戦妖記~小国の戦姫~

 起こしてしまうかもしれないと思い、周りを飛び回らせていた蝶に、深い眠りにつかせる効果がある術をかけて、姫の顔周りを飛ばせた。
 そしてそのまま瓦屋根の上をゆっくりと踏みしめながら歩き、姫の部屋に向かう。誰にも気づかれない様に、蝶に透明化の効果も上乗せした。
 滑る様に廊下を歩き、姫の部屋に着いた。
 普段は絶対に姫の寝所には足を踏み入れる事は無いが。これは不可抗力だと言い聞かせながら、襖を開き、指をシュッと箪笥に向けて振った。
 すると姫の布団が勝手に飛び出し、床に敷かれていく。そして主人を待ち構える様に、掛け布団がぺろんと剥がれた。
 俺はゆっくりと姫を布団の中に降ろしていく。それから剥がれていた掛け布団を自分の手で、しっかりとかける。
 その時、俺は姫の横髪が軽く乱れて、顔に貼り付いていた事に気がついた。長い爪で姫の柔肌を傷つけない様に細心の注意を払って、髪を退けて整えると。突然姫がふふっと笑みを零したので、心臓がドキリと高鳴った。
「姫?」
 俺は囁く様に呼ぶが、返事の代わりにスウスウと言う寝息が答えた。
 俺はなぜだかホッと胸をなで下ろしてから、姫の寝顔を見つめる。
 そしてゆっくりと右手を姫の頬に伸ばしていく。爪で傷つけない様に、ゆっくりと俺の手のひらが姫の柔らかな頬に触れた。
 ぷにぷにと柔らかな肌が手に収まる感触がすると、姫がもぞもぞと動き、スリスリと俺の手に寄ってくる。
 その行動に、俺の心臓はどくんと大きく鼓動を打った。刹那、正常な状態を保つ事が出来なくなり、理性が消えかけ、血だけが全身を沸騰する様に駆け巡った。
 今宵は満月、だから俺はこんな事をしてしまうのだろう。全ては、満月という蠱惑的な物のせいだ・・。
 消えかける理性の合間で、そんな事を思いながら、ゆっくりと顔を近づけていく。
 そして鼻と鼻が触れあうか、触れあわないかの距離で止まった。パラパラと白い髪が姫の顔の横に流れ、簾の様に俺達の顔を隠す。
「お慕いしております、姫・・・・」
 囁く様に告げると、姫の顔がふにゃんと綻んだ。
 それを見ると、俺は小さく息を飲む。
 そしてゆっくりと顔を上げ、姫の頬から手を退いた。その代わりに、姫の長い髪の一房に軽く口づけを落とし、荒ぶる気持ちを抑え込んだ。