「いらっしゃいませ」

 首の長い女性は、いかにも不満そうに私へ荷物を手渡す。

「あんた、誰?」

 迫力に怯みそうになりながらも、私は営業スマイルで頭を下げる。

「芦原瑞穂です。よろしくお願いします」
「ふーん、私は真理恵。そう書いてね」

 真っ赤に塗られた爪で、とんとんと木簡をつつかれるので、下のほうにとりあえずひらがなで書き入れる。もちろん筆などすぐには使えないので、昼間の出張所から持ってきたボールペンだ。

「まりえさん……あの、苗字は?」

 おそるおそる訊ねると、呆れたように首を伸ばされた。

「はあっ? あやかしに苗字なんてあるわけないでしょ。届け先は紀理恵。私の姉。ねえ、あんた大丈夫? ちゃんと届くんでしょうね?」

 長すぎる首がカウンターを越えて、今にも私の首に巻きつきそうにとぐろを巻き、綺麗にメイクされた真理恵さんの顔が私の顔のすぐ前に迫る。

「届けるのは俺とクロだから大丈夫だよ、真理恵ちゃん」

 シロが横から答えてくれると、真理恵さんの首はしゅるっと短くなった。

「あ、はい。じゃあ、よろしくお願いしまーす」

 すっかりしおらしくなった真理恵さんと、そのお姉さんだという紀理恵さんの名前を書いた木簡に、私は印章を押してからすっと指で線を引いた。
 これで失敗したらまた真理恵さんの首が伸びるのではないかとひやひやしたが、一発でぱかっと割れて安心する。

(よかった!)

 長いほうを荷物に差し、短いほうを真理恵さんに渡すと、ようやく一つ目の荷物の引き受けが終わった。

「ありがとうございました」
「できたね」

 隣からシロの声がして、ちゃんと見守ってくれていたことに感謝する。

「うん、ありがとう」

 私の様子も見ながら、自分の仕事もしているシロの負担を少しでも減らせるように、同じ要領で、目鼻口のない女性の荷物も引き受けた。

次に並んでいたのは、クロと似た格好の小柄な男性で、私の前に立つと一気にまくしたて始める。

「なんじゃお主は? 人間の女子か? はっ、まさか宗主様をたぶらかそうと⁉ この伊助の目の黒いうちは、人間の女子など決して近づけ……」

 カウンターからほぼ顔が出ていないのに、壁に向かって機関銃のように話しているのが面白くて、どちらかといえば私は笑いをこらえてその小柄な烏天狗の話を聞いていたのに、背後から鋭い声が飛ぶ。

「伊助! 荷物の依頼じゃないのなら今すぐ帰れ!」

 烏天狗は可哀相なほどに飛び上がって、ぶるぶる震えながら、声を飛ばしたクロにペコペコ頭を下げた。

「もちろん、依頼でございますよ。依頼でございますとも……これを雷蔵どのに。我が名は伊助」
「いすけさんから、らいぞうさんへ……」

 私が木簡を書き終わって指で切ると、ひったくるように控えを受け取って烏天狗は帰っていく。

「宗主様に色眼鏡を使ったら、容赦せんからな、小娘!」
「伊助っ!」

 クロの叫びに、文字どおりすっ飛んで帰っていった。

「なんか……今日は変わったお客さんが多いね……」

 呟く私に、シロが次々と作業を進めながら笑ってみせる。

「そう? クロ目当てのお客は、いつもこんなものだよ……あ、瑞穂ちゃん目当てのお客さまだよ」

 目線で示された先には、豆太くんが立っていた。

 自分の順番が来るまで、私の立つ窓口の前に出来た列に並んでちゃんと待っていた豆太くんは、「どうぞ」と私が声をかけると、不安そうに歩み寄ってきた。

「じいちゃんの荷物は……」
「ちゃんと届けたよ」

 私が答えると、ほっとしたように笑顔になる。

「それでこれ、田中さんから豆太くんにお返しだって……」

 預かった焼き菓子を手渡すと、豆太くんはますます笑顔になった。

「田中さん、とっても喜んでたよ。『ありがとう』だって。よかったね、豆太くん」
「うん! うん!」

 何度も頷くと、豆太くんは、頭に乗せた葉っぱの下から、箱を取り出した。

「じゃあ、今度はこれ……」

(絵本やアニメに出てくるたぬきみたいに、いかにもって感じで頭に葉っぱなんか乗せてるんだなーって思ってたけど……それってそうやって使うの???)

 思わず違うことを考えてしまってから、私ははっと首を振る。

(いかん! いかん! 今は仕事中……)

 目をきらきらと輝かせて私を見つめる豆太くんを見ていると、とても断ることは出来そうにない。

「えっと……今度はそれを届けるの?」
「うん!」
「……田中のお爺ちゃんに?」
「うん! じいちゃんに!」

 念のために確認してみたが、どうやらまた私が明日の休業日に、自分の車で田中さんの家まで行かなければならないのは確定のようだ。

「わかった……たなかしょうきちさんへ、まめたくんより」

 本当は泣きたいような気持ちだったが、嬉しそうな豆太くんの笑顔には抗えなかった。
 宅配屋内はかなりの賑わいなのに、うしろから聞こえてきたクロの呆れたようなため息だけは、しっかりと私の耳に届いた。



 夕食時、丸い卓袱台を三人で囲んでクロが作ってくれた本格中華を食べながら、クロが何度も呟く。

「馬鹿か」
「…………っ」

 そのたびに、何か言い返そうと私は口を開きかけるが、結局何も言えなくて、悔しまぎれに酢豚や棒棒鶏や餃子を口に詰めこむ。

(悔しいっ! でもそれにも増して美味しいっ!)

 このままこの家に住んでいると、太ってしまうのではないかと危ぶみながら、すごい勢いで食事を続ける私に、シロが助け舟を出す。

「まあでも、お爺さんも豆太もとても喜んでくれてるしね」

 その通りだと思いながらも、ちょうど炒飯を口いっぱいにほおばったばかりで声が出せず、私は代わりにうんうんと頷く。
 クロはすっと冷たい目をシロへ向けた。

「一度や二度ならそれでよくても、続けているとどうなるか……わかるだろ?」
「それは……まあ……」

 気まずそうに視線を伏せてしまったシロから私へと、クロは向き直る。

「瑞穂、昨日の配達に何時間かかった?」

 車を運転していたのは往復四時間だが、田中さんの家でお茶をご馳走になったり、話をしたりしていた時間を含めて、私は答える。

「五時間……かな?」
「ガソリンはどれくらい減った?」
「山を登ったり下ったりしたから……満タンの半分くらいかな……」

 実際はそれより少し多いくらい消費していたが、クロから訊ねられるうちに自分でもヒヤリとして、ごまかしてしまった。

(そうか……)

「善意だけで何度も続けるには、負担が大きい。見返りもない。だからこそ、宅配便っていう仕事が存在してるんだろ?」
「はい……」

 それを仕事として賃金を貰いながら、無償で豆太くんと田中さんの荷物を運ぶことは確かに矛盾している。それでも私は、期待に満ちた豆太くんの顔を、裏切る選択はできなかった。

「プロ失格だな……」

 落ちこみながら唐揚げに箸を伸ばすと、ちょうど同じ唐揚げをクロも狙っていたらしく、同時に掴んでしまう。
 きまり悪そうにそれを放して、ごほんと咳払いして、クロが小さく呟いた。

「だけど、気持ちはわかる……」
「え?」

 思いがけない言葉に、ぽろっと私の箸から落ちた唐揚げを、横からシロがさらっていく。

「俺も」

 ぱくりと唐揚げに噛みついたシロを見て、上げた抗議の声がクロと重なった。

「「ああっ!」」

 二人で顔を見あわせて、それぞれ大慌てで確保した残り少ない唐揚げを、自分の取り皿に取っておく。そこまでの動きがクロとまったく同じで、私はそれまでの気落ちした気分も忘れて、思わず笑ってしまった。
 見ればクロも、少し表情を柔らかくして、話はここでいったん終わりにして、食事のほうへ専念すると決めたようだ。
 それからは少しリラックスして、三人で食事を続けた。
 私の悪いところはちゃんと指摘しながらも、二人揃って「気持ちはわかる」と同意もしてくれたことが、とても嬉しかった。