戦妖記~小国の戦姫~

「こんな事は恐らく初めて。ですが、その文は本物の妖王からの物です。きっと何か裏があります。故に、俺は行かねばなりません。無視していては、美張がどうなる事か分からないので。姫、暫時ではありますが。離れるご許可を」
 苦々しく告げると、京はゆっくりと額ずいた。その姿勢から、今京は複雑な心情に苛まれていると分かる。
 京はもう自分の中で答えを出したのだ。断腸の思いでそうと決めたのなら、わらわがその思いを無下にしてはならんよな。
 わらわは堅く目を瞑ってから、ゆっくりと目を開け、未だに額ずき続ける京を見つめた。
「主の言う通り、妖王直々とあっては無視する訳にもいかぬな・・・行って参れ」
 言い終わった途端に、凄まじい程の後悔が襲ってきた。
 こんな事を言いとうなかった。京一人を妖王の下に行かせとうない。
 京はわらわの両翼を担う一人じゃ。そんな存在が、一時ではあるものの付いて来られないとは。片翼を失ったまま、戦に出なくてはならぬとは。
 重々しい不安が全身に纏わりつき、視界が暗くなり始めるが。
「姫」
 凜とした呼び声に、わらわはハッと我に帰った。
 そして声の主をしかと見つめると。京は顔を上げ、わらわをしっかりと見据えて「ご安心を」と力強く告げた。
「すぐに姫の元に戻って参ります。信濃へ発つ時は、ご同行出来ませぬが。用が済みましたら、すぐに馳せ参じまする」
 京はわらわから不安を取り除く様に、柔和な笑みを見せながら告げる。
 わらわはその笑みに、忸怩たる思いに駆られた。
 なんと情けない、主君たる者が側仕えに気を遣わせてどうする。京が側におらぬのは束の間の事じゃ。それだと言うのに、何をそんなに不安がっていたのじゃ。弱気になるべき時ではなかろうて。実に情けない。主君としても、一国の姫としても。
 段々と忸怩たる思いは苛立ちに変わり、「愚か者めが」と憤懣とする。
 一国を背負い、部隊を率いる長がこれでは呆れるぞ。わらわがこんなにも不安を抱いていたままだと、共に戦う兵だって不安になる。部隊の士気が下がり、勝てるはずの戦にも負けてしまう。
 そんな事で負けるなぞ許されない事であるし、わらわの一生の恥となろう。
 長たるもの、何事にも冷静沈着であれ。そう殿にも強く言い聞かせられたであろうに。
 わらわはグッと唇を噛みしめてから、京の顔を見据える。