結局、私は爭いを好きにはなれない。自らの醜さを知って尚、美しく在りたいと願う。失われたものへの絶望が、悪霊へのほんの一歩、半歩を阻む。
水仕事がつらくなってきた、美傘もまた、これからくる雪の日の仕事はつらいとこぼした頃のことだった。なにやら宿内の様子がおかしかった。
「なにかあったのか」と隣についてくれている美傘に尋ねてみても、「なにかしら」と首を傾げるだけだった。
爨で食事をもらうほかの人間に「なにかおかしくないですか」と尋ねてみると、「大變よ」と彼女はいった。
「お綺、部屋はどこだったかしら」といわれ、「北側の西端です」と答えた。
彼女は私たちの部屋にきた。爨で指揮を執っている者だ。年齢は三十代後半程度に見える。なかなか美しい人だ。
爨では、物体のあやかしには味覚がないのでその辺りの指示を出したりするらしい。
彼女はなんとも落ち着かない様子で、もらってきた握り飯の入った袋をちょいちょいといじっている。
「大變なのよ」というので「はい」と頷く。それは先刻も聞いた。
「旦那、……大旦那さまが」
「久菊さまですか」と美傘。
「な、亡くなったって」といわれ、私もどきりとした。頭にぼんやりと靄がかかる。
「旦那さまが、」
彼女は黙って一つ、小さく、けれども力強く頷いた。
「もう全く……」大變よ、と彼女は両手で顔を覆う。
「その、大變というと」と私が尋ねる。
彼女は深く息をついて、顔を上げた。
「あたし、しばらく前まではお寺の方のお手伝いもさせて戴いていたのよ」
「すごい」と美傘が無邪気な声を上げる。「両親が料亭をやっていたものだから、そこからなんとか手にした取り柄よ」と彼女は苦笑する。
「で、あちらにも顔を出していたものだからちょっとあちらの空気も知っているのだけれど……」
それが、旦那さまを喪うと大變なことになるようなものだった、と。
「これは……」と彼女は声を震わせる。「内争の始まりだわ」
「内争?」と美傘が泣き叫ぶような声を上げる。「待って、久菊さまのことはきちんと……できる、のよね」
彼女はなにもいわずに脣を嚙んでいる。
ふと嫌なものが胸の内に薫り、私は息を吸った。
「旦那さまは、どうして亡くなったのですか」
私の嗅いだものを感じ取ったか、彼女は微かに表情を和らげた。ただすぐに哀しみに塗り潰す。
「体が弱かったのよ。あちこち悪くしてて……」
「そうですか」初めて会った日に気になった、薄い体が思い出される。
なんとなくわかったような気がする。「こちらで弔うのですよね」と確認すると「そうでしょうね」と静かに返ってきた。
ここで弔う、それが厄介なのだ。早朝、菊臣さまと話したときに私の感じ取ったものに誤りがなければ、あちらでは家督の座を巡って皆それぞれ黒いものを内側に飼っていたのだ。
それを解消しないままに当主を喪えば、我こそが我こそがと騒動が起こるのは學のない私にも読める。彼女が憂うのは当然だろう。
水仕事がつらくなってきた、美傘もまた、これからくる雪の日の仕事はつらいとこぼした頃のことだった。なにやら宿内の様子がおかしかった。
「なにかあったのか」と隣についてくれている美傘に尋ねてみても、「なにかしら」と首を傾げるだけだった。
爨で食事をもらうほかの人間に「なにかおかしくないですか」と尋ねてみると、「大變よ」と彼女はいった。
「お綺、部屋はどこだったかしら」といわれ、「北側の西端です」と答えた。
彼女は私たちの部屋にきた。爨で指揮を執っている者だ。年齢は三十代後半程度に見える。なかなか美しい人だ。
爨では、物体のあやかしには味覚がないのでその辺りの指示を出したりするらしい。
彼女はなんとも落ち着かない様子で、もらってきた握り飯の入った袋をちょいちょいといじっている。
「大變なのよ」というので「はい」と頷く。それは先刻も聞いた。
「旦那、……大旦那さまが」
「久菊さまですか」と美傘。
「な、亡くなったって」といわれ、私もどきりとした。頭にぼんやりと靄がかかる。
「旦那さまが、」
彼女は黙って一つ、小さく、けれども力強く頷いた。
「もう全く……」大變よ、と彼女は両手で顔を覆う。
「その、大變というと」と私が尋ねる。
彼女は深く息をついて、顔を上げた。
「あたし、しばらく前まではお寺の方のお手伝いもさせて戴いていたのよ」
「すごい」と美傘が無邪気な声を上げる。「両親が料亭をやっていたものだから、そこからなんとか手にした取り柄よ」と彼女は苦笑する。
「で、あちらにも顔を出していたものだからちょっとあちらの空気も知っているのだけれど……」
それが、旦那さまを喪うと大變なことになるようなものだった、と。
「これは……」と彼女は声を震わせる。「内争の始まりだわ」
「内争?」と美傘が泣き叫ぶような声を上げる。「待って、久菊さまのことはきちんと……できる、のよね」
彼女はなにもいわずに脣を嚙んでいる。
ふと嫌なものが胸の内に薫り、私は息を吸った。
「旦那さまは、どうして亡くなったのですか」
私の嗅いだものを感じ取ったか、彼女は微かに表情を和らげた。ただすぐに哀しみに塗り潰す。
「体が弱かったのよ。あちこち悪くしてて……」
「そうですか」初めて会った日に気になった、薄い体が思い出される。
なんとなくわかったような気がする。「こちらで弔うのですよね」と確認すると「そうでしょうね」と静かに返ってきた。
ここで弔う、それが厄介なのだ。早朝、菊臣さまと話したときに私の感じ取ったものに誤りがなければ、あちらでは家督の座を巡って皆それぞれ黒いものを内側に飼っていたのだ。
それを解消しないままに当主を喪えば、我こそが我こそがと騒動が起こるのは學のない私にも読める。彼女が憂うのは当然だろう。