そんなお屋敷の台所にかやのは立った。
 冷蔵庫の中身を確認して何を作ろうかと考える。
 よし、と一つ頷いて、かやのは必要な食材を冷蔵庫から出して、手に馴染んだ包丁を持った。
 澄高には怪我を治してもらう以外にもたくさんお世話になっている。
 例えば勉強。村の偉い人から「生贄なのだから別に学などなくても良い」と言われて、かやのは小学校や中学校ましてや高校に通うことなど許されなかった。本当にいつの時代の話だと何度心の中で文句を言ったことやら。
 それではあまりにも可哀想だという母が教科書や問題集を取り寄せて勉強を教えてくれた。けれど、母は仕事に行かなければならなかったし、専門職ではないからそれには限度があった。漢字や歴史等覚える系は自分でこつこつと勉強すれば良いが理数系はわからないところがあると詰まってしまって。
 そんな話を夢の中でつい話してしまったら、澄高が「それじゃあ、僕が教えてあげよう」と言ってくれた。
 結論、澄高の教え方は上手かった。恐らく、学校では習わないであろう豆知識みたいなものまで教えられた。「これぞ正しく睡眠学習」とそうかやのは思ったものである。
 そんなこんなで様々なことでお世話になっているので、そのお礼に何かしたいとかやのは澄高に申し出た。
 暫し考えた後、澄高が提案した。

「それなら、ご飯を作ってくれる?」
「……でもわたし、あまり料理得意じゃないわよ?」

 母の料理の手伝いはしているが、あくまで手伝いだ。母が居ない間に火を使うことは極力控えていたし、全てを一人でやったことはない。

「一生懸命作ってくれたご飯にケチなんてつけないさ。だから、安心して。必要な調理器具や食材はこっちで用意しておくからさ」
「……わかったわ」

 折角、お礼の機会をもらえたのだ。頑張ろうとかやのは意気込んだ。
 数年前にそんな約束して以来、かやのは澄高のために料理を作っている。

「かやのが作る料理は本当に美味しいね」
「褒めてもこれ以上何も出て来ないわよ」

 そう言いつつも、褒められたのがとても嬉しくてかやのは自分の頬が上がりそうになるのを卵焼きを口に含むことで誤魔化した。
 今日の献立は、つやつやの炊き立てご飯、きんぴらごぼう、じゃがいもとわかめの味噌汁、鯖の塩焼き、卵焼き、きゅうりの漬物である。
 母にお米の研ぎ方や野菜等の料り方はしっかりと習った。
 夢の中での食材は現実で貰えるよりも大きくて綺麗で、「おお!」と思わず感嘆の声を漏らしてしまった。
 しかし、大変だったのは、現実では食べてはいけない食材を料理する時だ。
 魚の捌き方なんて知らないし、最初は焦がしてしまった。
 肉は火を通し過ぎてかたくなってしまった。
 澄高が用意してくれた数々の料理本を片手に、いろいろと試したものである。
 約束通り澄高はかやのが作った料理にケチをつけることもなかった。逆に、失敗したものを澄高が食べようとして、それを慌ててかやのが止めたこともあった。

 ――この卵焼きを作れるようになるのも大変だった……。

 まず、卵が上手く割れない。ぐしゃっと音がした瞬間、潰れた卵黄と殻のかけらが器の中に入っていて。
 殻が入らないよう割れるようになるまで一体幾つの卵と格闘したことか。
 そして、何と言っても卵液を上手く巻けない。料理本には「奥から手前に卵を巻く」なんて簡単に書いてあったがそう簡単に上手くいくはずもなく。
 巻くのに失敗してぐしゃぐしゃになった結果、スクランブルエッグもどきを一体何回錬成したことか。
 味も甘いものとしょっぱいものを試した結果、澄高が「しょっぱい方が好きかな」と言ったので、それ以降しょっぱい味の卵焼きが食卓に並ぶようになった。

 ――本当はお母さんにも食べさせてあげたかったけど……。

 卵を食べることを禁じられているかやのに合わせてか、母も卵を食べることはなかった。それ以外にも、制限がかかっているものを母は食べなかった。
 夢から覚めた時、手元に卵があったら、と何度思ったことか。
 だが、夢の中で食事をすると、目が覚めた時毎回お腹が膨れていて。
 それも、これが普通の夢ではないと思った理由の一つである。
 不思議なことに怪我は治るし、お腹は膨れるのに、夢の中から物を持ち出すことはできなかった。何とも難儀で奇怪なことである。
 と、それはさて置き。
 目の前でたくさん食べてもらえると、作ったこちらとしてはとても嬉しい。
 ふっくらした新米のご飯は噛めば噛む程甘みを感じる。
 母直伝のきんぴらごぼうはかた過ぎずくたくたになり過ぎず、少し薄味だが旨味はしっかりと出ている。
 鯖の塩焼きの焼き加減もばっちりだ。身がふっくらとしており、生臭さもない。
 きゅうりの漬物は澄高に糠の管理を任せていたが、しっかりと味がついているようで良かった。
 とは言っても、本当の意味で糠の管理をしていたのは澄高ではない。

「あ、水玉ちゃん。お茶のお代わりありがとう」

 ふよふよと空中を漂っているモノ――澄高の式神にお礼を言う。
 因みに、『水玉ちゃん』と命名したのは幼い頃のかやのである。

「ただ『式神』って言うのも味気ないから、『水玉ちゃん』って呼ぶことにするわ」

 そう述べた時の澄高の何とも言えない微妙な顔といったら。今思い出してもかやのは笑い出しそうになる。因みに、かやのは自分のネーミングセンスが良いのか悪いのかよくわかっていない。
 水玉の体は球体で小さな手足がついており、触るとぷにぷにしていて冷たくて気持ちが良い。
 この屋敷の掃除は主に何体もの水玉たちにやらせている。
 いつだったか、掃除もしようとしたら「水玉たちの仕事がなくなるから」とやんわりと止められた。かやのは澄高が掃除をしている姿を見たことがない。
 水玉たちに給仕をさせつつも、澄高はご飯のおかわりはかやのにお願いをしてくる。何でも、「君がよそってくれた方が美味しく感じるから」とのこと。

「……調子の良いことを言うわね」
「だって、本当のことだからね」

 照れ隠しで悪態をついてみたが、澄高は動じない。
 いつか「おかわりぐらい自分でつけなさい」と言ってやりたいが、ついつい甘やかしてしまう。

 ――チョロいな、わたし……。

 自分が作った料理をこんなにも美味しそうに食べてもらえるのは満更ではなくて。
 何より、現実では一人でご飯を食べるしかないが、夢ではこうして澄高とご飯を共にすることができる。一人で食べるのと誰かと一緒に食べるのには差があった。

 ――ずっと、この時間が続けばいいのに。

 夢は覚めてしまうことはよくわかっている。
 けれど、そう願ってしまうのは、いけないことだろうか。
 夢の中に出て来る澄高のことを、いつしかかやのは恋い慕うようになっていった。
 話を聞いてくれて、一緒にいてくれて、自分の作った料理を美味しいと笑って食べてくれる人。
 大人っぽくてでも子どもっぽいところもあって、ちょっぴり意地悪で優しい人。
 共に幸せな時を過ごしてくれる大切な人。

 ――都合の良過ぎる夢ね。

 そう思いながら、どうせわたしの夢なのだから、とかやのは澄高につい話してしまった。

「あのね……わたし、もうすぐ神様のところへお嫁に行かなければならないの」
「……どういうこと?」
「次の満月の夜に、村のために神に捧げられるのよ」
「……それって、人身御供ってこと?君はそれで良いの?嫌じゃないの?」

 澄んだ水色の瞳に見つめられる。目を逸らせない。

 ――嫌に決まっているじゃない。

 かやのはゆっくりと言葉を返した。

「わたしの気持ちは関係ないわ。ずっと前から決まっていて、決定事項だもの」

 ――我ながら可愛くない返答ね。

 夢の中でも本音を言えない自分にかやのは自嘲した。
 暫しの間を置いて、澄高が徐ろに口を開く。

「君さえ良ければ、僕のところに来ない?」
「えっ?」

 かやのが目を見開く。何を言われたのかわからなくて、まじまじと澄高を見つめてしまった。

「……今、何て言ったの?」
「だから、かやのが望んでくれるのなら、僕のお嫁さんにならないかって、ことを、だね……」

 言っていて恥ずかしくなったのか、澄高が顔を背ける。だが、その耳は赤くなっていて。彼の様を見たかやのも同じように頬を染めた。

 ――願っても良いのだろうか。あなたの側にいたい、と。

「わたし、は……」

 返事をしようとしたところで、目が覚めてしまった。
 見慣れた天井をぼーっと眺めつつ、かやのはぽつりと呟く。

「……何て都合の良い夢かしら」

 先程まで見ていた夢を思い出して顔に熱が集まっていく。恥ずかしくて布団をゴロゴロと転がった。

「次会った時、どんな顔をすれば良いのかしら……」

 澄高のことを考えると、どんどん体が熱くなっていく。
 それを振り払うかのように、かやのは布団から勢いよく起き上がった。