市町村合併で三つの町と一つの市が一緒になった御橋市(みはしし)は、北は県境にもなっている高い山脈から、南は大海原に面した港まで、県の五分の一ほどの面積を占める広い街だ。
 拓けた市街地にはビルも建ち並び、商業施設も充実しており、住宅街が広がっているが、車で三十分ほど北へ向かって走れば景色は一変する。
 見渡す限りの緑、緑、緑。

 幾重にも連なる山々の麓には、それぞれ小さな町が形成されてはいるが、スーパーと病院と銀行と小中学校が一つずつしかないような、どれも小さな集落だ。
 多くの町民は、仕事のために毎日市街地へ通っているし、山間部には高校がなく、中学を卒業した子どもたちは、長時間のバス通学か、家を出ての下宿を選ぶことになる。
 昼間に山に残っているのは、林業関係者か農業を営む者か、お年寄りか小さな子供だけ――。

 そういう集落の荷物の宅配を、一手に担っているのが、わが『そよ風宅配便』の『山の上出張所』だった。




「あーあ……やっぱり簡単に、来るなんて言わなきゃよかったかな……」

 愛車のハンドルを握り、お気に入りの音楽をカーステで流しながら、私は声に出して呟いてみる。
 営業所を出てから二十分が経過し、すでに一つの山を越えてその先の集落に到着しようというところだった。
 そこは比較的大きな集落で、市街地へ行ける電車が止まる駅があり、周りにはコンビニもある。もっとも、朝夕以外は二時間に一本しか通らない電車ではあるが――。

 山を抜ける間、横には常に、道に沿うように川が流れている。
 市街地の真ん中を縦断する大きな河川の源流であり、道路と何度も交差しているため、それを渡る橋がやたらと多い。『御橋市』という市名の由来だと聞いたことがあった。

 前方に見えてきた長い坂を下りきると、いよいよ集落だ。カーブを曲がると前方には次に登る山も見えるはずで、風光明媚な場所ではある。

「よーし……せっかくだからひさしぶりに、ラーメンでも食べようかな」

 以前、雅司とドライブに来た時に、立ち寄ったラーメン店のことを思い出し、確かカーブの先にあったその店に、行ってみようと思い立った。
 しかしカーブを曲がったところで、私は慌てて急ブレーキを踏んだ。

「うわっ!」

 キーッとタイヤがアスファルトに擦れる音を響かせて、車は止まる。
 坂を十メートルほど下った先は道路が大きく抉れ、通行不能になっていた。

「あちゃー……」

 おそらく先日の大雨で、道路と交差する川が増水した時に、路面を持っていかれてしまったのだろう。この道路ではよくあることだ。
 『この先通行不能』と、これまでにも立て看板が置かれていたのかもしれないが、細かな道路工事のお知らせが多すぎて、私は気がつかなかった。

「どうりで、対向車も後続車もいないわけだ……」

 山と山の間の集落を結ぶ道路は、これが一番大きなものだが、脇道や山道は無数にある。
 迂回路を探さなければと、バックしかけた時、抉れた道のところで、きらりと何かが光った。

「ん?」

 思わず目を凝らして見てしまったのは、白くて長いものが蠢いているように見えたからだ。
 好奇心に駆られて、私は車のエンジンを止め、その場所に近づいた。

「うわ……」

 長い紐のように見えたそれは、白い蛇だった。アスファルトの切れ目に尾のほうが挟まってしまったようで、抜け出せずに暴れている。
 くねくねと蠢くさまは、不思議な動きだとは思うが、気持ち悪いなどの感情は湧かない。市街地の外れにある実家に住んでいた頃は、庭で見かけたこともあるからかもしれない。

「ええっと……」

 さすがに手づかみでは触れないので、手頃な棒を探す。道の端から拾ってきた木の枝をさし出すと、くるくると巻きついてきたので、私は少し力をこめてひっぱった。

「ちょっと痛いかもしれないけど……ごめんね」

 かすかにひっかかるような手ごたえはあったものの、蛇の尾がうまく地面の裂け目から外れた。そのままじっと棒に巻きついているので、なるべく自分から離すように持ちながら、川の近くへと移動する。
 橋の袂から大きく体を乗り出して、棒を水面に近づけると、巻きついていたのをしゅるっと解いて、すーっと水面を走るように泳いで行ってしまった。

「よかったよかった」

 無事に蛇も助けられたところで、次は自分の迂回路を探さなければと、車のほうをふり返ってみる。すると左手に、逆方向からは見えなかった山道が見えた。

「あ……」

 木製の矢印で『御橋神社』と書かれているところを見ると、どうやら次の山の上にある神社まで通じているらしい。私の目的地である『山の上出張所』は、神社のすぐ傍だ。

「ちょうどいいじゃない」

 車に乗りこんで、木製の矢印が立つ山道へと進んでみる。ぎりぎり車一台が通れるほどの道幅しかなく、前から車が来たらたいへんそうだが、山道はどれもそんなものだ。

「きっと、離合できるぐらいの場所は作ってあるでしょ」

 気楽に進んだことを、私はすぐに後悔することになった。

「うっ……かなり厳しい……」

 道幅は本当に私の軽自動車がやっと通れるぐらいで、少しでもタイヤが滑れば、脱輪してしまいそうだ。道はどこまでも緩やかに上っている。右側はずっと岩肌で、左側は崖。
 決して運転操作をミスできない緊張で、ハンドルを握る手にはいつも以上に力がこもった。

「早く……早く広いところに出ないかな……」

 どこまで進んでも、見上げるほどに高い岩壁と、空を覆うように繁っている木々ばかりで、その他の景色はまったく見えない。

「本当のこの道であってるのかしら……?」

 不安を覚えた頃、ようやく森を抜けた。
 出た先は、アスファルトで舗装された大きな道路だった。観光バスも悠々と転回できるような道幅のその道路は、奥にある『御橋神社』への参拝客が増えたために、最近整備されたものだ。

「よかったあ……」

 ひとまず目的の場所にたどり着けたようだと、私はその綺麗な道路へ車を進ませた。