戦妖記~小国の戦姫~

 じわりと手が汗ばみ、ぞくりとする悪寒を感じるが。いつまでも奴の雰囲気に圧倒され、臆す事は出来ない。
 わらわは苦笑を浮かべながら「過分なお言葉にございまするな」と答えた。
 その答えに、今川は楽しそうに「ホホホッ」と軽く笑みを零すと、扇を口元に広げる。
「ではのぉ。早速本題に入るとしようぞ、太郎殿からそちを早うに戻せと申しつけられておるからのぉ」
 口元を煽ぎながら、のんびりと告げられる。
 今川の恐ろしさに飲まれない様に、殿が計らって下さったのじゃ。殿のお心遣いに感謝せねば。
 恐らく今頃は甲斐辺りにおられる殿に、わらわは感謝の意を送る。
 そして殿に感謝の念を送ってから「して、ご用とは?」と今川に向き直って尋ねる。
「美張国は、この戦乱の世にとっては稀有な国じゃ。だが、それ故に奪おうとする奴らも多い。違うかのぉ?」
 唐突な話に、わらわは少し呆気にとられながら「お、仰る通りにございますが」と答える。
 今ここで美張国の話じゃと?わらわは殿の代理として、ここに呼びつけられたのではないのか?この先の話が見えないぞ。今川は何を言いたいのじゃ。
 わらわが渋面を作りながら、話の先を読もうとしていると。ぱたぱたと口元を煽いでいた扇を、バチッと鋭い音を立てて閉じ、今川はニヤリと口角を上げた。
「美張に襲いかかろうとしておる脅威を一つ・・・潰す気はないかのぉ?」
 間延びした声で淡々と告げられる提案に、わらわは「脅威を潰す?」と些か間の抜けた声で繰り返してしまう。
 わらわの反応に、今川は呵々としながら「そうじゃ」と答える。
「どうじゃ、織田を討つ気はないかのぉ?」
「織田を・・・討つ?」
 予想だにしていない事をあっけらかんと言われ、わらわは愕然としてしまった。
 織田信秀が当代であった時に、幾度か進軍されたが。家臣達の踏ん張りや、妖怪達をぶつける事で、何とか難を切り抜けていた。
 しかし信秀が死に、嫡男の信長が継いでからは、ぱたりと進軍されなくなった。とは言いつつも、こちらが織田への警戒を怠る事はない。緊張感は変わらずで、脆い均衡を保ち続けている様な状態なのだ。
 嫡男信長は、かなりの強者。傍若無人で粗野者ではあるが、天賦の才に恵まれている。そんな奴が、いつまでも進軍せず、大人しいままで居る訳がない。