外へ出ると、彼らの服装が和装に変わっていた。
「ええっ?」
着替える時間などなかったはずなのに、不可解なことが多すぎて、私はもう考えることを放棄する。
(もういい……もう何が起きても、夢でも見てるんだと思うことにする……)
私の決意が通じたわけでもないのだろうが、「これが仕事着だから」と簡単な説明をして、シロが私に問いかける。
「これから二手に分かれるんだけど、瑞穂ちゃんは俺とクロ、どっちと一緒に……」
おそらく、どちらに同行するか、希望を聞いてくれようとしたのだろうが、その言葉の途中でクロのほうはさっさと先に行ってしまった。
「って……おい、クロ!」
呼び止めようとしたシロはすぐにそれを断念し、私に肩を竦めてみせる。
「まあ、俺のほうがいいだろうね……初心者としては……」
(初心者としては……?)
首を傾げながら玄関に鍵をかける私を待って、シロが連れて行ってくれた宅配便営業所の裏には、十個ほどの荷物が置かれていた。
「半分は、もうクロが持って行ってくれたから」
言いながら彼が懐から布のようなものを出して、荷物の上にふわりと広げて掛けると、そこにあったものは全てなくなり、布がふぁさりと地面に落ちる。
「えええええっ⁉」
いちいち驚いて大きな声を上げる私の反応が、面白くてたまらないらしく、シロは満足そうに笑いながら布をもう一度畳み、大切に懐にしまう。
「瑞穂ちゃんといると飽きなさそうだなー」
「こっちは、何が何だかわからな過ぎて、もう考える気力もないんですけど……」
「あはは、それでいいと思うよ」
屈託なく笑って、シロは私から少し距離を取った。
街灯の途切れた大鳥居前は、とても暗くて、一メートルほどの距離でも、離れてしまうと闇に沈み、何も見えない。そこに彼が居る気配はあるが、目には何も映らない。
「シロくん……?」
不安になって呼びかけると、「なあに?」と答える声があった。
ほっとして闇の中に目を凝らすと、ぼんやりと白い影が見える。
しかしそれが、再びこちらへ近づいて来るにつれ、思わず上げそうになった悲鳴を、私は両手で口を覆うことで必死に我慢した。
(何これ? 何これ! 何これーーーーっ!?)
闇の中から現われたのは、白い着物姿の青年ではなく、大きな獣だった。人が乗れるほどの大きさで、全身を白い毛に覆われており、尖った耳に、長いしっぽ、裂けたような口。
(犬? とはちょっとちがうような……狼? って、本物見たことないけど……何? 何いっ?)
私は決して声に出して言っていないが、どうやら反応と表情でだいたいわかるらしい。
獣が切れ長の大きな金色の目を細め、口を少し開けて、笑うように首を傾げた。
「狐だよ、狐」
「――――!」
ちらりと鋭い牙がのぞく口から、普通に人間の言葉が出てきたことに、思わず息を呑む。
よく見ると、尖った耳の先で赤いピアスがきらりと煌めいていた。
「シ……ロ……くん?」
恐る恐る問いかけた私に、獣はますます嬉しそうに大きな口を開く。
「そうそう。さすが瑞穂ちゃん、順応力高いねー」
その口から聞こえる声は確かにシロのものだったが、私は決して彼が言うように『順応力が高い』などという状態ではなかった。脚から力が抜けて、へなへなとその場に座りこみそうになる。
「おっと」
シロが素早く走りこんで、背中で私を受け止めてくれた。
「ありがとう……」
なんとも言えない気持ちで真っ白な毛を掴んだ私を、下から掬い上げるようにして、背中に乗せてしまう。
「しっかり掴まっててよ」
私が返事もできないでいるうちに、シロは走り出す。周りの景色が飛び去っていくようなものすごいスピードで――。
「ひええええええええっ」
振り落とされてはたまらないと、背にしがみついた私を「あはは」と軽く笑いながら、白い狐に変貌したシロは、夜の山道を駆け抜けた。
真っ黒に塗りつぶされた木立も、途中でわずかに光る集落の灯りも、途切れ途切れの道路も、全てがあっという間に私たちの背後に過ぎ去る。
あまりの速さに目を開けていることができなくて、ぎゅっと両目を瞑る私にシロが明るく語りかける。
「もう少しだからね。しっかり掴まっててー」
このスピードで振り落とされれば、命に関わるかもしれないという恐怖で、言われるまでもなく私は全力で、彼の背にしがみついていた。
ようやく速度が落ちてきたように感じ、恐る恐る目を開けてみれば、山から市街地へと下る最後の坂道にさしかかっている。
(一瞬……とまでは言わないけど、体感、数十秒ぐらいしか経ってないんですけど⁉)
そのまま坂を下り、街外れのとある民家の裏に着くと、シロは私を背中から降ろしてくれた。
「はい、とうちゃーく」
必死にしがみついていたおかげで、すっかり体がこわばっており、脚に力が入らない。
またもやふらっと倒れかけた私を支えてくれたのは、白い毛に覆われた獣の背中ではなく、普通の人間の腕だった。
「……え?」
いつの間にかシロが、若い青年の姿に戻っている。
白い着流しに白い羽織という、最初に会った時と同じ格好の彼を、私は眩しく見つめた。
(もう……どうでもいい……)
考えていることがそのまま顔に出るらしい私の表情が、シロは気に入っているようで、「ははは」と笑いながら、私の体を起こしてくれる。
「ほら、瑞穂ちゃんしっかりして。行くよー」
どこからか出した小さな包みを手に、家の表にまわる彼を、私もふらふらとした足取りで追った。
それはこぢんまりとした普通の民家のように見えた。
コンクリートブロック製の塀の中へ入って、小さな庭を抜けると、玄関にたどり着く。
シロが古い木製のドアに近づくと、呼び鈴も押していないのに扉ががちゃりと開いた。
(ひ、ひええええっ)
中から現われた老婆の姿を見て、私は声にならない悲鳴を上げる。
(やっぱり『普通』なんかじゃない!)
時代劇にでも出てくるような、くたびれた古い着物を着て、長い髪を無造作に背中の中央で束ねた老女は、落っこちてしまいそうなほど大きな目を、ぎょろりとこちらへ向けてきた。それは顔の中央に、でーんと一つだけある。
(あああ、一つ目だよ。また一つ目……)
シロは少し腰を屈めて、老婆と目線の高さを合わせ、手にしていた箱を渡した。
「はい、いつものやつだよ。息子さんから」
老婆はそれを受け取ると、嬉しそうに目を細める。
「わざわざ送らんでもいいって、言ってるのに……」
言葉のわりに嬉しそうな表情も、大切そうに箱を抱きしめる仕草も、宅配の引き受けや配達で、私もこれまでよく目にしてきた光景だ。
その形相が、『人』でないことを除けば――。
「まあまあ、これが太一郎さんの楽しみなんだから……代わりに持っていってほしいもの、ある?」
シロの問いかけに、老婆はこくんと頷いて小さな箱を出す。
シロは出張所の奥の部屋で使っていた木簡と印章をどこからか出し、荷物引き受けの作業をして、老婆の荷物を大切に預かった。
「じゃあ、またね。波名さん」
懐から出した風呂敷を箱にかけ、引き受けた荷物をどこかへしまってしまうと、シロは私を促して家の敷地を出る。
「と、まあこんな感じで、預かった荷物を夜のうちに配達してまわるのも俺たちの仕事……どう? 普通の宅配便と変わらないでしょ?」
「う、うん……」
確かに、大元は変わらないのだが、細部があまりにも違い過ぎる。
私にそんなことを語りかけている間にも、シロは人ではなく、獣の姿に変わっていて、背中に乗れと私を促す。
「次行くよー、次ー。はーい、乗ってー」
言われるまま背にしがみつくと、また目にも留まらない速さで走り出した。
「ええっ?」
着替える時間などなかったはずなのに、不可解なことが多すぎて、私はもう考えることを放棄する。
(もういい……もう何が起きても、夢でも見てるんだと思うことにする……)
私の決意が通じたわけでもないのだろうが、「これが仕事着だから」と簡単な説明をして、シロが私に問いかける。
「これから二手に分かれるんだけど、瑞穂ちゃんは俺とクロ、どっちと一緒に……」
おそらく、どちらに同行するか、希望を聞いてくれようとしたのだろうが、その言葉の途中でクロのほうはさっさと先に行ってしまった。
「って……おい、クロ!」
呼び止めようとしたシロはすぐにそれを断念し、私に肩を竦めてみせる。
「まあ、俺のほうがいいだろうね……初心者としては……」
(初心者としては……?)
首を傾げながら玄関に鍵をかける私を待って、シロが連れて行ってくれた宅配便営業所の裏には、十個ほどの荷物が置かれていた。
「半分は、もうクロが持って行ってくれたから」
言いながら彼が懐から布のようなものを出して、荷物の上にふわりと広げて掛けると、そこにあったものは全てなくなり、布がふぁさりと地面に落ちる。
「えええええっ⁉」
いちいち驚いて大きな声を上げる私の反応が、面白くてたまらないらしく、シロは満足そうに笑いながら布をもう一度畳み、大切に懐にしまう。
「瑞穂ちゃんといると飽きなさそうだなー」
「こっちは、何が何だかわからな過ぎて、もう考える気力もないんですけど……」
「あはは、それでいいと思うよ」
屈託なく笑って、シロは私から少し距離を取った。
街灯の途切れた大鳥居前は、とても暗くて、一メートルほどの距離でも、離れてしまうと闇に沈み、何も見えない。そこに彼が居る気配はあるが、目には何も映らない。
「シロくん……?」
不安になって呼びかけると、「なあに?」と答える声があった。
ほっとして闇の中に目を凝らすと、ぼんやりと白い影が見える。
しかしそれが、再びこちらへ近づいて来るにつれ、思わず上げそうになった悲鳴を、私は両手で口を覆うことで必死に我慢した。
(何これ? 何これ! 何これーーーーっ!?)
闇の中から現われたのは、白い着物姿の青年ではなく、大きな獣だった。人が乗れるほどの大きさで、全身を白い毛に覆われており、尖った耳に、長いしっぽ、裂けたような口。
(犬? とはちょっとちがうような……狼? って、本物見たことないけど……何? 何いっ?)
私は決して声に出して言っていないが、どうやら反応と表情でだいたいわかるらしい。
獣が切れ長の大きな金色の目を細め、口を少し開けて、笑うように首を傾げた。
「狐だよ、狐」
「――――!」
ちらりと鋭い牙がのぞく口から、普通に人間の言葉が出てきたことに、思わず息を呑む。
よく見ると、尖った耳の先で赤いピアスがきらりと煌めいていた。
「シ……ロ……くん?」
恐る恐る問いかけた私に、獣はますます嬉しそうに大きな口を開く。
「そうそう。さすが瑞穂ちゃん、順応力高いねー」
その口から聞こえる声は確かにシロのものだったが、私は決して彼が言うように『順応力が高い』などという状態ではなかった。脚から力が抜けて、へなへなとその場に座りこみそうになる。
「おっと」
シロが素早く走りこんで、背中で私を受け止めてくれた。
「ありがとう……」
なんとも言えない気持ちで真っ白な毛を掴んだ私を、下から掬い上げるようにして、背中に乗せてしまう。
「しっかり掴まっててよ」
私が返事もできないでいるうちに、シロは走り出す。周りの景色が飛び去っていくようなものすごいスピードで――。
「ひええええええええっ」
振り落とされてはたまらないと、背にしがみついた私を「あはは」と軽く笑いながら、白い狐に変貌したシロは、夜の山道を駆け抜けた。
真っ黒に塗りつぶされた木立も、途中でわずかに光る集落の灯りも、途切れ途切れの道路も、全てがあっという間に私たちの背後に過ぎ去る。
あまりの速さに目を開けていることができなくて、ぎゅっと両目を瞑る私にシロが明るく語りかける。
「もう少しだからね。しっかり掴まっててー」
このスピードで振り落とされれば、命に関わるかもしれないという恐怖で、言われるまでもなく私は全力で、彼の背にしがみついていた。
ようやく速度が落ちてきたように感じ、恐る恐る目を開けてみれば、山から市街地へと下る最後の坂道にさしかかっている。
(一瞬……とまでは言わないけど、体感、数十秒ぐらいしか経ってないんですけど⁉)
そのまま坂を下り、街外れのとある民家の裏に着くと、シロは私を背中から降ろしてくれた。
「はい、とうちゃーく」
必死にしがみついていたおかげで、すっかり体がこわばっており、脚に力が入らない。
またもやふらっと倒れかけた私を支えてくれたのは、白い毛に覆われた獣の背中ではなく、普通の人間の腕だった。
「……え?」
いつの間にかシロが、若い青年の姿に戻っている。
白い着流しに白い羽織という、最初に会った時と同じ格好の彼を、私は眩しく見つめた。
(もう……どうでもいい……)
考えていることがそのまま顔に出るらしい私の表情が、シロは気に入っているようで、「ははは」と笑いながら、私の体を起こしてくれる。
「ほら、瑞穂ちゃんしっかりして。行くよー」
どこからか出した小さな包みを手に、家の表にまわる彼を、私もふらふらとした足取りで追った。
それはこぢんまりとした普通の民家のように見えた。
コンクリートブロック製の塀の中へ入って、小さな庭を抜けると、玄関にたどり着く。
シロが古い木製のドアに近づくと、呼び鈴も押していないのに扉ががちゃりと開いた。
(ひ、ひええええっ)
中から現われた老婆の姿を見て、私は声にならない悲鳴を上げる。
(やっぱり『普通』なんかじゃない!)
時代劇にでも出てくるような、くたびれた古い着物を着て、長い髪を無造作に背中の中央で束ねた老女は、落っこちてしまいそうなほど大きな目を、ぎょろりとこちらへ向けてきた。それは顔の中央に、でーんと一つだけある。
(あああ、一つ目だよ。また一つ目……)
シロは少し腰を屈めて、老婆と目線の高さを合わせ、手にしていた箱を渡した。
「はい、いつものやつだよ。息子さんから」
老婆はそれを受け取ると、嬉しそうに目を細める。
「わざわざ送らんでもいいって、言ってるのに……」
言葉のわりに嬉しそうな表情も、大切そうに箱を抱きしめる仕草も、宅配の引き受けや配達で、私もこれまでよく目にしてきた光景だ。
その形相が、『人』でないことを除けば――。
「まあまあ、これが太一郎さんの楽しみなんだから……代わりに持っていってほしいもの、ある?」
シロの問いかけに、老婆はこくんと頷いて小さな箱を出す。
シロは出張所の奥の部屋で使っていた木簡と印章をどこからか出し、荷物引き受けの作業をして、老婆の荷物を大切に預かった。
「じゃあ、またね。波名さん」
懐から出した風呂敷を箱にかけ、引き受けた荷物をどこかへしまってしまうと、シロは私を促して家の敷地を出る。
「と、まあこんな感じで、預かった荷物を夜のうちに配達してまわるのも俺たちの仕事……どう? 普通の宅配便と変わらないでしょ?」
「う、うん……」
確かに、大元は変わらないのだが、細部があまりにも違い過ぎる。
私にそんなことを語りかけている間にも、シロは人ではなく、獣の姿に変わっていて、背中に乗れと私を促す。
「次行くよー、次ー。はーい、乗ってー」
言われるまま背にしがみつくと、また目にも留まらない速さで走り出した。