れば、廊下に大穴が開き、猛獣たちの姿は消えていた。焼け焦げ破れた札が落ちている。
「今度は、あんたを燃やし尽くしてやる」
いつの間にか、炎華の頭に角が生えていた。両手に炎が灯る。脅しの言葉に、真継様の顔から余裕の笑みが消えた。
「あの時、千代を助けられなかったことを、俺はずっと後悔していた。千代を、もうあんたの手には渡さない」
「たかが齢百年の鬼が生意気を言う……」
「これ以上、あんたたちがあやかしに害をなすなら、こちらにも考えがある。あやかしの力を舐めるな。一族郎党、滅ぼされたくなければ、今後一切、俺たちに関わるな」
「……異形め」
「あやかしたちの願いは、ひっそりと静かに生きて行くこと。お前たちが何もしないなら、こちらも何もしない」
炎華と真継様はしばらくの間、睨み合っていた。
先に視線を逸らしたのは真継様だった。
真継様は何も言わなかったけれど、炎華はそれを了承と取ったのか、
「約束は守れよ」
と念を押し、私の体を抱え上げた。
「きゃっ」
「首につかまっておけ。飛ぶ」
言われた通り、炎華の首に両手を回すと、視界がぐにゃりと歪んだ。
「おかしいわ……。こっちに来れば玄関に行けるはずなのに……」
先ほどから、同じ場所をぐるぐる回っているような気がする。
真継様が屋敷に呪をかけているのだわ。
焦りで、額に汗が滲む。
「千代様、いつになったら外に出られるのでしょうか」
不安そうな小花に、私は「大丈夫」と笑いかけた。彼女たちを無事に炎華のもとへ返さなければ。
「こちらへ行きましょう」
小花と咲を促し、廊下の角を曲がった私は息を呑んだ。
「どこへいくのですか? 千代」
目の前に真継様がいた。
口元は微笑んでいるけれど、瞳は暗く冷たい。
「真継様……」
「大切な商品を逃がすなんて、いけない子ですね」
「商品?」
すぐに、小花と咲のことを指しているのだとわかり、かっと頭に血が上った。
「小花と咲は商品などではありません!」
「異形のあやかしは珍品です。子供ならばそれほど力もない。美しい容姿をしている者も多い。世の中には、そういった商品を欲しがる好き者もいらっしゃるのですよ」
ぞっとした。
あやかしを欲しがる人間とは、どのような人種なのだろう。売られたあやかしの子供たちは、どうなるのだろう。
「そんなの……絶対に許さない」
小花と咲を助けてみせる。
私は兄弟子から奪った札を手に取った。
あやかしでもない真継様相手に使って効果があるのかどうかはわからないけれど、今、私の武器といえるものはこれだけだ。
真継様に反抗することは躊躇われた。けれど、今、目の前にいる真継様は、私を慈しんでくれた真継様ではない。ぎゅっと目をつぶり、自分にそう言い聞かせる。
「炎よ爆ぜろ! 急急如律令!」
私は叫ぶと、炎の呪が書かれた札を放った。札は火の玉に変わり、真継様の足元に落ちた途端、燃え広がる。
「小花、咲、逃げるのよ!」
二人の少女は、私の合図で駆け出した。
私は油断なく真継様を見つめた。真継様は、余裕の表情を浮かべ、ふっと片手を横に振った。その途端、燃え盛っていた炎が消える。真継様の着物も、髪の筋一本さえも、焦げてはいない。
「あなたごときの力で、陰陽師の長を害せると思ったのですか?」
滑るようになめらかな動きで、真継様が近づいて来る。
怖い。
真継様を怖いと感じる日がくるなんて思わなかった。
肉食獣に睨まれた小動物のように動けない。
「私の可愛い鬼の少女。最初は、お前の母親と同じように、殺してしまおうと思ったけれど、お前は幼いながらも美しかった。育てばいかようにも利用価値があると思い、手もとに置いてきました。あなたは素直で、私を盲目的に信頼した。それなら、私が可愛がってやっても良いかという気になっていましたが、反抗するなら、もういりません」
真継様の言葉に、私は息を呑んだ。
お母さんを殺した……?
「千代、お母さんは、少し出かけてきます。千代は絶対にこの家から出ては駄目。誰か来ても戸を開けてはいけません。お母さんは必ず戻りますから、いい子で待っているのですよ」
母の言葉が脳裏に蘇った。
一気に、かつてあばら屋で起こった出来事を思い出す。
ああ、そうか。母は陰陽師に襲われたんだ。真継様は、残された鬼の子である私を殺しに来たんだ。死にかけていた私を助けようとしてくれたのは炎華。でも、真継様たちに撃退されて、私を置いて逃げるしかなかったんだ……。
私は真継様を、きっと睨み付けた。
「あなたはお母さんの仇。あやかしの敵」
真継様が懐に手を入れた。取り出した札を宙に巻く。落葉のように舞った札は、鷹や虎、蛇に変化した。猛獣たちが一斉に私に向かって襲いかかってくる。
「キャアッ!」
思わず悲鳴を上げた時、目の前の空間にヒビが入った。
ヒビをこじ開けるように姿を現したのは炎華だ。
「遅くなって悪かったな、千代」
ちらりと私に視線を向けた後、炎華は猛獣たちに向かって手のひらを向けた。パチッとまばゆい光が爆ぜ、私は目をつぶった。直後に、どぉんと大きな音がする。
恐る恐る目を開けて見れば、廊下に大穴が開き、猛獣たちの姿は消えていた。焼け焦げ破れた札が落ちている。
「今度は、あんたを燃やし尽くしてやる」
いつの間にか、炎華の頭に角が生えていた。両手に炎が灯る。脅しの言葉に、真継様の顔から余裕の笑みが消えた。
「あの時、千代を助けられなかったことを、俺はずっと後悔していた。千代を、もうあんたの手には渡さない」
「たかが齢百年の鬼が生意気を言う……」
「これ以上、あんたたちがあやかしに害をなすなら、こちらにも考えがある。あやかしの力を舐めるな。一族郎党、滅ぼされたくなければ、今後一切、俺たちに関わるな」
「……異形め」
「あやかしたちの願いは、ひっそりと静かに生きて行くこと。お前たちが何もしないなら、こちらも何もしない」
炎華と真継様はしばらくの間、睨み合っていた。
先に視線を逸らしたのは真継様だった。
真継様は何も言わなかったけれど、炎華はそれを了承と取ったのか、
「約束は守れよ」
と念を押し、私の体を抱え上げた。
「きゃっ」
「首につかまっておけ。飛ぶ」
言われた通り、炎華の首に両手を回すと、視界がぐにゃりと歪んだ。