屋敷から何とか脱げおおせたラルフとマリナラは、サザール砦のある南に向かってひたすらロンデを走らせていた。
ラルフが囚われていた屋敷はとうの昔に見えなくなっていたが、決して油断はできない。
マガンダ兵やクルス兵に見つかれば二人乗りのラルフ達は速さの面で圧倒的に不利である。マリナラを守りながら大人数を相手にすればいかにラルフと言えどただではすまないだろう。
しかしながら、ラルフは今なら誰にどんな勝負を挑まれようとも負ける気がしなかった。
……ひとりでないということはこれほどまでに心強いのか。
本当ならば今すぐにでも感謝の気持ちを伝えたかったが、代わりにマリナラの小さな身体を抱き締める。
マガンダとの国境を越えリンデルワーグの領内に入ると、ようやくラルフはロンデの手綱を緩めた。
マリナラから水の入った瓶を受け取り、喉の奥に流し込むと生き返った心地がする。
「もう追っては来ないようだな」
「ジャンに馬に細工をするように言っておきましたから」
ジャンは野営をしているクルス兵に混じり、屋敷の外からの陽動と撹乱を行っていた。
それとは分からないように馬にたらふく水を飲ませ、満腹になるまで餌を食べさせておく。そうすると馬は長い距離を駆けることができなくなるのである。
「ジャンも来ていたのか?老体には少し酷ではなかろうか?」
「ジャンは普段は老獪な執事に見えるよう変装しておりますが、実年齢はラルフ様とそう変わりません」
「……それは恐れ入った」
「ラルフ様、こちらを先にお返し致します」
マリナラが首に下げた麻紐を胸元から引き上げると、王庫の番人たる竜の指輪が現れた。
「ああ、これか。別に返さずとも持っていて構わないが?」
「ラルフ様がいなければ王庫から金は引き出せないと、アサイル殿下がおっしゃっていました」
ラルフは目をぱちくりと瞬かせた。
つまり、すっかり払ったつもりでいた1億ダールはマリナラの手元にないということだ。
「それはすまないことをした。だからわざわざこんなところにまで来てくれたのか?」
「ええ、そうです。ついでに一言言ってやろうと思います」
「……何を?」
「団長ともあろう方が、簡単に自分の命を投げ出そうとするのはおやめください。貴方が蔑ろにした命を救おうとしている人が大勢いるのですよ」
マリナラはアサイルから預かった薬袋をラルフに渡した。
「……やはり兄上の薬の味だったか」
ラルフを蜜色の薔薇から救い出してくれた水は想像を絶するまずさだった。アサイルの作る薬はこの上ない効果を発揮するが、いかんせん味が悪い。
「砦を預かる御三方がラルフ様不在の中どれほどご苦労されたか……。反省は?」
マリナラに低い声で怒られて初めてラルフはいかに自分が愚かだったかを思い知った。
「済まなかった。庶子として生まれた私の……浅はかな生き方だった……。どうか許してくれ」
「覚えておいてください。私と契約した以上、支払いが残っているうちは決して貴方を死なせません」
「ああ。心得ておこう」
「さあ、ニタニタ笑っていないで!!さっさとサザール砦に帰りましょう。あの山を越えたらすぐそこですよ」
休憩もそこそこに二人はまたロンデに跨り駆け出した。
ラルフはこの日つくづく思った。
……なんと素晴らしき人を伴侶に選んだのだろうと。
ラルフはマリナラを紹介してくれたロウグ大臣に大いに感謝したのだった。