荷物引き受けの道具をまとめていると、珍しくクロが近くにやってくる。

「おい、まさかあの男の荷物を受け付けるんじゃないだろうな、瑞穂」

 咎めるような口調にドキリとして、私は問い返す。

「あの男って……?」
「あの、木の陰に隠れてる陰気男だ」

(陰気男……)

 私は心の中でため息を吐いた。

(河太郎さん、だったっけ……? 必死に隠れても、クロには全部見えちゃってるみたいですよ……)

 ようやく特別な荷物を依頼してもらえそうだった私は、それを諦めきれず、どうにかクロを懐柔できないかと模索する。

「引き受けたらいけないんですか? ……どうして?」

 クロは腕組みをして、ふんっと顎を上げ、見る者を圧倒するような凄みのある顔になった。

「どうせ、ろくでもない荷物だからだ」

 その効果は離れた場所でこちらを隠れ見ている河太郎さんにもじゅうぶん発揮されたようで、彼は慌てて木の裏に完全に隠れてしまう。

「まあ、さすがにそれは言い過ぎだけど……面倒なことになるかもしれないから、断わったほうがいいとは俺も思うな」

 シロが横から口を挟み、私はどうするべきか考えた。

(どうしよう……)

 二人はあやかしに詳しいので、助言には素直に従ったほうがいいとは思うが、特にクロは、判断基準が個人的主観過ぎる。

(どうせろくでもない荷物だ、って言い切られても……)

 クロはともかくシロの口ぶりが、私を強く止めるものではなく、あまりお勧めしない程度だったことに、賭けてみることにした。

「とりあえず話を聞いてくるね」
「瑞穂!」

 再び外へ出ていく私に、クロは怒りの声を上げたが、シロはひらひらと手を振る。

「気をつけてー」

 その時点で、クロに反対されても河太郎さんの荷物を引き受けようという意志が、私の中で固まっていた。



「本当にお前は……考えなしの馬鹿で、つきあいきれん」

 昨日の夕食から今日の朝食まで、卓袱台を囲んでの食事の席で、クロは私を前にして、ずっとその言葉をくり返している。

「だって……どうしても諦めきれなくて、どうにかしてこれを渡したいって泣かれたら、断われるわけないじゃないですか……」

 私もまた、何度も同じ答えを返している。
 河太郎さんの依頼は、先日喧嘩別れした人間の恋人へ、プレゼントを届けてほしいというものだった。それをきっかけに、二人の関係を修復したいと涙ながらに訴えられたので、私はその小さな荷物を引き受けた。

「だからそもそも、内容なんて聞かず、突っぱねればよかったんだ」
「それじゃこの仕事をしている意味がないです……」

 そこでクロが決まって沈黙する。そのやり取りを、昨晩から飽きもせずに何度もくり返して、シロはすっかり呆れている。

「まあ、もう引き受けちゃったんだし……しょうがないんじゃないの?」

 ホッケの干物をつつきながらの発言に、私は笑顔で同意した。

「そうだよね!」
「うん。俺が同行できれば、クロも文句はないと思うんだけど……今日は一限から講義だからごめんね」
「いいの! 住所は河太郎さんにちゃんと教えてもらったから大丈夫……今回は一人で行ける!」

 シロのあと押しを得たことで、ようやく落ち着いて食事が出来そうだと、私が味噌汁のお椀に口をつけた時、クロは逆に箸を置いた。

(え……?)

 すでに出勤準備を済ませ、スーツ姿になっていたクロは、その上着のポケットからスマホをとり出す。どこかへ電話をかけると、ごほんと咳ばらいをして話し始めた。

「あ、黒瀬です。すみません、急用が出来たので今日の半休の予定、やっぱり全休にしてもらえますか」

(えっ⁉)

 味噌汁でむせそうになり、慌ててお椀をおいた私を見ながら、クロはネクタイの結び目に指をかけ、それを少し引き下げてネクタイを緩める。

「ええ、手のかかるペットが粗相をして、片づけに時間がかかりそうなので……」

(ペットってまさか私のこと⁉)

 目を剥く私の隣で、シロはぶっとふき出し、ごほごほとむせている。
 その背を撫でながら、私はクロを睨みつけたのに、当の本人はそ知らぬ顔だ。

「よろしくお願いします」

 電話を切ると、クロは私に向かって、不機嫌そうに宣言した。

「ということで、今日は俺が同行する」

(そんな!)

 できれば助けてほしいと、私はシロに縋るように目を向けたが、ようやく呼吸が整ったらしい彼には、はははと乾いた笑いを返されるばかりだった。



 長い時間車の運転をする時、密室に長時間同席にすることになるのだから、同乗者との関係性はかなり重大だ。
 田中さんの家を初めて訪れた際、山を登ったり下ったりと、往復四時間も走ったが、道を捜しながらだったのと、助手席に座っていたのがシロだったため、沈黙を辛く感じることはなかった。

(だってシロくん、放っておいたって次から次へといろんな話題を出してくるんだもん……)

 豆太くんと街まで往復した時も、気にもしなかった。

(途中で豆太くんが寝ちゃったのもあるけど、起きてる時も田中さんの話や、山のどこに綺麗な葉っぱがあって、いいどんぐりが落ちているのかなんて話……楽しかったな……)

 しかし隣に座っているのが、クロとなるとそうはいかない。一つの会話もない中、お気に入りの曲を流すわけにもいかず、眠けと疲労と戦いながら、私は必死に車のハンドルを握っている。

(何か……何か話してよ……)

 クロには期待できないので、私はなんとか、今日の荷物の依頼主についての質問をひっぱり出した。

「河太郎さんのこと……クロさんはよく知ってるんですか?」

 返事がないので、無視されたのかと虚しくなりかけたが、大きなため息を吐いてから、クロは話し始めてくれた。

「直接関わりを持ったことはないが、聞こえてくる悪評を耳にしているという点ではそうだな」
「悪評……」
「その贈り物の相手との関係だ」
「あ……」

 そういえばクロは、あやかしと人間が深く関わることをよく思っていないのだったと、私は今更ながらに思い出した。

「どうしてクロさんは反対なんですか? その……」

 なんと訊ねたらいいのか言葉に迷い、語尾を濁す私を、クロが助手席からじっと見つめる。
 彼は背が高く、肩幅も広いので、自然と隣に座る私との距離も近くなり、そういう距離感で男の人を隣に乗せたことのない私は、妙に緊張してしまう。

(あまりこっちを見ないでほしい……)

 私の心の声が聞こえたわけでもないのだろうが、クロが腕組みをして窓の外へ顔を向けた。
 射るほどに鋭い視線から解放されて、私はほっとする。

「もともとの生きる世界が違うんだ……虚しいだけだ……」

 クロは窓の外を見ながらぽつりと、私の質問への答えらしいことを呟いた。
 しかしその時ちょうど、車が大きなトラックとすれ違ったところで、私はその返答をうまく聞き取れなかった。

「え? なんですか? 何か言いました?」

 クロは、体ごと窓の外へ向き直り、怒りに肩を震わせながら、低い声で唸る。

「なんでもない。何も気にせずお前は運転に集中していろ!」
「…………はい」

 それ以上食い下がると、ますます不興を買ってしまいそうだったので、私は本当にそれきり口を噤むことにした。
 実際は、うっすらとは言葉を聞き取れていたのだが、それに関してもう触れてほしくなさそうな雰囲気だったので、自分のその勘に従ったのだった。