それから数時間後、山の上の出張所まで帰る道で、私はなぜだか愛車の助手席にシロ、後部座席にクロを乗せて、ハンドルを握っていた。
「ごめんね瑞穂ちゃん……川で溺れかけたりして、疲れてると思うんだけど、運転させちゃって……」
「ううん、いいの。二人があやかし宛ての荷物を配っている間、車で休憩してたし……私の他には車の免許を持ってる人もいないし……」
シロと私の会話に、うしろのクロが口を挟む。
「お前の車を置いて帰るわけにはいかなかったんだから、仕方ないだろう……そうでなければ、俺はとっくに飛んで帰っている」
「……すみません」
「なんで瑞穂ちゃんが謝るのさ。あーやっぱり俺、車の免許取ろうかなー」
「そうしろ、そうしろ」
ひっきりなしに会話が飛び交うことが、私は決して嫌ではなかった。おかげで真夜中に近いというのに、眠けが来ることもないし、あれほど怖いと思っていた夜の山道も、さほど怖くない。
一つ目の山を越えて、次の山が見える直線道へと向かうカーブの手前で、私は以前この場所が通行止めになっていたことを二人に話した。
「そういえば初めて出張所へ行った日は、この道が使えなくて、焦ったな……」
「そうだったの? なんで?」
「この先の橋が壊れてて……」
「そんなはずはない」
きっぱりとクロに言い切られてしまったので、私は驚いてバックミラー越しに彼を見る。
「……え?」
後部座席に悠々と背中をもたれかけて座り、腕組みしているクロは、もう一度断言する。
「この道が最近崩れたことも、それが修理されたこともない」
「だけど……」
確かに壊れていたのだと、主張しかける私を遮って、シロが問いかける。
「それで瑞穂ちゃんは、どうやって山の上出張所まで来たの?」
「え? 御橋神社はこちらって矢印の看板が立ってる抜け道があって……それを抜けてだけど?」
ちょうどあの抜け道にさしかかる辺りだったので、私は車のスピードを落とし、二人にもわかるように、この道路から右へ入る抜け道を示すつもりだった。
しかし――。
「え……ない……えっ? ええっ?」
動揺しすぎて急ブレーキをかけて止まってしまい、クロにとても嫌な顔をされた。
こんな真夜中にこの山道を走る車があるとも思えないが、後続車が来ると困るので道路の端へ車を寄せて、私は必死で二人に訴える。
「あの大きな木の生えているあたりに、ちょうど私の車が通れるくらいの道があって……確かに、山の上へ出るまで対向車がまったく来ないほど利用者のない道ではあったけど……こんなに短期間でなくなることってある? がけ崩れでもあった?」
私の必死の説明を聞いていたシロが、少し神妙な面持ちでクロをふり返る。
「クロ……これって……」
「ああ」
クロはわかっているとばかりに頷いて、後部座席から身を乗り出して、運転席に座る私へ問いかけた。
「瑞穂、お前その抜け道を見つける前に何かしなかったか? 例えば綺麗な小石を拾ったとか、不思議な絵の描かれた木の札を見つけたとか……」
いったいそれが、抜け道がもうなくなっていることと、どう関係があるのかと思いながら、私は首を傾げる。
「ううん、特にないけど……」
「今まで見たことのないような木の実を食べたとか、何か動物を助けたとか……」
食い下がるクロの言葉を、頭の中は疑問符だらけで聞いていたが、最後の質問でぴんと来たことがあった。
「あ! 動物なら助けた!」
クロと頷きあったシロが、私に笑顔で質問する。
「それってどんな動物?」
私は意気揚々と、あの時のことを二人に語って聞かせる。
「白い蛇だよ。壊れた橋に引っかかって動けなくなってたんで、棒で助けてあげたの……そういえばそのあと、あの抜け道を見つけたんだった……それがどうかしたの?」
これはなかなかできない体験ではないだろうかと、私は多少自慢げに話したのに、二人の反応はあまり大きくない。
「白蛇……」
クロは唸るように呟いたきり黙りこんでしまうし、シロはひゅーっと口笛を吹いただけで、何も言わない。
「え……何かまずかった?」
恐る恐る訊ねてみると、先にクロから返答があった。
「いや、何もまずくない」
「そうそう、さすが! って驚いただけだよ」
シロもそう付け足すと、車のダッシュボードを指でとんとんと叩いた。
「ここに貼ってあるお札、瑞穂ちゃん、みや様から直接いただいたらしいけど、そもそもみや様本人が、瑞穂ちゃんを狭間の空間に招いたんだって、びっくりしただけ」
「みや様? ……どういうこと?」
みんながみやちゃんのことをそう呼ぶとは私も知っているが、今の話とみやちゃんがどう繋がるのだろう。
(そういえば前に千代さんもそんなことを言っていたような……)
首を傾げた私に、シロが笑いながら語る。
「普通の人間では見つけられないものをわざと置いておいて、俺たちの世界に対応できそうな人間を探すのは、あやかしもよくやる手だけど……壊れてもいない道を壊れていると見せかけて、通りかかった人間が困っている動物を助けるかどうかを測るなんて仕掛けなら、みや様の悪戯で確定。しかも白蛇なら、それは本人だ」
ぱちりと片目を瞑ってみせられるけれど、私はひっかかるものがある。今のシロの話だと、まるであの白蛇がみやちゃんだと言われているかのようだ。
シロにそう確かめてみると、あっさりと頷かれた。
「うん、だからそうだよ」
「ええええっ?」
驚きの声を上げる私に、クロが後部座席にゆったりと座り直しながら尋ねる。
「そもそも瑞穂……お前、みや様がどなたなのかわかってるのか?」
「え? 神社の子じゃないの?」
「神社の子……」
絶句してしまったクロに代わり、シロが慌てて正しい答えを教えてくれる。
「みや様は、御橋神社に祀られている神様だよ……御橋神社は古い歴史があって、神宮と呼ばれていた時代もある……だから『宮様』……本当に知らなかったの?」
「知らなかった……」
呆然と呟くと、クロが後部座席で大きな声で笑い始めた。
「はははははっ」
普段とはまるで別人のような声で高らかに笑うので、思わずふり返ってしまったが、シロも同じようにふり返ったということは、どうやら彼にとっても珍しい現象だったらしい。
「……クロ?」
呼びかけるシロに、待ってくれとばかりに大きな手を広げてみせて、クロはそれで自分の顔を覆う。
大きく表情を崩して笑っている顔を初めて見て、私はとてもドキドキしていたのに、覆った手を退かした途端、いつもの冷たい無表情に戻っており、内心がっかりした。
(いつもあんなふうに笑っていればいいのに……)
表情の乏しいクロには、どうやら悲しい過去があるらしいので、それはとても難しいのだろうが、いつかさっきのような無防備な笑顔を、いつでも浮かべられる心境になれるといい。
人間と比べるととても寿命が長いらしいあやかしのクロにとって、例えそれが何十年後になっても、何百年後になっても――。
(その頃にはもう私はいないけど……)
その事実を、とても苦しく思いながら、私は運転席に座り直し、ハンドルを握る。
「そろそろ帰ろうっか」
三人で暮らすあの家に、せめて今だけは――この賑やかな車の中と同じように、笑ったり怒ったりしあう楽しい時間を過ごせるあの場所へ――帰れることが嬉しい。
「うん、帰ろう」
「そうだな」
私が車を発進させると、またどちらかが話を始める。
「そうそう、そういえばこの前さ……」
今となっては、それは私が運転中に眠くならないように、二人が気を遣ってくれているのだとわかる。本来ならば二人はあやかしの姿に戻り、とっくに山の上の家に帰れているのだから――。
(ありがとう)
心の中でお礼を言いながら、私は二人のやり取りに耳を傾け続けた。
大きな月が煌々と頭上から照らし、まるで今の私の気持ちのように、明るい月夜だった。
「ごめんね瑞穂ちゃん……川で溺れかけたりして、疲れてると思うんだけど、運転させちゃって……」
「ううん、いいの。二人があやかし宛ての荷物を配っている間、車で休憩してたし……私の他には車の免許を持ってる人もいないし……」
シロと私の会話に、うしろのクロが口を挟む。
「お前の車を置いて帰るわけにはいかなかったんだから、仕方ないだろう……そうでなければ、俺はとっくに飛んで帰っている」
「……すみません」
「なんで瑞穂ちゃんが謝るのさ。あーやっぱり俺、車の免許取ろうかなー」
「そうしろ、そうしろ」
ひっきりなしに会話が飛び交うことが、私は決して嫌ではなかった。おかげで真夜中に近いというのに、眠けが来ることもないし、あれほど怖いと思っていた夜の山道も、さほど怖くない。
一つ目の山を越えて、次の山が見える直線道へと向かうカーブの手前で、私は以前この場所が通行止めになっていたことを二人に話した。
「そういえば初めて出張所へ行った日は、この道が使えなくて、焦ったな……」
「そうだったの? なんで?」
「この先の橋が壊れてて……」
「そんなはずはない」
きっぱりとクロに言い切られてしまったので、私は驚いてバックミラー越しに彼を見る。
「……え?」
後部座席に悠々と背中をもたれかけて座り、腕組みしているクロは、もう一度断言する。
「この道が最近崩れたことも、それが修理されたこともない」
「だけど……」
確かに壊れていたのだと、主張しかける私を遮って、シロが問いかける。
「それで瑞穂ちゃんは、どうやって山の上出張所まで来たの?」
「え? 御橋神社はこちらって矢印の看板が立ってる抜け道があって……それを抜けてだけど?」
ちょうどあの抜け道にさしかかる辺りだったので、私は車のスピードを落とし、二人にもわかるように、この道路から右へ入る抜け道を示すつもりだった。
しかし――。
「え……ない……えっ? ええっ?」
動揺しすぎて急ブレーキをかけて止まってしまい、クロにとても嫌な顔をされた。
こんな真夜中にこの山道を走る車があるとも思えないが、後続車が来ると困るので道路の端へ車を寄せて、私は必死で二人に訴える。
「あの大きな木の生えているあたりに、ちょうど私の車が通れるくらいの道があって……確かに、山の上へ出るまで対向車がまったく来ないほど利用者のない道ではあったけど……こんなに短期間でなくなることってある? がけ崩れでもあった?」
私の必死の説明を聞いていたシロが、少し神妙な面持ちでクロをふり返る。
「クロ……これって……」
「ああ」
クロはわかっているとばかりに頷いて、後部座席から身を乗り出して、運転席に座る私へ問いかけた。
「瑞穂、お前その抜け道を見つける前に何かしなかったか? 例えば綺麗な小石を拾ったとか、不思議な絵の描かれた木の札を見つけたとか……」
いったいそれが、抜け道がもうなくなっていることと、どう関係があるのかと思いながら、私は首を傾げる。
「ううん、特にないけど……」
「今まで見たことのないような木の実を食べたとか、何か動物を助けたとか……」
食い下がるクロの言葉を、頭の中は疑問符だらけで聞いていたが、最後の質問でぴんと来たことがあった。
「あ! 動物なら助けた!」
クロと頷きあったシロが、私に笑顔で質問する。
「それってどんな動物?」
私は意気揚々と、あの時のことを二人に語って聞かせる。
「白い蛇だよ。壊れた橋に引っかかって動けなくなってたんで、棒で助けてあげたの……そういえばそのあと、あの抜け道を見つけたんだった……それがどうかしたの?」
これはなかなかできない体験ではないだろうかと、私は多少自慢げに話したのに、二人の反応はあまり大きくない。
「白蛇……」
クロは唸るように呟いたきり黙りこんでしまうし、シロはひゅーっと口笛を吹いただけで、何も言わない。
「え……何かまずかった?」
恐る恐る訊ねてみると、先にクロから返答があった。
「いや、何もまずくない」
「そうそう、さすが! って驚いただけだよ」
シロもそう付け足すと、車のダッシュボードを指でとんとんと叩いた。
「ここに貼ってあるお札、瑞穂ちゃん、みや様から直接いただいたらしいけど、そもそもみや様本人が、瑞穂ちゃんを狭間の空間に招いたんだって、びっくりしただけ」
「みや様? ……どういうこと?」
みんながみやちゃんのことをそう呼ぶとは私も知っているが、今の話とみやちゃんがどう繋がるのだろう。
(そういえば前に千代さんもそんなことを言っていたような……)
首を傾げた私に、シロが笑いながら語る。
「普通の人間では見つけられないものをわざと置いておいて、俺たちの世界に対応できそうな人間を探すのは、あやかしもよくやる手だけど……壊れてもいない道を壊れていると見せかけて、通りかかった人間が困っている動物を助けるかどうかを測るなんて仕掛けなら、みや様の悪戯で確定。しかも白蛇なら、それは本人だ」
ぱちりと片目を瞑ってみせられるけれど、私はひっかかるものがある。今のシロの話だと、まるであの白蛇がみやちゃんだと言われているかのようだ。
シロにそう確かめてみると、あっさりと頷かれた。
「うん、だからそうだよ」
「ええええっ?」
驚きの声を上げる私に、クロが後部座席にゆったりと座り直しながら尋ねる。
「そもそも瑞穂……お前、みや様がどなたなのかわかってるのか?」
「え? 神社の子じゃないの?」
「神社の子……」
絶句してしまったクロに代わり、シロが慌てて正しい答えを教えてくれる。
「みや様は、御橋神社に祀られている神様だよ……御橋神社は古い歴史があって、神宮と呼ばれていた時代もある……だから『宮様』……本当に知らなかったの?」
「知らなかった……」
呆然と呟くと、クロが後部座席で大きな声で笑い始めた。
「はははははっ」
普段とはまるで別人のような声で高らかに笑うので、思わずふり返ってしまったが、シロも同じようにふり返ったということは、どうやら彼にとっても珍しい現象だったらしい。
「……クロ?」
呼びかけるシロに、待ってくれとばかりに大きな手を広げてみせて、クロはそれで自分の顔を覆う。
大きく表情を崩して笑っている顔を初めて見て、私はとてもドキドキしていたのに、覆った手を退かした途端、いつもの冷たい無表情に戻っており、内心がっかりした。
(いつもあんなふうに笑っていればいいのに……)
表情の乏しいクロには、どうやら悲しい過去があるらしいので、それはとても難しいのだろうが、いつかさっきのような無防備な笑顔を、いつでも浮かべられる心境になれるといい。
人間と比べるととても寿命が長いらしいあやかしのクロにとって、例えそれが何十年後になっても、何百年後になっても――。
(その頃にはもう私はいないけど……)
その事実を、とても苦しく思いながら、私は運転席に座り直し、ハンドルを握る。
「そろそろ帰ろうっか」
三人で暮らすあの家に、せめて今だけは――この賑やかな車の中と同じように、笑ったり怒ったりしあう楽しい時間を過ごせるあの場所へ――帰れることが嬉しい。
「うん、帰ろう」
「そうだな」
私が車を発進させると、またどちらかが話を始める。
「そうそう、そういえばこの前さ……」
今となっては、それは私が運転中に眠くならないように、二人が気を遣ってくれているのだとわかる。本来ならば二人はあやかしの姿に戻り、とっくに山の上の家に帰れているのだから――。
(ありがとう)
心の中でお礼を言いながら、私は二人のやり取りに耳を傾け続けた。
大きな月が煌々と頭上から照らし、まるで今の私の気持ちのように、明るい月夜だった。