店に着く前に二人は人型に戻っており、見た目はいかにも今時の若い男の人だが、ついさっきまでの姿を思い出せば、もう違和感しかない。
「コンビニ……」
思わず呟く私へ向けるクロの目は冷たい。
「夜中に開いてるところといったら、ここぐらいだろう……文句を言うな」
「いや、文句じゃなくって……」
私の言い訳に耳を傾けることなく、クロは手慣れた様子で豆腐や牛乳やパンを、次々と買い物かごに入れていく。
「瑞穂ちゃんも欲しいものあったら入れちゃいなよー」
シロが勝手にかごに入れるお菓子は、全てクロの手によって棚に返されているのだが、本人はまったく気にしていない。懲りることなくどんどん入れていく。
「うん……」
シロの勧めに乗るつもりはないが、私も自分のお金で何か買おうかと隣の棚の列へ移動した。
しかしその通路をちらりと見た時、どきりとして足が止まってしまった。
(あ……)
そこでは男女のカップルが仲良さそうに買い物をしていた。
男のほうが、私が入って来たのに気がついて顔を上げるより早く、私は急いでその場所から逃げ出した。
「私、何もいらないから外で待ってるね」
「え? ちょっとー……?」
シロが驚いたように呼び止めようとしてくれているが、立ち止まって説明をしている心の余裕はなかった。
(雅司と理加ちゃん……!)
偶然、二人が寄り添う姿を目撃してしまい、私の心臓は口から飛び出てしまいそうにけたたましく鳴り響いていた。
高卒で入社した『そよ風宅配便』で、たった一人の上司として出会った雅司とはすぐに意気投合し、つきあうようになった。
八歳年上だが、それを意識させない少年のような性格で、それが私の目には魅力に映ったが、三年が過ぎてもただそれだけだった。
この春にアルバイトで営業所に入った理加ちゃんと、若い子の間で流行っている話題で盛り上がると、雅司はあっさりと私から彼女に乗り換えた。
その程度の関係。その程度のつきあい。
だから雅司に突然別れ話をされて、とても腹は立ったが、落ちこんでいる自覚は私にはなかった。
でも二人を前にすると、やはり心にひっかかるものがある。
「…………」
複雑な気持ちで、コンビニから少し離れた場所で待っていた私に、店から出てきたシロが笑顔で駆け寄る。
「お待たせー」
袋を片手に出てきたクロも黙ったままその隣に並び、美青年二人に目の前に立たれて、私は少し焦った。
「どうしたの……?」
背の高い二人に阻まれて、コンビニの出入り口が見えない。
雅司と理加ちゃんが仲良く帰っていく姿なんて、特に見なくていいはずだが、どうしても気になる私を邪魔するかのように、二人は目の前から退いてくれない。
「ちょっと、シロくん? ……クロさん?」
二人の間をかき分けようと私が腕を伸ばした時、シロが身を屈めて、私に顔を近づけた。
白い柔らかそうな髪が、私の頬に触れそうなほど近い位置で揺れる。
「お望みなら俺の得意技、今すぐまたここで始めようか?」
意味深に肩に腕をまわされ、私は焦った。
「いらない! いらないから!」
私が何に気がついて、どういう気持ちでコンビニを飛び出したのか、ひょっとすると察してくれたのかもしれない。
大学の友人たちと綾音さんに向かってしたように、恋人のふりをしようかとシロに持ちかけられ、私は全力でお断りする。
(だってそんなの虚しいだけじゃない! あっちは本物の恋人同士だけど、こっちは完全にニセモノなんだから……!)
ぶるぶると首を振る私を見て、シロがにやりと笑った。
「だったら……」
彼がくるりと踵を返して私から離れると同時に、クロが手にしていた荷物をシロに押しつけ、私へ手を伸ばす。
「わかってる」
黒シャツに包まれた広い胸に頬を押しつけるような格好で、私はクロにしっかりと抱きしめられた。
(きゃあああああ)
あまりのことに心の中で悲鳴を上げる私を、クロはますます腕の中に抱きこむ。
「うるさい。少し黙っていろ」
(私、声に出して叫んでないよね⁉)
「心の声がうるさい」
(…………)
言葉を発さなくても会話が成立していることに、もはや疑問を感じる心の余裕もない。
心臓がけたたましく鳴り、軽いパニック状態だった私は、次のクロの呼びかけで、はっと我に返った。
「よし、もういいぞ。そろそろ目を開けてみろ、瑞穂」
偉そうな言い方に少しひっかかりを覚えながらも、私は緊張で固く閉じていた目を、いったい何事だろうと開いてみる。
すると、足もとに宝石箱をひっくり返したような夜景が広がっており、今度こそ声を大にして叫ぶ。
「ぎゃあああああ」
「うるさいっ!」
本気で叫び返したクロは、眉をしかめて顔を背けはしても、私を抱きしめる手は緩めない。
そうでなければ飛行機並みのこの高さ、とても正視してなどいられない。
慌てて彼の首にしがみつきながら、私はクロが鳥型になっていることを改めて確認した。
といっても彼の場合、シロと違い、背中に羽が生えてほぼ全身が黒い装束に覆われてしまっている以外は、人型の時とあまり変わりがない。
だからこそ、全力でしがみついていることがどこか恥ずかしい気持ちも捨てきれない。
(でもこれは、命に係わることだから! この高さから落ちたら、本当に死ぬから!)
必死に自分に言い聞かせながら、私は足もとに広がる夜景にもう一度視線を落とした。
家々の灯りと、車のライトの列。帯状になったり、点々と瞬いたり、色とりどりの光の群れがどこまでも広がるさまは、ため息が出るほど美しい。
「綺麗……」
思わず呟いた私に、クロがかすかに笑った気配がした。
「この街に住むどんな人間よりも、お前は今、高い場所にいる」
「え?」
見上げたクロの瞳は、これまで見たどの時より、優しい色をしているように見える。
「見ろ。他のどんな人間も、全部お前の下だ」
「そう……ですね」
ずいぶんわかりにくい表現ではあるが、どうやら彼なりに私を元気づけようとしてくれているらしい。しばらくそうして上空から夜景を眺めていると、本当に気持ちが落ち着いてきた。
「ありがとうございます」
お礼を言うと、それには答えず、クロは降下を始める。
「降りるぞ」
今度は宣言してからゆっくりと高度を下げてくれたので、光の海の中に降り立つ感覚も体験できた。一つ一つの光が、それぞれ違う輪郭を持って、次第に見慣れた風景になっていくさまは、シロがどこからか宅配の荷物をとり出す瞬間にも似ているように感じる。
(確かにこんな経験、誰でもできるものじゃない……)
そう思うと、悔しさや悲しさも少し薄らいだように思うから不思議だ。
(もともと、夕方からずっと驚くことばっかりで、夢の中にいるかのようなんだもの……)
偶然垣間見たリアルな光景のせいで、一瞬胸の痛みを思い出してしまった私に、白い着物を着た、この世のものとは思えない美青年が、問いかける。
「帰りはどっちと帰るー? やっぱり俺ー?」
「そ、そうだね」
悪びれない笑顔のシロに私が頷くと、それを見守っていた黒い着物の美青年は、買いもの袋を提げてさっさと大股で歩きだす。
「余計な荷物が増えなくて、こっちは願ったりだ……あとから着いたほうが、明日の掃除係な」
クロは言いながら歩みを駆け足に変え、ばさっと黒い翼を広げて、夜空に高く舞い上がってしまった。
「え? は? ちょっと! 勝手に決めるなよ!」
シロは大慌てで獣型になり、金色の瞳を私に向ける。
「瑞穂ちゃん、全力疾走するから、落っこちないようにしっかり掴まってて!」
言うが早いか、山へ向かって駆け出す。
「ひぇえええええ」
言われたとおり、全力でその背中にしがみつきながら、住み慣れた街がうしろに遠ざかっていくことに、私は寂しさのようなものは感じなかった。
逆に、これから更にどんな驚きの日々が私を待ち受けているのか、どこかわくわくするような気持ちのほうが、ずっとずっと大きかった――。
「コンビニ……」
思わず呟く私へ向けるクロの目は冷たい。
「夜中に開いてるところといったら、ここぐらいだろう……文句を言うな」
「いや、文句じゃなくって……」
私の言い訳に耳を傾けることなく、クロは手慣れた様子で豆腐や牛乳やパンを、次々と買い物かごに入れていく。
「瑞穂ちゃんも欲しいものあったら入れちゃいなよー」
シロが勝手にかごに入れるお菓子は、全てクロの手によって棚に返されているのだが、本人はまったく気にしていない。懲りることなくどんどん入れていく。
「うん……」
シロの勧めに乗るつもりはないが、私も自分のお金で何か買おうかと隣の棚の列へ移動した。
しかしその通路をちらりと見た時、どきりとして足が止まってしまった。
(あ……)
そこでは男女のカップルが仲良さそうに買い物をしていた。
男のほうが、私が入って来たのに気がついて顔を上げるより早く、私は急いでその場所から逃げ出した。
「私、何もいらないから外で待ってるね」
「え? ちょっとー……?」
シロが驚いたように呼び止めようとしてくれているが、立ち止まって説明をしている心の余裕はなかった。
(雅司と理加ちゃん……!)
偶然、二人が寄り添う姿を目撃してしまい、私の心臓は口から飛び出てしまいそうにけたたましく鳴り響いていた。
高卒で入社した『そよ風宅配便』で、たった一人の上司として出会った雅司とはすぐに意気投合し、つきあうようになった。
八歳年上だが、それを意識させない少年のような性格で、それが私の目には魅力に映ったが、三年が過ぎてもただそれだけだった。
この春にアルバイトで営業所に入った理加ちゃんと、若い子の間で流行っている話題で盛り上がると、雅司はあっさりと私から彼女に乗り換えた。
その程度の関係。その程度のつきあい。
だから雅司に突然別れ話をされて、とても腹は立ったが、落ちこんでいる自覚は私にはなかった。
でも二人を前にすると、やはり心にひっかかるものがある。
「…………」
複雑な気持ちで、コンビニから少し離れた場所で待っていた私に、店から出てきたシロが笑顔で駆け寄る。
「お待たせー」
袋を片手に出てきたクロも黙ったままその隣に並び、美青年二人に目の前に立たれて、私は少し焦った。
「どうしたの……?」
背の高い二人に阻まれて、コンビニの出入り口が見えない。
雅司と理加ちゃんが仲良く帰っていく姿なんて、特に見なくていいはずだが、どうしても気になる私を邪魔するかのように、二人は目の前から退いてくれない。
「ちょっと、シロくん? ……クロさん?」
二人の間をかき分けようと私が腕を伸ばした時、シロが身を屈めて、私に顔を近づけた。
白い柔らかそうな髪が、私の頬に触れそうなほど近い位置で揺れる。
「お望みなら俺の得意技、今すぐまたここで始めようか?」
意味深に肩に腕をまわされ、私は焦った。
「いらない! いらないから!」
私が何に気がついて、どういう気持ちでコンビニを飛び出したのか、ひょっとすると察してくれたのかもしれない。
大学の友人たちと綾音さんに向かってしたように、恋人のふりをしようかとシロに持ちかけられ、私は全力でお断りする。
(だってそんなの虚しいだけじゃない! あっちは本物の恋人同士だけど、こっちは完全にニセモノなんだから……!)
ぶるぶると首を振る私を見て、シロがにやりと笑った。
「だったら……」
彼がくるりと踵を返して私から離れると同時に、クロが手にしていた荷物をシロに押しつけ、私へ手を伸ばす。
「わかってる」
黒シャツに包まれた広い胸に頬を押しつけるような格好で、私はクロにしっかりと抱きしめられた。
(きゃあああああ)
あまりのことに心の中で悲鳴を上げる私を、クロはますます腕の中に抱きこむ。
「うるさい。少し黙っていろ」
(私、声に出して叫んでないよね⁉)
「心の声がうるさい」
(…………)
言葉を発さなくても会話が成立していることに、もはや疑問を感じる心の余裕もない。
心臓がけたたましく鳴り、軽いパニック状態だった私は、次のクロの呼びかけで、はっと我に返った。
「よし、もういいぞ。そろそろ目を開けてみろ、瑞穂」
偉そうな言い方に少しひっかかりを覚えながらも、私は緊張で固く閉じていた目を、いったい何事だろうと開いてみる。
すると、足もとに宝石箱をひっくり返したような夜景が広がっており、今度こそ声を大にして叫ぶ。
「ぎゃあああああ」
「うるさいっ!」
本気で叫び返したクロは、眉をしかめて顔を背けはしても、私を抱きしめる手は緩めない。
そうでなければ飛行機並みのこの高さ、とても正視してなどいられない。
慌てて彼の首にしがみつきながら、私はクロが鳥型になっていることを改めて確認した。
といっても彼の場合、シロと違い、背中に羽が生えてほぼ全身が黒い装束に覆われてしまっている以外は、人型の時とあまり変わりがない。
だからこそ、全力でしがみついていることがどこか恥ずかしい気持ちも捨てきれない。
(でもこれは、命に係わることだから! この高さから落ちたら、本当に死ぬから!)
必死に自分に言い聞かせながら、私は足もとに広がる夜景にもう一度視線を落とした。
家々の灯りと、車のライトの列。帯状になったり、点々と瞬いたり、色とりどりの光の群れがどこまでも広がるさまは、ため息が出るほど美しい。
「綺麗……」
思わず呟いた私に、クロがかすかに笑った気配がした。
「この街に住むどんな人間よりも、お前は今、高い場所にいる」
「え?」
見上げたクロの瞳は、これまで見たどの時より、優しい色をしているように見える。
「見ろ。他のどんな人間も、全部お前の下だ」
「そう……ですね」
ずいぶんわかりにくい表現ではあるが、どうやら彼なりに私を元気づけようとしてくれているらしい。しばらくそうして上空から夜景を眺めていると、本当に気持ちが落ち着いてきた。
「ありがとうございます」
お礼を言うと、それには答えず、クロは降下を始める。
「降りるぞ」
今度は宣言してからゆっくりと高度を下げてくれたので、光の海の中に降り立つ感覚も体験できた。一つ一つの光が、それぞれ違う輪郭を持って、次第に見慣れた風景になっていくさまは、シロがどこからか宅配の荷物をとり出す瞬間にも似ているように感じる。
(確かにこんな経験、誰でもできるものじゃない……)
そう思うと、悔しさや悲しさも少し薄らいだように思うから不思議だ。
(もともと、夕方からずっと驚くことばっかりで、夢の中にいるかのようなんだもの……)
偶然垣間見たリアルな光景のせいで、一瞬胸の痛みを思い出してしまった私に、白い着物を着た、この世のものとは思えない美青年が、問いかける。
「帰りはどっちと帰るー? やっぱり俺ー?」
「そ、そうだね」
悪びれない笑顔のシロに私が頷くと、それを見守っていた黒い着物の美青年は、買いもの袋を提げてさっさと大股で歩きだす。
「余計な荷物が増えなくて、こっちは願ったりだ……あとから着いたほうが、明日の掃除係な」
クロは言いながら歩みを駆け足に変え、ばさっと黒い翼を広げて、夜空に高く舞い上がってしまった。
「え? は? ちょっと! 勝手に決めるなよ!」
シロは大慌てで獣型になり、金色の瞳を私に向ける。
「瑞穂ちゃん、全力疾走するから、落っこちないようにしっかり掴まってて!」
言うが早いか、山へ向かって駆け出す。
「ひぇえええええ」
言われたとおり、全力でその背中にしがみつきながら、住み慣れた街がうしろに遠ざかっていくことに、私は寂しさのようなものは感じなかった。
逆に、これから更にどんな驚きの日々が私を待ち受けているのか、どこかわくわくするような気持ちのほうが、ずっとずっと大きかった――。