戦妖記~小国の戦姫~

「如何なさいましたか?」
「いや、先程早馬がやってきてな。明日、信濃に向かう様にと武田殿からの仰せがあった」
 思いもしなかった言葉に、わらわは「明日?」と、軽く目を見張った。
 帰ってきて、こんなにすぐに呼び戻されるとは。前は、一週間程の滞在期間をもらえたと言うのに。・・・いや、それほど上杉との戦が逼迫してきていると言う事じゃな。
 すぐに自身を宥めてから、キリッと気を引き締めて「畏まり申した」と答えた。
 明日、信濃に向かうとなると。今日の内に戦の準備を整えねばならぬな。緋天も刀匠に見せた方が良いかの。
「こちらも三十人を渡す事になったので、引き連れて信濃に向かうと良い」
「三十人もですか?そうすれば、美張が些か手薄になるのでは?」
 軽く憮然としながら返すと、父上は腕を組み破顔した。
「なに、ここに心配は無用。武田殿の元に下ってから、闖入者は勿論、攻め入られる事も無うなった。故に、ここの心配はいらぬ。何かあれば、ワシもおるからの」
 父上はわらわを安心させる様に、毅然として告げる。
 それもそうじゃな。美張は平和じゃ。父上も如才ないお方であるし、ここの家臣達も皆腕は立つ。わらわの様な若輩者が、憂慮するなぞ不躾と言うものか。
「では、父上。準備を整えてから、早々に出立致そうと思いまする」
「うむ、頼んだぞ」
「ハッ」
 歯切れ良く答えると、母上はわらわに悲しげな表情を見せるが。「必ず無事に帰ってくるのですよ」と、言葉には悲しみを一切纏わせず、いつもの様に力強く告げた。
 恐らく母上の心境は、引き留めたい一心なのだろう。たった一日しか共に過ごさず、すぐに命を落としかねない激戦地に赴かねばならない。そんな不安と悲しみを母上は、心の内で抱えておられるのだ。それを分からぬ程、わらわは愚鈍ではない。その愛に気がつかぬ、親不孝者でもない。
 わらわは母上に向かって喜色を浮かべた。
「心配なさる事はありませぬ、母上。無事に帰って参りましょう。今までだって、こうして五体満足で帰ってきておりまする。何も心配はありませぬよ」
 母上はわらわの言葉に、少し目を見開いた。そして目を細め、袖で口元を覆い「ええ」と強く頷く。
「そうですね、貴方の言う通りですね。母は、この美張から貴方の無事を願っております」