誰もいなくなった家で、一人で留守番しているのも暇で、簡単に室内を掃除したあと、私は外へ出てみた。
 昨日は暗い中でしか見なかったのでそれほど実感がなかったが、かなり古い木造の建物だ。

(住宅メーカーが建てた家って感じじゃないわよね……いかにも昭和。まさかそれ以上?)

 周囲を雑草に囲まれているので、目立つものだけでもと抜いていると、次第に止まらなくなってきた。
 家から営業所へと続く空地――配送車が車を横付けする場所と私が車を停めている場所も含めて――を真剣に草むしりし始めると、額にじんわり汗が浮かんでくる。

(なかなかの重労働……これって終わらなくない?)

 たいした準備もせずに作業を始めたことを後悔していると、営業所の入り口がある参道のほうから聞き覚えのある声がした。

「瑞穂ちゃん? 草むしりしとるの? 帽子を被らんと日射病になるよ」

 顔を上げて見てみると、昨日焼き芋をくれたお婆さんだった。

「あ……ですよねぇ……」

 雑草を踏みしめながら傍までやってきたお婆さんは、自分が被っていた麦わら帽子を脱いで、私に被せてくれる。つばの広い帽子で、固定用の二本のリボンが付いており、それを私の顎の下で結んでくれた。

「私はもう今日の畑仕事が終わったところじゃけぇ、貸してあげる。時々は休憩もせんといかんよ」

 営業所の隣にある自動販売機を指さされ、確かにその通りだと、私は頷く。

「はい、そうですね。ありがとうございます!」

 お婆さんは腰の後ろで手を組んで、ニコニコ笑いながら帰って行った。

「若い人が住むようになったら、このへんも少し活気づくねぇ……」

 その言葉を聞いて、私ははっと気がつく。

「あ……」

 私はまだ、この社宅に住むと決めたわけではなかった。

 昨日はすっかり暗くなってしまい、夜道を運転するのが怖かったので、ひとまずここに泊ることにしたのだった。
 それなのに昨夜からの成り行きで、まるでこれからここで暮らすかのように、草むしりなど始めてしまっている。

(しかもちゃっかりと、今晩のおかずのリクエストもしてるし……住むにしても、必要なものを取りに、いったん街のアパートへ帰ったほうがいいかな?)

 古い建物と、営業所横に停めた愛車を交互に見ていると、背後から視線を感じた。

(…………?)

 ふり返って見てみると、営業所の斜め前に聳え立つ、御橋神社の大鳥居の陰に、四、五歳くらいの女の子がしゃがんでいる。

(……ん?)

 肩の位置で切り揃えたおかっぱ頭の、色の白い可愛らしい女の子だった。顔の半分ほどもある大きな目を輝かせて、私を見ている。
 周りを見渡してみても、親らしき人影はない。

(ええっと……)

 あまりにまじまじと見られていることが照れ臭くて、手を振ってみると、女の子はぱっと笑顔になって、一生懸命に手を振り返す。

(すごい可愛い子だな……)

 何度かそれをくり返した末に試しに手招きしてみると、待ってましたとばかりにぱたぱたぱたと足音を響かせて、私のもとへ走ってきた。
 神社の巫女さんが着ているような、紅い袴と白い着物を着た子だった。

「神社の子?」

 鳥居の奥にあるはずの御橋神社のほうを指さしてみせると、細い首が折れてしまいそうにこっくりと頷かれる。

「お父さんか、お母さんは?」

 少女は少し悲しそうな顔になって、黒髪をさらさらと揺らして首を横に振った。

(お仕事中なのか、そもそもいないのか……なんにせよこんな小さな子に、根掘り葉掘り聞くことはないか……)

 少女が私の隣にしゃがみこんで、真似をして草むしりを始めたので、着物の袖が地面につかないようにたくし上げてやる。お婆さんに貸してもらった麦わら帽子を被せてやると、ぱあっと笑顔になった。

(本当にお人形みたいに可愛い子だな……)

 しばらく二人で草むしりをしていたが、お昼が近くなったこともあり、いったん作業を中断する。

「喉が渇いたよね……何か飲む?」

 営業所隣に置かれた自動販売機へ向かうと、少女もぱたぱたとついてきた。
 子供の目線では並んでいる商品が見えないので、脇を持って抱き上げてやる。
 想像していた以上に軽くて、まるで本当に人形を抱きかかえているかのようだった。

「どれがいいかな?」

 少女が指さした小さなオレンジジュースのペットボトルを私も選んで、並んで営業所の入り口の段差に腰を下ろす。
 キャップが開けられなくて少女が悪戦苦闘していたので、開けて手渡してやると、少女はすぐに飲み口に口をつけ、嬉しそうな笑顔になった。

「おいしい?」

 問いかけには頷くので、意思の疎通はできているが、少女は言葉を話さない。
 これぐらいの年齢の子どもが、どれぐらい会話ができるのかに私は詳しくないのでなんとも言えないが、あまりおしゃべりなほうでないのはまちがいない。
 小さな喉をこくこくと鳴らしてジュースを飲んでいた少女が、飲み終わって私の隣で立ち上がったので、ちょうど同じ目線になった大きな目を見つめて、私は言った。

「そろそろお昼ご飯だから、お家に帰ったほうがいいんじゃないかな? お家の人が捜してるかもよ?」

 少女は長い睫毛をぱちぱちと瞬かせて、神社の鳥居のほうをふり返った。
 少女の黒髪を巻き上げて、さあっと一陣の風が吹き、鳥居の下を潜り抜けて行ったような気がした。

(え……?)

 私が瞬きする間に、少女がまた私のほうを向く。

「うん……」

 可愛らしい声で深々と頷くので、私はカラになったペットボトルをその手から取ってあげた。

「またね。ええと……」

 少女の名前を知らないので、なんと呼びかけていいのか困っていると、少女が再び口を開く。

「みや……」

 小さな声で名前らしきものを伝えてくれたので、私は笑顔で言い直した。

「またね、みやちゃん」

 少女はぱあっと笑顔になって、麦わら帽子を脱いで私に返すと、鳥居の向こうへ帰っていく。
 途中何度もこちらをふり返って、手を振っていく仕草が愛らしかった。
 その姿が見えなくなるまで見送って、私も腰を上げる。

「ひとまずアパートに帰って、必要なものを取ってこようかな……」

 ここに住むか、営業のある日だけ街から通うか迷っていたのだが、草むしりをしているうちに自然と、ここで住むほうに気持ちが傾いていた。
 コンビニもないし、人は少ないし、利便性には欠けるが、このゆったりとした時間の流れは嫌いじゃない。
 一度会ったらもう身内のような、気持ちのかけあい方も――。

 みやちゃんから返された焼き芋のお婆さんの帽子を手に、私は営業所横の空地に停めてある車へ向かった。

「みやちゃんとも、『またね』って約束したしね……」

 街の中心にあるアパートへといったん帰る道は、山の上の営業所へ飛ばされたと怒り半分で来た往路より、目に映る木々も鮮やかで、心が浮き立つようだった。