ちゅんちゅんちゅん ちゅんちゅんちゅん

 のどかなスズメのさえずりに、私は胸までかけていた毛布を鼻が隠れる位置までひき上げて、ベッドの上で丸くなる。

(ん……朝からスズメの声で起こされるなんて、私、実家に帰って来たんだっけ……?)

 寝ぼけた頭でそんなことを考えていると、確かに布団の寝心地が、私のアパートのベッドではなく、実家のそれのような気がした。
 少しずつ意識が覚醒してくると、卵の焼けるいい香りと、味噌汁の匂いも漂ってくる。

(これこれ、やっぱり朝はお母さんのご飯が最高よねー。一人暮らしのアパートじゃ、昨日のコンビニの買い物の残りか、パン一枚が限界だもの……)

 そう考えかけて、私ははっとあることに気がついた。

(違う! 実家じゃなーい!)

 突然の僻地勤務の辞令と、そこで出会った不思議な二人組。
 その夜の姿と、夢としか思えない昨夜の出来事の数々。
 その全てを一気に思い出した私は、毛布を跳ねのけてがばっと起き上がった。

 私が寝かされているのは純和風の布団。
 それはテレビが置かれた居間の隅に敷かれており、すぐ隣に窓があるため、窓の外のスズメの声がやけに近く聞こえたわけだ。
 部屋の入り口では、白い髪に寝ぐせをつけた、Tシャツにスウェット姿のシロが、眠い目を擦りながら歯を磨いている。

「んふぁ、瑞穂ひゃん、ほふぁよー」

 居間と繋がる台所で、黒シャツに紺色のエプロンをぴしっと着けて、朝食を作っているらしいクロが、シロの声にこちらをふり返る。

「瑞穂、起きたのか。さっさと顔洗ってこい。もう朝飯ができる」

 さも当たり前のように言われても、若い男の人二人のすぐ傍で、自分がパジャマ姿で無防備に寝こけていた事実を知ってしまった私は、とりあえず叫ばずにはいられない。

「どうしてーーーー!?」

 クロはいかにもうるさそうに顔をしかめ、シロは嬉しそうに、にかっと笑った。

「はい、瑞穂ちゃん。ご飯はお代わりもたくさんあるよー」

 シロが手渡してくれた茶碗を無言で受け取りながら、私は複雑な気持ちを拭えない。
 丸い卓袱台には、三人分の焼鮭と味噌汁と卵焼きと漬物。

 どれもほっぺたが落ちそうに美味しくて、隣でガツガツ食べているシロに負けない勢いで食べられる自信もあるが、私はあえて黙々と食べ続けた。
 私が何も話さないことをクロは特に気にしていないらしく、同じように黙して食事をしている。

 しかしシロは、とても気になるらしい。ちらちらと様子をうかがい、何度か虚しく声をかけたあと、ついに私に向き直る。

「瑞穂ちゃん、ほんとゴメンって……そんなに怒ると思わなかったんだよー」

 殊勝に顔の前で手を合わせているが、あいかわらず言葉が軽すぎて、あまり謝られている気はしない。

「昨夜、帰る途中で疲れきって寝ちゃったから、とりあえずこの部屋で寝かせたってだけで、本当は一人で使ってくれていい部屋もあるし、なんなら鍵もかかるしー」

 鍵などはたして彼らに意味があるのだろうかと考えながら、私はひとまず口くらいは開いてあげることにした。食べ終わった茶碗と箸を置いて、シロのほうを向く。

「居間で寝ていた理由はわかった……でも、着替えは? どうやって私、パジャマに着替えたの?」
「それは……」

 いかにも言い難そうに言葉を切ったシロに、助けを求めるように目を向けられ、クロも手にしていた箸を置く。

「そんなの簡単なことだ。こうやって……」

 面倒そうに言いながら、私を見つめるクロの目が妖しく光り始めたところで、シロが慌てて割って入った。

「ストップ! ストーーーーップ!! 今やんなくていいから!」

 クロの瞳に吸い寄せられたように、意識が飛んでいた私は、シロの叫びではっと我に返った。

(なんだったの? 今の?)

 考えるのも恐ろしい。
 シロは困ったように、私に向かってまた手を合わせる。

「とにかく、俺たちが服装を変えるのと同じような方法だよ。誓って瑞穂ちゃんには指一本触れてません! 御橋神社に祀られている神さまに誓って!」

 ぱんぱんと柏手を打ってみせるシロを、私はそろそろ許してやることにした。

「わかった……もういい」

 もとはと言えば、昨晩帰る途中で寝落ちてしまった私が悪いのだ。
 眠る私を背中に乗せて帰ったシロは、落ちないように気を配るだけでも大変だったろうに、クロが勝手に始めた競争にも負けて、今日の掃除係になっている。
 本当は感謝こそすれ、非難することではないのかもしれないが、知らない間にパジャマに着替えさせられていたことと、実は直前までシロも隣で寝ていたとクロに聞かされて、すっかり頭に血が上ってしまった。

「もう気にしないことにする」

 見た目が若い男の子ということをいったん忘れて、大きな白狐が添い寝していたと思えばいい。むしろその背中に、昨晩はあんなに自分からしがみついていたのだから――。

 目を閉じて必死に瞑想する私以外の二人が、立ち上がる気配があった。

(え……?)

 目を開いてみると、私のぶんまでさっさと食べ終わった食器を台所へ運び、手早く二人で洗い終わって、各々何かの支度を始める。

「どこか行くの?」

 何げなく聞いてみた私に、クロが鋭い視線を向けた。

「もちろん仕事だ。完全に週三日しか働かない誰かさんと違って、こっちは、昼間は毎日普通に働いてるんだ」
「えーーーーっ!」

 確か昨夜、シロからちらりとそういう話を聞いた気もしたが、ぴしっとスーツを着て、ネクタイを締めるクロの姿を、私は驚きの思いで見つめる。
 シロも寝癖のついた髪を直して、カラフルなヘアピンでサイドを留め、赤い眼鏡をかけて洗面所から帰ってきた。

「俺も今日は一限から授業ー」

 軽やかに玄関へ向かう背中に、私は慌てて問いかける。

「昨夜も遅くまで宅配の仕事だったし、あまり寝てないんじゃ? ……大丈夫?」
「うん、ありがと」

 シロは曖昧に笑ってごまかすだけだが、その彼を追い越して先に玄関に着き、革靴を履いているクロが、ふり返らずに答える。

「瑞穂。お前……あやかしが寝ると思ってるのか?」
「え?」

 瞳を瞬かせた私からそっと目を逸らし、シロは逃げるように家を出ていく。

「じ、じゃあ俺、行ってきまーす」

 その背中をぽかんと見送り、私は我に返った。

(寝なくてもいいんなら、昨夜シロくんが私の隣で寝てたのはなんで? ねえ、なんでなの!?)

 今にも叫び出しそうな私の気配を察したらしく、クロが付け足すように呟く。

「シロはまあ……ちょっと特殊だから……」

 このタイミングでそんなことを言われても、とっさのごまかしだとしか思えない。
 怒りでぶるぶる震える私をさすがに放っては出勤できないらしく、クロが困ったように問いかけた。

「瑞穂……お前、今夜は何が食べたい?」
「え……?」

 不意を突かれて見たクロの顔は、照れたようにかすかに赤くなっているようにも見える。
 私は慌てて、顔を伏せた。

「鍋……」

 焦りのあまり適当に口にした、まるで季節違いのリクエストを、クロの声は少し嬉しそうにくり返す。

「鍋な、わかった」

 がらがらっと扉を開けて出ていく背中を見送り、朝からいろんな意味ですっかり疲れきった私は、へなへなと廊下に座りこんだ。