父上は、俺のことが好きではないのかもしれない。そう疑ったのは一度や二度ではない。

 母はとても優しい女だった。器用な女だった。家のことをこなしながら俺と菊臣に勉学を教えた。

母は別に先生なんて呼ばれるような人ではなかった。庶民にしてはちょっと裕福というので教養があっただけだ。

 幼い頃から、大人になればこの家を継ぐのだとばかり思っていた。

母の声から學びながら、自分にはこんなもの必要ないと思っていた。

菊臣は書物に惹かれ文字を読む力を活かしたが、俺にはそういうところがなかった。

 文字が読めて書けて、なんになるのだと思った。将来この家の主になるこの俺に必要なのは、あやかしと意思の疎通を図る能力ではないかと。

あやかしという、寄辺なき哀しい魂に寄り添うあたたかく清らかな魂、それこそが俺に必要なものではないかと。

 それが、人生も二十年目という頃になって、まさか胸中の喚叫を吐き出すのに文字を使うことになろうとは思わなかった。

なんとも情けない。俺は冊子を閉じて腹の中で苦笑する。

 俺にも無邪気な時代というのはあった。なにも生まれた瞬間からあやかしを化け物などと蔑むような男ではなかった。藍一郎という名前を詛うこともしなかった。

 記憶にある限り、俺はずっと弟を愛していた。娯楽にも勉学にも精神力の全てを注ぐ、俺の全てを反転したような彼は、見ていて愉快だった。

彼の考えることは思うことは、到底理解できなかったが、しかしその難解さほど、不可思議さほど、触れてみて愉しいものはなかった。