目を開けると、かやのは花に囲まれていた。
 むくりと体を起き上がらせる。

 ――ああ、また夢を見ているのね。

 見慣れた景色を眺めつつ、心の中でかやのは独りごちる。
 風によってそよぐ五色の花畑は、何度見ても美しい。川のせせらぎが聞こえてきて心が落ち着く。
 景色を見ているだけで、音を聞いているだけで、かやのの心は凪いだ。

 ――さて、あの人は何処だろう。

 きょろきょろと辺りを見回していると、不意に目の前が真っ暗になった。
 お決まりの言葉を一つ耳元で囁かれる。

「だーれだ?」
「……子どものようなことをしないで」
「えー」

 かやのが目元に当てられた手を外しながら後ろを振り向く。
 銀色の髪の男――澄高(すみたか)がにこりと笑った。童顔だが美しいかんばせで、肌はこちらが羨むような色白だ。細められた瞳は静かな水面の色をしている。
 今日は白藍色の着物に鉄色の帯を合わせて着ているようだ。
 見た目の年齢は二十代前半ぐらい。だが、本当の年齢はわからない。訊いたり聞いたりする度に「うーん、三百歳ぐらい?」とか「百歳から数えるのが面倒になったからよくわからないな」とか何とか言っているので実年齢のこと知るのは早々に諦めた。
 彼と初めて出会ったのはかやのがまだ漢字すら書けなかった時だった。

 ――確か、生贄としての日々に挫けかけて泣いて泣いて泣き続けて、泣き疲れて眠ってしまったんだっけ。

 目を開けたら美しい花畑にいて、目の前にはこの男がいて。
 自分を覗き込んでいる何処か神々しい気配を持つ彼に、

 ――きれいなひとだなぁ……。

 と、当時のかやのは正直に思ったものだ。
 だが、澄高の第一声は、

「ふふっ、間抜け面だねぇ。目も赤いし泣いていたのかな?こりゃ酷い」

 というものだった。

 ――なんてしつれいなひとなのかしら!

 当然のことながら、かやのは怒った。
 最悪の初対面だったと思う。更に言えば、自分の顔を見て澄高が笑ったことは、かやのの中で今でも根に持っている。

「わらわないで!」
「ごめんごめん。お詫びに治すから許してよ」

 澄高の手によってかやのの目元が覆われた。すると、すぅと熱が引いて行く感じがした。
 次に頭を撫でられると、鈍い頭痛もなくなった。
 自分の身に起きたことにかやのが驚く。

「いまのはあなたがやったの?」
「そうだよ。これくらい朝飯前さ」

 何ともなしに澄高が言った。
 かやのが瞳をきらきらと輝かせる。

「すごい!まほうつかいみたいね!」
「そんな大それたものじゃないさ。それに僕は魔法使いなんかじゃない」
「じゃあ、あなたはなにものなの?」
「うーん、秘密」

 口元に人差し指を当てて澄高が悪戯っぽく笑った。
 かやのは不貞腐れたが結局教えてもらえなかった。未だにこの男が何者なのかをかやのは知らない。
 あの時から、この男は見た目の年齢が変わっていない。自分は年を取っているというのに、だ。

 ――まあ、夢の中なのだから何でもありよね。

 この数年でその言葉が決まり文句になってしまった。

「何を考えているんだい?」

 ――あなたのことよ。

 なんて、言うのも癪に触る。別に何にも、と返せば、何故か笑われてしまった。
 不意に澄高の手が伸びて来た。その手がかやのの前髪をそっと掻き上げる。

「また傷を作って。女の子なんだから気をつけないといけないよって何度も言っているというのに」
「好きで傷を作っている訳じゃないって何度も言っているわよね」

 澄高が勢いよく絆創膏を剥がし、かやのの額に手を翳す。すると、そこにあった傷は痕もなく消え去った。

「はい、おしまい」
「ありがとう」
「どういたしまして」

 いつもながらに凄いなぁと思いながらお礼をする。澄高がそのまま前髪を撫でてくるものだから少しばかり恥ずかしい。
 夢の中だけれどただの夢じゃないと気づいたのは、初めて会った時から見せてくれた彼のこの不思議な力が理由の一つである。
 あの時、目が覚めると、目元は腫れていなかったし、頭痛も治っていた。
 それから何度も彼に怪我やら風邪やらを治してもらった。今回も起きたら、額の傷はなくなっているのだろう。
 そして、他にもただの夢じゃないと思っている理由があって――

「お礼なら、ご飯を作ってくれると嬉しいな」
「わかっているわよ」

 澄高に手を差し出される。その手を取って、かやのも立ち上がる。
 手を握りながら向かう先は、花畑の先にある家だ。かやのの家と同じく木造だが、かやのが住んでいる家よりもはるかに立派なお屋敷である。