「こんな夜更けにどちらにお出掛けですか?王太子妃、テディ様」
松明を掲げたグレイが暗闇から這い寄ると、馬車に足をかけていた王太子妃テディはヒッと小さな悲鳴をあげた。
今宵は新月だ。月見と洒落込むには闇が深すぎる。
ただ、後ろめたいことがある人間が夜逃げをするにはちゃうど良い。
グレイの背後からはレジランカの留守を預かる団員達が次々と現れテディが乗り込もうとした馬車を取り囲んだ。
「内壁は我らレジランカ騎士団が隅々まで見張っております。逃げ場はございませんよ」
逃亡が叶わぬことと知ったテディは唇を噛みしめ開き直った。
「私は悪くないわ!!全て!!エルバートがいけないのよ!!私を蔑んでばかりでまともな扱いをしなかった!!」
「……どの口でものを言うか」
騎士団の包囲網に割って入るようにして、エルバートが現れる。
「男に入れ込むだけならまだしも、クルスに我が国の機密情報を漏らすなど言語道断である」
テディの顔色が真っ青になった。エルバートが非情なことは妻であるテディが一番よく知っていた。
「ああ、お願い!!許して!!」
こんなはずではなかったのにとテディはリンデルワーグに来てからの日々を走馬灯のように思い返した。
エルバートとテディは典型的な政略結婚だった。
アイリーン王妃の縁戚にあたるテディは17歳でリンデルワーグに嫁いだ。夫から愛されることを夢見る普通の女性であった。
しかし、結婚生活はテディの理想とはかけ離れたものになった。夫のエルバートはテディを顧みようとせず、いつも冷たい瞳を向けてきた。
冷え切った夫婦仲から目を背けるように酒に溺れていき、やがてテディの望む甘い台詞を囁く男の元へ足繁く通うようになった。
まさかあの男がクルスの間者だったとは……!!
「……お前はリンデルワーグ王太子妃の義務を怠った。死を持って償え!!」
エルバートは剣を抜くと、縋り付くテディの心臓に突き刺した。
耳障りな断末魔の叫びがいつまでも耳にこびりつきく。
エルバートはグレイが差し出したハンカチで血を拭い、剣を鞘に収めた。
「……片付けておけ」
裏切り者である王太子妃を自らの手で始末したのは、夫としての情けなのか。
「……とんだ鼠退治になりましたね」
グレイはエルバートに聞こえぬようにそっと呟いた。