戦妖記~小国の戦姫~

 それにしても、今川がわらわに用とはなんの事であろうか。今川との関わりは、父上がご壮健の時に軽く小競り合いを起こしただけ。だが、それを今更言い出すとも考えにくい。一体何が狙いなのか。
 殿に、腹の内が読めぬと言わしめる程の相手じゃ。わらわだけで、対応しきれるか。
 相まみえた事はないが、冷淡な人物が待ち構えていると思うと、鞍を整える手が顫動した。
 わらわは震えを奥歯で噛みしめるように止め、キュッと手綱を締める。
 今は考えるべき事ではない。会ってみないと何も分からぬのだ。
 もしかしたら殿は、わらわの気を引き締めさせる為に、大仰に語っていたのかもしれぬ。わらわが耳にしていた噂も、真実かどうかは分からぬのだから。
 会えば、全て分かろうであろう。武だけではなく、頭脳・心理戦の方も鍛える良い機会を、殿から与えられたと考えるべきじゃな。
 自分を宥める様に、わらわは馬の腹をぽんぽんと撫でた。すると馬はひひんと嘶き、パタパタと尻尾を振る。
 そう言えば、京に三河におるとは伝えられぬな。いや、でも京の事じゃ。すぐにわらわの居場所を掴むであろ。
 そうして、その日のうちにわらわ達は信濃を発ち、今川が治める敵国・三河に向かって行った。
・・・・・・
 風の如く空を飛んで向かうと、俺は一日も経たずに目的地に着いた。ストンと帝が住まう宮廷の門前に降り立つ。
 だが、俺は降り立った瞬間に自分の失敗に気がついた。
 二人の門兵が俺を見て慄然としたばかりか、シャッと腰に差している刀を抜き、胴間声を上げる。
「貴様、物の怪だな?!」「何をしに来た!物の怪め!」
 いきり立って刃を向けるが、その手はカタカタと震えていた。
 俺はそれを見て、小さく嘆息する。
 やってしまった。目立たぬ所に着地せねばならなかったな。帝の宮廷前なんて尚更気を遣うべき所だった。
 染みついた人間としての行動が、妖怪としての行動を忘れさせたのか。それとも用が用で焦りすぎたか。
 俺は自分に舌打ちをしてから、二人を宥める様に「どうか刀を治めてくれまいか」と弱々しく告げた。だが、直ぐさま「物の怪の言葉に誰が耳を貸すか!」と、けんもほろろに断られた。