戦っていた者達は何事かと手を止めて、皆空を見上げてしまう。
 わらわ達もぶつかる直前で馬を引き、その場で踏みとどまらせて空を見上げる。
 そしてゴロゴロと空が唸る様な、恐ろしい轟きを響かせた。その音で、戦場の空気は一変する。
 最悪が到来してきたのだと、すぐに分かった。
「来たか、雷獣」
 わらわが小さく呟くと、暗雲から突如黄色い閃光が伸び、ピシャーンと大地を震わす轟音で戦場に落ちる。
「うわああああああああああああ!」
 先程よりも比にならない悲鳴があちこちで上がり、敵味方問わずその場から逃げ出した。
「何だよ、面白そうな戦じゃねぇかぁ」
 どこか飄々としていて、挑発してくる様な低い声が、空から聞こえる。
 ゴロゴロと空が怒り始め、暗雲がより一層立ちこめる。真っ暗と言う言葉では、補いきれない暗闇が襲い始めた。
 そして遂に・・。雲を掴み、滑る様に降りてくる、大きな四足獣の姿が露わになる。
 茶色の体毛に覆われているが、腹辺りは雪が降ったように真っ白だ。大きな前足に、鋭く尖った黒い鉤爪。狐の様にも見える顔だが、豺狼の様にも見える。鼻先が長く、鋭い犬歯が二本ギロリと睨むように口から生えている。大きく二本に割れた尾は、綿でも入っているかの様にふっくらとして、楽しそうに左右に揺れていた。
「良いーねぇ、良いーねぇ。楽しそうだぁ」
 間延びした様な図太い声で、ヒヒヒヒと目を細めて笑う。ゴロゴロと喉を楽しそうに鳴らしたのか、雷が鳴ったのか分からないが。嫌な音が大地に響いた。
「俺も入れてくれよぉ」
 ずだぁぁぁぁぁん!
 凄まじい程の雷と共に、雷獣が地に降り立った。ごうっと砂嵐が起き、砂塵がビシビシと体を貫く様に飛んできた。
 これはいかん!すぐに兵を退かねば!
 頭が事の危険さを理解して、体に伝令を出す前に、わらわの体は先に動いていた。
「久遠軍、退避せよ!!味方に伝達するのじゃ!皆、退け!美張に戻るぞ!」
 一騎打ちどころではなくなり、必死に声を張り上げながら馬を走らせ、美張の者達を退かせる。
 昌続も一騎打ちどころではないと判断したのか、追ってこなかった。ゴロゴロと唸る轟音に乗って「武田軍も皆退けぃ!」と言う、低い声を目一杯張り上げて、怒鳴り散らす声が聞こえた。
「京、暫時任せたぞ!」