教会からの帰り道。来た時と同じように並んで土手の道を歩きながら、私はようやく紅君に尋ねた。
「紅君……いつ思い出したの……?」
紅君は「何を?」とも聞かず、私の顔を見て悪戯っぽく笑った。
「本当は、この街に着いてすぐの頃から少しずつ……ちいにいつ知らせて驚かそうかとタイミングを計ってたのに、逆に翔太に驚かされるとは思わなかった……!」
笑顔につられるように、私も笑う。
「本当に!」
ひとしきり二人で笑いあった時、私の長い髪を巻き上げるようにして、私たちの間を一陣の風が吹き抜けていった。それはこの季節では考えられないほど、穏やかな優しい風だった。
「ちい……」
ふいに私の名前を呼んだ紅君が、先ほどまでとは違う真剣な顔で、私を見つめる。本当はわかっていた。紅君が気持ちをこめて何かを語りだす時には、昔からいつも不思議な風が吹いた。だから次に彼が何を言いだすのかも、私にはよくわかっていた。
「ごめん……事故に遭う前のことも、みんなのことも思いだしたけど……まだ、ちいのことだけは思いだせないんだ……」
「うん……」
彼がそう告げるのを、予めわかっていたので、私は取り乱したりせずに済んだ。
「どんなに大切だったか、想いはわかるのに思いだせない……どうしても思いだせないんだ!」
ぎゅっと拳を握りしめた紅君がさらに自分を責めだす前に、私はその拳を両手で包みこんだ。
「いいよ。大丈夫。今、紅君は私の隣にいてくれるんだから……それでいい」
苦しい色に揺らぐ紅君の瞳が、私の顔を見つめる。できることならその辛さを全て消してしまいたくて、私はなんでもないふうを装って笑った。必死に笑った。
「きっといつか思いだすよ……その『いつか』を私はいつまでも待てるから……だからいい」
「ありがとう、ちい」
紅君は少し屈みこみ、私の頭に自分の頭を軽く乗せた。
「じゃあ、その『いつか』が来るまで、ずっと俺の傍にいて下さい」
「えっ?」
ドキリと胸が跳ねる。子供の頃、紅君に突然想いを告げられたあの日のように――。
あまりに近すぎる距離から囁かれる言葉は、まるで自分自身から聞こえてくるかのようで、その近さに緊張する。紅君が放つ言葉の意味の大きさに、どうしようもなく動揺する。
「……あれ? これじゃまるで、プロポーズみたいだね……」
五年前に彼が私にくれた言葉と、紅君が今嬉しそうに呟いた言葉とのあまりの既視感に、頭がぼうっとした。紅君には、私に関する記憶はないままなのだから、これは単なる偶然なのだろうか。とてもそうは思えない。こういう状況をうまく言い現わす言葉を、私は知っている。美久ちゃんと蒼ちゃんが私たち二人の関係を指し、何度も言ってくれた言葉なので、しっかりと心に焼きついている。それは――『運命』。
「紅君……あのね……」
小さく笑いながら、彼にも教えてあげようと口を開きかけたら、すぐさま止められた。私の手の間から引き抜いた両手を大きく広げ、紅君は私を包みこむように抱きしめる。
「だめ。言わないで……俺が自分で思い出すから……きっといつか思い出すから……」
「うん……」
肩口で頷いた私に、紅君は明るい色の髪の頭をそっと寄せた。まるでとても大切なものに頬ずるかのように、私の頭に頬を乗せる。
「だからずっと一緒にいて……ずっと……」
「うん……」
これ以上はないほど幸せな思いで、その日二人で見た黄金色に輝く川の水面を、私は忘れない。少し寂しげな声を残しながら、綺麗に隊列を組んで冬の空を飛んでいった雁の姿も――。
多くのものを一緒に見た。同じ思いを感じた。大切な旅から三日後――。
――紅君は何の前触れもなく、また、唐突に倒れた。
突然に糸を切られたマリオネットのように、地面に倒れた瞬間、『ちい』とただ一言私の名前を呼んだ彼に何が起こったのか、彼が何を考えたのか、それは私にはわからない。
次に目を覚ました時に彼が私を覚えているのか、そもそも目覚めてくれるのかも、今はまだ、まったく見当もつかない。
「紅君……いつ思い出したの……?」
紅君は「何を?」とも聞かず、私の顔を見て悪戯っぽく笑った。
「本当は、この街に着いてすぐの頃から少しずつ……ちいにいつ知らせて驚かそうかとタイミングを計ってたのに、逆に翔太に驚かされるとは思わなかった……!」
笑顔につられるように、私も笑う。
「本当に!」
ひとしきり二人で笑いあった時、私の長い髪を巻き上げるようにして、私たちの間を一陣の風が吹き抜けていった。それはこの季節では考えられないほど、穏やかな優しい風だった。
「ちい……」
ふいに私の名前を呼んだ紅君が、先ほどまでとは違う真剣な顔で、私を見つめる。本当はわかっていた。紅君が気持ちをこめて何かを語りだす時には、昔からいつも不思議な風が吹いた。だから次に彼が何を言いだすのかも、私にはよくわかっていた。
「ごめん……事故に遭う前のことも、みんなのことも思いだしたけど……まだ、ちいのことだけは思いだせないんだ……」
「うん……」
彼がそう告げるのを、予めわかっていたので、私は取り乱したりせずに済んだ。
「どんなに大切だったか、想いはわかるのに思いだせない……どうしても思いだせないんだ!」
ぎゅっと拳を握りしめた紅君がさらに自分を責めだす前に、私はその拳を両手で包みこんだ。
「いいよ。大丈夫。今、紅君は私の隣にいてくれるんだから……それでいい」
苦しい色に揺らぐ紅君の瞳が、私の顔を見つめる。できることならその辛さを全て消してしまいたくて、私はなんでもないふうを装って笑った。必死に笑った。
「きっといつか思いだすよ……その『いつか』を私はいつまでも待てるから……だからいい」
「ありがとう、ちい」
紅君は少し屈みこみ、私の頭に自分の頭を軽く乗せた。
「じゃあ、その『いつか』が来るまで、ずっと俺の傍にいて下さい」
「えっ?」
ドキリと胸が跳ねる。子供の頃、紅君に突然想いを告げられたあの日のように――。
あまりに近すぎる距離から囁かれる言葉は、まるで自分自身から聞こえてくるかのようで、その近さに緊張する。紅君が放つ言葉の意味の大きさに、どうしようもなく動揺する。
「……あれ? これじゃまるで、プロポーズみたいだね……」
五年前に彼が私にくれた言葉と、紅君が今嬉しそうに呟いた言葉とのあまりの既視感に、頭がぼうっとした。紅君には、私に関する記憶はないままなのだから、これは単なる偶然なのだろうか。とてもそうは思えない。こういう状況をうまく言い現わす言葉を、私は知っている。美久ちゃんと蒼ちゃんが私たち二人の関係を指し、何度も言ってくれた言葉なので、しっかりと心に焼きついている。それは――『運命』。
「紅君……あのね……」
小さく笑いながら、彼にも教えてあげようと口を開きかけたら、すぐさま止められた。私の手の間から引き抜いた両手を大きく広げ、紅君は私を包みこむように抱きしめる。
「だめ。言わないで……俺が自分で思い出すから……きっといつか思い出すから……」
「うん……」
肩口で頷いた私に、紅君は明るい色の髪の頭をそっと寄せた。まるでとても大切なものに頬ずるかのように、私の頭に頬を乗せる。
「だからずっと一緒にいて……ずっと……」
「うん……」
これ以上はないほど幸せな思いで、その日二人で見た黄金色に輝く川の水面を、私は忘れない。少し寂しげな声を残しながら、綺麗に隊列を組んで冬の空を飛んでいった雁の姿も――。
多くのものを一緒に見た。同じ思いを感じた。大切な旅から三日後――。
――紅君は何の前触れもなく、また、唐突に倒れた。
突然に糸を切られたマリオネットのように、地面に倒れた瞬間、『ちい』とただ一言私の名前を呼んだ彼に何が起こったのか、彼が何を考えたのか、それは私にはわからない。
次に目を覚ました時に彼が私を覚えているのか、そもそも目覚めてくれるのかも、今はまだ、まったく見当もつかない。